うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

『大地の歌』の加筆部分の後期ロマン派のムード

ドイツ語再勉強のためにマーラーの『大地の歌』のテクストを読んでいると、そこには、東洋趣味(厭世的で享楽的な飲酒、移ろいゆきながら回帰する自然の鑑賞、東洋的庭園)だけではなく、後期ロマン派的なムードが入り込んでいることにも気づかされる。ものすごく詳細なドイツ語のウィキペディアを見ると、はたして後者はマーラーの加筆部分だった。

たとえば、楽曲全体の半分以上を占める最終楽章の「告別 Der Abschied」の前半に現れる次の4行。

Alle Sehnsucht will nun träumen,

Die müden Menschen geh'n heimwärts,

Um im Schlaf vergess'nes Glück

Und Jugend neu zu lernen!

あこがれはみないま夢を見たがっている

倦み疲れた人々は家路につく

眠りのなか、忘れられた幸せ

と若さを新たに学びとるために!

 1行目はオリジナルどおりだが、2行目にはmüdenが書き加えられ、3‐4行目はマーラーの創作だ。

あこがれと夢という青春の主題系は、19世紀初頭のドイツ・ロマン主義から持ち越されたものだが、疲れと眠りという甘美な夜と死の雰囲気は、19世紀末的な退廃に近いようにも感じる。この直系の子孫とも言うべきは、リヒャルト・シュトラウスの『4つの最後の歌』だろう。とくに「眠りにつくとき Beim Schlafengehen」(ヘッセ)——倦怠、夜の眠り、感覚の解放―――と「夕映えの中で Im Abendrot」(アイフェンドルフ)——旅の疲れ、夕闇、死―—のムード。

Nun der Tag mich müd gemacht,
soll mein sehnliches Verlangen
freundlich die gestirnte Nacht
wie ein müdes Kind empfangen.

いまこの日がわたしを疲れさせた

わたしのあこがれの切望は

友のように星の輝く夜を

疲れた子どものように受け入れる("Beim Schlafengehen")

 

Wie sind wir wandermüde
Ist dies etwa der Tod?

わたしたちは彷徨い疲れている

これがもしや死というものだろうか("Im Abendrot")

 

しかし、『4つの最後の歌』が忍びよる甘美な夜の死の誘惑にみずからを融解させるとしたら、マーラーはむしろ死に連なる眠りから、若さと再生を夢見る。

 

「O Schönheit! O ewigen Liebens – Lebens trunk’ne Welt! [おお、美よ! おお、永遠に、愛に、生に酔う世界よ!]」はワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の「イゾルデの死」の反響であるようにも思う。とくに、たゆたう旋律の流れの頂点をなす「In des Welt-Atems wehendem All[世界の息吹で充たされた宇宙で」の1行。