うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

『大地の歌』の加筆部分の後期ロマン派のムード

ドイツ語再勉強のためにマーラーの『大地の歌』のテクストを読んでいると、そこには、東洋趣味(厭世的で享楽的な飲酒、移ろいゆきながら回帰する自然の鑑賞、東洋的庭園)だけではなく、後期ロマン派的なムードが入り込んでいることにも気づかされる。ものすごく詳細なドイツ語のウィキペディアを見ると、はたして後者はマーラーの加筆部分だった。

たとえば、楽曲全体の半分以上を占める最終楽章の「告別 Der Abschied」の前半に現れる次の4行。

Alle Sehnsucht will nun träumen,

Die müden Menschen geh'n heimwärts,

Um im Schlaf vergess'nes Glück

Und Jugend neu zu lernen!

あこがれはみないま夢を見たがっている

倦み疲れた人々は家路につく

眠りのなか、忘れられた幸せ

と若さを新たに学びとるために!

 1行目はオリジナルどおりだが、2行目にはmüdenが書き加えられ、3‐4行目はマーラーの創作だ。

あこがれと夢という青春の主題系は、19世紀初頭のドイツ・ロマン主義から持ち越されたものだが、疲れと眠りという甘美な夜と死の雰囲気は、19世紀末的な退廃に近いようにも感じる。この直系の子孫とも言うべきは、リヒャルト・シュトラウスの『4つの最後の歌』だろう。とくに「眠りにつくとき Beim Schlafengehen」(ヘッセ)——倦怠、夜の眠り、感覚の解放―――と「夕映えの中で Im Abendrot」(アイフェンドルフ)——旅の疲れ、夕闇、死―—のムード。

Nun der Tag mich müd gemacht,
soll mein sehnliches Verlangen
freundlich die gestirnte Nacht
wie ein müdes Kind empfangen.

いまこの日がわたしを疲れさせた

わたしのあこがれの切望は

友のように星の輝く夜を

疲れた子どものように受け入れる("Beim Schlafengehen")

 

Wie sind wir wandermüde
Ist dies etwa der Tod?

わたしたちは彷徨い疲れている

これがもしや死というものだろうか("Im Abendrot")

 

しかし、『4つの最後の歌』が忍びよる甘美な夜の死の誘惑にみずからを融解させるとしたら、マーラーはむしろ死に連なる眠りから、若さと再生を夢見る。

 

「O Schönheit! O ewigen Liebens – Lebens trunk’ne Welt! [おお、美よ! おお、永遠に、愛に、生に酔う世界よ!]」はワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の「イゾルデの死」の反響であるようにも思う。とくに、たゆたう旋律の流れの頂点をなす「In des Welt-Atems wehendem All[世界の息吹で充たされた宇宙で」の1行。

かわいいは正義:熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス、2020)

いささかの誇張を込めて言うなら、現代東京、ひいては現代日本において「かわいいは正義」なのである。「かわいい」は誰にでも愛される、繁華街でも閑静な住宅地でも通用するコンセプトであり、地方自治体が好んで用いることが示しているように、安全で無害な、安心できる存在とみなされている。他方、「かわいくない」存在、つまり人々に不安や不信を思い起させる存在は歓迎されず、迷惑で、不道徳であるとすらみなされかねない。

 リスクを思い起こさせない「かわいい」外見であること、臭いや外観で他人に迷惑をかける心配がないこと、無害で受け入れやすいことは、この美しい街の景観に溶け込むのに適しているだけでなく、個と個がせめぎあう側面や干渉しあう側面をぎりぎりまで削り取った自由、東京風の自由のありかたとも合致している。社会の慣習や通念や自由のありかたに合致しているからこそ、「かわいい」は実際、日本社会においてどこまでも正しい。かわいくあろうと努める人々、またはリスクを想起させない存在であろうと努める人々によって、この街の慣習や通念、自由のありかたはますます方向づけられ、強化され、清潔になりゆく街並みとともに日本ならではの秩序を形づくっている。(181-82頁) 

