うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。日系ビジネスのアルファベット使用。

アメリカ観察記断章。アメリカにはエスニックスーパーが数多く存在していて、ある特定の客層(だけ)をターゲットにしている。中国系は中国系の人々を、韓国系は韓国系の人々を、というわけだ。日系スーパーも例外ではないが、ここには微妙な差異もある。注目すべきは看板の作りだ。中国系や韓国系は漢字やハングルを前面に押し出すが、日系は日本語をあえて使わない。ローマ字だけなのだ、日系スーパーは。看板だとかロゴとなると、日系ビジネスはアルファベットに固執しているようにすら見える。もちろん日本語が排除されているわけではないし、エキゾティックな雰囲気を醸し出すためにひらがなや漢字が使われることはまるで珍しくない。しかし日本語の使用はそれゆえいわばアクセントにすぎず、ほとんど不自然ですらある。中国系韓国系があっけらかんと母国語を肯定しているのに比べると、日系は日本語的なものをまずあえて否定し、そして、おずおずと、裏口から、招き入れ、オリエンタリズム的に増幅する。こうした態度にはもちろん、日本的文脈でABCが「お洒落」であるという事情もからんでいると思うし、そうした英語的なもの=アメリカ的なものに対する本源的な憧れがあればこそ、日系ビジネス=社会はアメリカに上手に同化できたのだろう。しかし、こうした日本(語)的なものにたいする微妙なひねくれさ加減の距離は、我が身を無理やりにそこから引き剥がさない/されないかぎり、うまく気づくことができないように思う。日本を知るには日本を/から離れなければならない。