うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。現代アメリカと宗教。

アメリカ観察記断章。現代アメリカでどこまで宗教が影響力を保ちきれているか、それは若者の集まる公立大学という明示的に世俗的な機関にいるとどうしてもピンとこないが、コミュニティ・ライフというもっとベタでローカルな点からすると、宗教的施設は依然として力を失っていないのではないかと思う。これは日系コミュニティにも当てはまるかもしれない。事実、日本語を教える幼稚園保育園のひとつは寺経営なのだ。そして先週お邪魔した日本語スクールは教会を借りてやっているし、その場所も、平日は、アメリカの子弟を対象とした教室として使われているらしい。こうした地に足のついたコミュニティ内での宗教と教育の結びつき、これはもしかすると、寺子屋が近代日本において果たしていた役割に近いのかもしれない。グラスルーツ的なものの片鱗はアメリカ社会のいろいろなところに潜んでいる。システム的完成度からすると、日本の教育制度のほうが精密かもしれないが、アメリカには、公的制度からはどうしてもこぼれ落ちてしまうものを掬いあげることのできる別種の回路が公と私のはざまに走っているのではなかろうか。