均質な労働力を、不均質な個々の人間から作り出すには、個々人を枠にはめ、規律化するしかないが、それが不可能であることは明白だ。しかし、現代日本では、そのような規律化、ある種のモデルーー健康的で清潔で道徳的な人間——を前提としたアーキテクチャ型権力が、社会の隅々にまで及んでいる。それになじめない、そこから零れ落ちる、そこに参加できない層が生まれてしまう。そうした不適応者(しかし、それは、そうした層の内在的な無能力のせいというよりも、社会が前提とする能力バランスのせいである)をどうするのか。それが熊代亨の問題意識の根底にあるらしい。

www.eastpress.co.jp

精神科医として働く熊代は、さまざまなカテゴリーの医学化(発達障害など)を必ずしも肯定的に捉えていないような部分があるのかもしれない。レッテルを付けることがいけないからではなく、そのようにカテゴライズする/されることは、そのように同定され、そのように扱われることを既定路線化することであり、それもまた、あらたな規律化、あらたなアーキテクチャ化である。フレームに収まることを要求することである。はたしてそれでいいのか。

問題をさらに悪化させるのは、地域共同体の崩壊によって、個々人がすべての管理責任(子どもや老親含めて)を担わなければならなくなった現代の契約社会の構造だ。個人の自由の最大化は、責任の増大と不即不離である。こう言ってみてもいい。そのような重荷に耐えることができるのは、責任のいくらかを金で外注できる経済富裕層か、または、依然として親類や地域に助けを求めることができる層であり、そのどちらにも当てはまらない中間層こそが、もっとも困ることになる。現代における契約社会化と資本主義化の行き着く先は、すべてのコスト思考化である。コスト削減、コストパフォーマンスの向上が、人生の目的にすり替わってしまう。

わたしたちを飼い慣らすことで可能になった健康で文化的な生活は、はたして善なるものなのか。わたしたちはいったい何のために生きているのか、と改めて問い直してみなければならない。いまここにあるシステムに適応すること、適応してつつがなく長生きすることが、生きる目的であり、生きる意味なのか。

そんなことはないだろう。しかし、では熊代が、そこから逸脱してリスクをとるというリスキーな道を推しているのかというと、そういうわけでもないだろう。ただ、情報が統計的に処理され、さまざまなエビデンスが示されるなか、みずから「誤った」道を選ぶ自由はあるのか、とは問いかけているようだ。

西欧社会よりも日本の方がネオリベのリスクにさらされているという熊代の指摘は正しいはずだ。個人主義と民主主義が根付いている西欧では、長い時間をかけて、さまざまな問題(たとえば少子化を補うために、家庭という単位にとどまらない子育てのかたちを作り上げてきたフランス)にたいする処方箋を社会的アーキテクチャとして発展させてきたという議論は、ややざっくりしすぎではないかという気もするが、日本が準備不足、態度不足であることは否めない。

わたしたちは、環境的にも心理的にも、現代社会の掟に従うようにナッジされている。

とりわけ東京のような、あらゆる場所が人工的で、資本主義と社会契約のしるしに覆い尽くされた街では、街そのものが環境管理型権力として機能し、街そのものが規律訓練型権力としても機能している。すべてがコードで設計されたインターネットに比べれば隙間はあると言えるけれども、従来の町村部に比べれば隙間はずっと少ない」(230‐31頁)

ではどうするのか。いまから時間をかけてその準備を進めるのか。それとも、別のアーキテクチャを作るのか。しかしそれは、別の環境管理型権力を生み出すだけではないのか。そんな疑問もわいてくる。

無臭化、無毒化され、他人に迷惑をかけないことを金科玉条とする現代社会が生きづらさを生んでいることは間違いない。しかし、それをふたたび異臭化し、有毒化し、アウトローがはびこるような世界に巻き戻すわけにはいかない。獲得された自由を保持したまま、生み出された不自由を削減していくような、アクロバティックな道を探していかなければならない。それが、わたしたちの現在の課題である。

verlernen / unlearn

ドイツ語のverlernen((習い覚えたことを)忘れる)は英語のunlearnよりもポジティヴな感じがする。unlearnはスピヴァクがよく使うので、漠然と近年の造語のように考えていたけれど、OEDによれば、16世紀初頭が初出とのこと。

(a) transitive. To forget or relinquish knowledge of (something previously learned); esp. to put (something considered undesirable) out of one's mind; to give up or discontinue (a habit or practice).

