うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。多民族環境における美醜の感覚について。

アメリカ観察記断章。多民族環境における美醜の感覚について。日本で男女を問わずファッションが人の心を煩わせ、女性の化粧技術が洗練されているのは、我々の社会が人種的にかなり単一的であるがゆえに人々が比較的同じ身体的特徴を備えているからこそ生まれてくる差異化の欲望が抑圧されつつ暴走しているからではないだろうか。南カリフォルニアのように人種が混じりあったところでは、人の顔ひとつとってもあまりに多用で、そこに単一の美醜の基準を持ちこむことは無意味に思われる。たとえていうなら、オレンジ同士を比べると表面のちょっとした瑕疵を見つけようと顕微鏡的に見つめてしまうが、オレンジとリンゴとモモとキウイを並べてどれが美しいかとなると視野が突如として開けてくる、という感じ。おそらくアメリカ社会でアメリカ人として生きる人にはそれでもそれなりにいやらしい美のヒエラルキーや基準や理想像があるのだろうけれど、異邦人としてカリフォルニアのコスモポリタン状況をお気楽に眺めていると、日本の同調圧力は何とも厄介なものだなと思えてくるのでした。