うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20200104 Day 12(最終日) マニアル宮殿と博物館。

観光に使えるのは午前中だけなので、近場でどこかひとつという話になり、ロンリープラネットが挙げるカイロで見るべき8ヵ所の8番目にランクインしているマニアル宮殿と博物観に行ってみる。ここは19世紀初頭にエジプトの近代化を成し遂げたムハンマド・アリーを祖とする王朝の人間が19世紀後半に作らせた邸宅だというが、まあ良くも悪くも、趣味が悪い。友人は「秀吉の茶室」と言うが、なるほどと思う。

成金趣味というとあまりな言い方ではあるけれど、装飾過剰というか、空白恐怖というか、とにかくスペースをいっぱいに埋めつくそうという執拗な欲望を感じて、それがちょっと薄気味悪いほどだ。贅沢ではあるし、手は込んでいる。内装を青いタイルで埋めつくしてみたり、装飾のある壁にさらに装飾のある家具を合わせてみたりと、組み合わせが上手くない感じがしてしまう。そしてそれはまさに、センスの問題であるように思うのだけれど、そう書いてみて、もしかすると日本人的な感性からすると、くどくてしつこいように見えるこの重ね合わせこそが、エジプト的な美意識の基調にあるのだろうかという疑問もわいてきた。

もちろんここで言う「エジプト」が何を意味するのかは、難しい。ムハンマド・アリはアルバニア系だったと言うし、オスマントルコの影響もあれば、イギリスの影響もある。だからここには、さまざまな文化趣味が混在しているはずであるし、それはもしかすると、明治近代の西洋趣味にたいして一般庶民が持ったかもしれない印象と、パラレルな部分があるようにも思う。借り物としての西欧趣味であり、そこで残存し続ける土着的な美意識である

とはいえ、ここに訪れている人たちを見ると、この装飾の豪奢さにストレートに感銘を受けているようにも見える。こちらの見方がひねくれているのは事実ではある。昨日、ハン・ハリーリで「質実剛健」(友人談)なものを立て続けにみたからこそ、逆にこの実質のある虚飾のけばけばしさが空しく見えてしまうだけなのかもしれない。

それにしても、動物好きと狩猟好きというのは、両立する趣味なのだろうか。

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