a1500   tr. Thomas à Kempis De Imitatione Christi (Trin. Dublin) (1893) 12 (MED)   Withstonde þyne inclinacion & unlerne [L. dedisce] evel custom.
1547   W. Baldwin Treat. Morall Phylos. iii. ii. sig. Niiv   The best kynde of learnynge is to vnlearne our euyls.
1575   T. Vautrollier tr. M. Luther Comm. Epist. to Galathians f. 188   It is to vs no lesse labour to vnlearne and forget the same.
1612   J. Brinsley Ludus Lit. ii. 9   Those things which are hurtfull, which they must bee taught to vnlearne againe.
1686   W. de Britaine Humane Prudence (ed. 3) i. 2   The most necessary learning for mans life, is to unlearn that which is nought and vain.
1738   T. Lediard German Spy xlv. 411   It has been the Business of three or four Years more to unlearn (if I may be allowed the Expression) the ill Habits.
1779   Mirror No. 12   As they have learned many foreign, so have they unlearned some of the..best understood home phrases.
1813   P. B. Shelley Queen Mab iii. 31   Thou hast given A boon which I will not resign, and taught A lesson not to be unlearned.
1864   J. Bryce Holy Rom. Empire vii. 135   The habits of centuries were not to be unlearnt in a few years.
1920   Times 9 June 11/2   We were fast unlearning the lessons of the war.
1962   R. V. McCann Churches & Mental Health iv. 62   The person unlearns defensive patterns.
2010   Independent 8 Dec. 3/3 (heading   We will never unlearn or unknow the great truths that Julian Assange has brought to the world.

 

Google Books Ngram Viewerで見ると、17世紀から18世紀のあいだは使われる時期と使われない時期が交互にあらわれ、19世紀半ばあたりでグラフは平坦になり、1876年を境にして廃れ出して20世後半まで低調。再び使われるようになったのは、1990年代前後のことだ。

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だとすると、unlearnの使用を最近の傾向と捉えるのは、あながち間違っていないのかもしれない。

『パルジファル』のなかのアラブ的なもの

ワーグナーの最後の楽劇『パルジファル』はきわめてドイツ的なものだとずっと思い込んでいたが、先日ドイツ語の再勉強のために英語対訳版で台本を読んでいたら、クリングゾールの城は「アラブ系スペイン arabischen Spanien」(英訳だと「ムーア系スペイン Moorish Spain」)に面している、とあった。2場の花の乙女たちのシーンのところでも、城壁の突き出た部分は「[アラブの豪勢なスタイル][arabischen reichen Stiles]」となっている(角括弧は原文ママ)。そして、クンドリーは「ほぼアラブ風の annähernd arabischen Stiles」ヴェールをまとって登場する。そういえば、1幕でクンドリーがもってきた膏肓は、アラブ世界からのものであった。西欧中世を十字軍の時代と捉えれば、その仇敵であるイスラム世界が、中世騎士道物語を下敷きにした『パルジファル』に現れることに驚くいわれはないのだけれど、ひどく驚いてしまった。読んでいるようで読めていなかった。わかっていないまま『パルジファル』を20年近く聞いていた。とはいえ、2幕冒頭のト書きは、作曲者本人が監修した『全集』版*1には登場するものの、スコアではカットされており、一般に流布しているのは後者なので、ここを見落としていたのは自分の落ち度のせいばかりではないのかもしれないけれど*2

しかし、よく考えてみなくても、堕落させる誘惑者としてのアラブ表象というのはきわめて19世紀的な手口だ。モローやワイルドのサロメがすぐに思い浮かぶ。

*1:Gesammelte Schriften und Dichtungen. vol. 10

*2:ちなみに

ontomo-mag.com

によれば、パルジファルという名前自体が偽アラブ起源(ワーグナーはアラブ起源だと思い込んでいた)とのこと。

他者に共感するだけでは足りない

イードブルデュー、タン

エドワード・サイードのいう「知識人」は、エリート的ということもさることながら、自己決定できる、自己決定に責任を負える強い個人を前提としている。しかし、そうした強さは、やはり、社会の一定数にしか到達不可能ではなく、それを前提とした社会を設計することは、なにかしらの排除を受け入れることになってしまう。

「反省的=自意識的主体」を大前提とすること、それはいわば、ピエール・ブルデュー的なメタ認識をリアルタイムで自らにフィードバックできる主体をデフォルトにすることにほかならない。それは理想としてはありえる。実現されてほしい理想ではある。しかし、それは無謀ではないか。それを目指すのは、あまりにも無理があるのではないか。

オードリー・タンが、社会的弱者をデフォルトとするソーシャルデザイン(たとえば、身体障害者にとって快適なアーキテクチャー)が必要だと主張しているのは、倫理的に正しく、効率的でもある提案だ。

 

他者が身近にいることを認識するだけでは足りない

社会のなかに別の意見があることを知る/理解するのが重要だというのは当然だ。しかし、そこで終わってしまっていいのか。それが裏目に出る可能性はないのか。そうした危惧が自分のなかにあるらしい。

同じ共同体のなかに他者がいることを承認することは、ただちにインクルージョンをもたらすわけではなく、セグリゲーションに終わる可能性もある。というよりも、歴史的に言えば、セグリゲーションに終わってきたといったほうが正しいのではないか。

「内部の他者」や「見えない隣人」の存在に気がつかないと何も始まらないのだから、まずはそこを可視化/言語化しなければならないというのは、正しい。ただ、次の一手が必要だ。

承認のモメントに力点を置きすぎると、「わたしはわたし、あなたはあなた」という相互不干渉的相対主義をもたらしかねない。各人の「善意」や「熱意」にまかせるのは、危ういのではないか。インクルージョンに至るには、ある程度はインテグレーション的な結集力、中央集権的な力がいるのではないか。 

社会的包摂のためには「他者理解」でいいのかという疑問が自分のなかにある。「では、お前はなにをオルタナティヴとして掲げるのか」と問われると、答えに窮する。個人モデル(ある個人から、まだ見えていない他者)でいけるのか、という疑いが漠然としたかたちで自分のなかをただよっている。ということを、ブレイディみか子の『他者の靴を履く』を読んで感じたことを、いまふと思い出す。

 

ボトムアップとボトムダウンと複数的なものとしての社会

「他人の身になって考えましょう」式の共感的アプローチが届く層、そのようなアプローチが触媒として機能する層は、たしかにいる。しかし、それはいわば、すでに「持っている」人たちであって、「持たざる」人々にまでそれが届くのかどうか。そして、後者にアプローチできなければ、結局は、社会のなかにインクルーシブなスペースを創り出すだけで終わってしまうのではないか。それで、社会自体をインクルーシブに変容させることはできるのだろうか。

戦略的にあえて啓蒙的主体の自由を信じるという一手は、ありえる。しかし、多様性は大事だが、それはあくまで入口であって、目的地ではないだろう。社会は多様で複数的ではあるが、同時に、単数的な統一体とまでは言わないまでも、ある種の集合体(1という単数ではないにせよ、2とか3のようなそこまで多くはない複数的なもの)でなければ、社会としての結合力や凝集力を維持できないのではないか。

結局のところ、熱意と志のある人(率いることの出来る人)と、ある程度の持続可能な予算があれば、社会的包摂度を上げるためのプロジェクトやプログラムを導入することは可能であるし、それを成功させることもできるし、そのノウハウを場所を越えて共有することもできるだろう。

問題は、局所的でローカルな試みを、社会全体に広げていけるのかどうかだ。局所的な成功は、決して自動的に同心円状に拡大することはないだろう。おそらく、どこかのポイントで、戦略的な方向性を質的にスイッチさせる必要性があるような気がしてならない。

とはいえ、上からの啓蒙を組み合わせればいいのかというと、それはすでに散々試みられて、あまりうまくいっていない(いかなかった)ような気もする。ボトムアップとボトムダウンを効果的に組み合わせればいいという単純な話ではない。

とはいえ、やたらとナッジ的な手段に頼るのは、倫理的に汚い気がする。最初から暗黙の操作を前提で騙し込むのはよくないのではないか。性善説的な善意と、性悪的な善意の中間を模索するべきなのだろう。

 

心ある少数派の連帯で突破できるか

階級やアイデンティティグループをこえた連帯が重要なのはまちがいないし、そうした連帯を促進するためのスペースづくりは絶対に必要だが、それを局所的なところから社会全体に拡散していけるかどうか。

物事というのは、関与している集団の10‐20%が変われば変わっていくものだ、という話をどこかで読んだ記憶がある。もしこの統計的事実が社会全体に当てはまるとすると、心ある人々の連帯でその閾値は突破できる可能性は小さくない。

しかし、そうした局所的な突破からの全体のなし崩しは、トランプのような存在の台頭を許す土壌を発酵させてしまう。頭ではしぶしぶ受け入れても、腹の中ではまったく納得できていない層を存続させてしまう。

 

メタ的なナッジによる搦め手

ナッジ的な手法は批判したい。しかし、メタ的なレベルでナッジ的に社会を設計し直していくという道しかないのではないかという気もする。メタ的にというのは、たとえばすでにもう実践されていることではあるけれど、「性別」欄で、「男」「女」の二分法を多様化させていくとか、公に開かれた施設では「多目的トイレ」(ジェンダーフリーなスペース)を作っていくとか、道路をバリアフリー化するとか、社会の全スペース(マテリアル、バーチャル両方を含めて)をインクルーシブにしていくことによって、社会の成員の心理や感性それ自体を質的に変容させること。

 

誰がその担い手となることができるか

そのためには法制的にかなりラディカルな革命が必要になってくる。そして、それほどの政治力と持続的熱意を発揮できる「団体」があるかというと、どうなのだろう。個々のイシューで考えれば、そういう団体はあるはずだ。夫婦別姓を推す団体、LGBTQのための団体、というように。しかし、そうしたアイデンティティポリティクスを越えて、社会「全体」の再設計という方向に持っていくにはどうすればいいのか。

かといって、心あるマイノリティグループの連帯によって社会を変えていけるかというと、それも心もとない。性質的に保守的(conservativeというよりもpreservative)である社会は、かならずそうしたマイノリティのプロテストに反発するだろう。それは意識的なものというよりも、反射的で機械的な反応だと思う。

 

基準値を定めることはできるか

オードリー・タンが言うように、今の社会のアーキテクチャーは社会的弱者にフレンドリーなように設計しなおされる必要がある。いまの社会設計のアベレージは下げる必要がある。それはもしかすると、健常者を基準として障害者のほうを例外的に扱うという現在の図式を転倒させ、健常者をマークされた特殊な存在にし、障害者のほうを基準とすることだ、というふうに表現できるかもしれない。

しかし、その基準点をどこまで下げていくかは、アプリオリには解決できない問題だ。

どう決めても恣意的なところは残るかもしれないし、どこかの層は何かしらの不便を感じるだろう。これはWin-Winというよりは、ゼロサムゲーム的なものかもしれない。誰かにとっての快適さは、ほかの誰かにとっての不満になるかもしれない。

もちろん、これは対称的なものではない。たとえば、男女別のトイレスペースを一部削減してジェンダーフリートイレを作ることで、助かる層はいる。それと同時に、男女別のトイレを使用していた層からすると、トイレの数が減って不便になる。しかし、後者にとってそれがあくまで「不便」(効率性の低下)でしかない一方で、前者からすると、ゼロだったものがプラスになったようなものだろう。社会アーキテクチャーの再設計は、効率性の増減ではなく、可能性の増加(これまで出来なかった層が出来るようになる)を基本に考えなければならない。

 

ワークインプログレスなものとしての制度

しかし、はたして、排除を最初から完全に排除することはできるのだろうか。どれだけ配慮したところで、何かしらの排除は生まれるだろう。いまこの瞬間にはないとしても、これから先そうなってしまう可能性は残る。

というよりも、最初から完璧なシステム=制度を作ろうというのは、悪しき意味でのユートピア主義だ。そこで前提になっているのは、現実=現在にたいする全知であり、未来の完全な予見可能性だ。それは、究極的には、傲慢だ。わたしはすべてを見通しているし、今後も見通すことができる全知の主体である、という意識。

本当に重要なのは、排除しない制度を最初に作っておしまいにすることではなく、排除が判明したとき柔軟かつスピーディーに変更できるアジャスト機能をビルトインした制度を作ることではないか。

ジュディス・バトラーは、普遍性を、拡張可能で調整可能なものとして捉えなおそうとしている。制度をワークインプログレスなものとして考えようという発想は、そこから借りてきたものだ。しかし、ワークインプログレスな制度は、はたして「制度」と呼べるものなのだろうか。

というも、システムをリジッドに組むのには理由があるからだ。システムの濫用を防ぐため、運用者の恣意性や裁量制を制限するため、つまり、公平性や平等性を担保するため。問題が発生したときに簡単に変えられる制度は、制度としてそもそも危うい。暴君の台頭を許容しやすい。このあたりについて先行研究はないだろうか。システムの可変性とその濫用度のトレードオフポイントはどのあたりか、という研究。

 

カテゴリーとシンギュラーなものの交渉可能性

特定層にとっての可能性の増加と、全体にとっての効率性の増加を釣り合わせるのは、きわめて難しいだろう。それに、「層」として集団を扱うことは、それを構成するひとりひとりの独自性をないがしろにすることにもなりかねない。

しかし、集団をカテゴリー的に扱うことでしか成し遂げられないものもあるように思う。抽象化なしには、全体のデザインは不可能だろう。というよりも、抽象化を行わないとすると、すべてのアーキテクチャーを場の状況によって変更しなければならなくなる。アーキテクチャーの設計がコピーできないとなると、カスタマイズが必要になる。そして、カスタマイズすればするほど、その内部で公平性や均質性を担保するのが難しくなるだろうし、アーキテクチャー間の公平性や均質性を確保しにくくなる。地域差が発生してしまう。うまく運営できるところとできないところが発生してしまう。

結局のところ、カテゴリー化から逃れるような/逃れたいと願うシンギュラーな存在は、独立独歩で行く強さを獲得するか、さもなくば、シンギュラーさをある程度は自ら(一時的に)放棄して、戦略的本質主義に移行する――個としての弱さを、数の力に転化する――という二者択一を迫られるのだろうか。

「役者は時代の縮図」(シェイクスピア『ハムレット』)

" . . . foul deeds will rise,/ Though all the earth o'erwhelm them, to men's eyes." (Shakespeare. Hamlet. I. ii.)

"There are more things in heaven and earth, Horatio,/ Than are dreamt of in your philosophy." (Shakespeare. Hamlet. I. v.)

"Why, then, 'tis none to you; for there is nothing/ either good or bad, but thinking makes it so . . . " (Shakespeare. Hamlet. II. ii.)

「役者は時代の縮図、一人ひとりが短い年代記だ。」(シェイクスピア、松岡和子訳『ハムレット』109頁)

"Madness in great ones must not unwatch'd go." (Shakespeare. Hamlet. III. i.)

" . . . for any thing so overdone is from the purpose of playing, whose end, both at the first and now, was and is, to hold, as 'twere, the mirror up to nature . . ." (Shakespeare. Hamlet. III. ii.)

"Lord, we know what we are, but know not what we may be." (Shakespeare. Hamlet. IV. v.)

特任講師観察記断章。全人的な行為としての教育。

特任講師観察記断章。アメリカ人の鉛筆の持ち方のひどさについてはかなり前に書いたことがあるけれど、それと同じ現象を日本でも観察できるようになってきたのかもしれない。学期末の試験のあいだ、学生の手元を見ていると、なかなか個性的なペンの持ち方をしていることに気がついた。いまもう学校では矯正されないのだろうか。親指の腹のあたりをペンに添えていたり、人差し指中指の添え方のバランスがいびつだったりと、かなりバリエーションがある。もしかすると、デジタルコミュニケーションの台頭とともに、手書きの重要性や使用頻度が落ちてきたせいで、ペンの持ち方にたいする関心が相対的に低下したせいもあるかもしれない。

学期末のプレゼンテーションにQ&Aの時間を設けてみたが、どうもうまくいかなかった。質問がまったく出なかったわけではないけれど、「あなたはなぜ」的な質問になってしまうことが多かった。トピックそれ自体にたいする質問にならなかった。知そのものにたいする興味よりも、人にたいする興味のほうが上まわってしまったということかもしれない。

英語のリズムそれ自体を教えようとしてみたが、うまくいったとは言い難い。それほど日本語の呪縛はきついらしい。とくにカタカナ語。eventは「ィヴェント」になるべきなのだけれど、「イーヴェント」としてしまう学生が圧倒的に多い。

その一方で、英語のリズムやノリで口ごもらせることには、ある程度成功したのかもしれない。言葉に詰まっているときでも英語の流れに乗る感覚を、身に着けてもらえたような気はしている。

知的な部分、理性的な部分はマスに教えられるけれども、身体的な部分、直感的な部分については、教える側と学ぶ側のある種の信頼関係が必要になってくるのかもしれない。

信頼関係を結ぶことが教育の一部であるとすると、教育は全人的な行為ということなのかもしれない。内容レベルにかぎれば、(能力や知識がある人であれば)誰でも教えることができる。しかしそれが誰にも響くかというと、そんなことはない。

教師と生徒のあいだで「あう」「あわない」という相性の問題は絶対に発生するのではないか。だからこそ、学ぶ方に、相性のあいそうな人を見つけるチャンスが与えられるべきだと思うのだが、そのためには大学の規模が必要であり、教え手の数が必要になる。無駄なほどの幅が要る。その余裕はいまの大学にはないのだと思う、残念ながら。