うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。美学のない食の多様さ。

アメリカ観察記断章。アメリカの食文化に貧しいところがあるのは否定できない。根本的なところで食に美学がないのだ。だから日本のデパチカなら透明のプラスチックに綺麗に盛り付けるところを、密閉式の紙箱に無造作に放り込んでしまう。とはいえ、カリフォルニアの食はきわめて多様だし、この多様さは大学生協ですらはっきりと感じられる。サンドイッチにしても、普通のパンに挟んだもの、中東のパンであるピタに挟んだもの、メキシコのパンに相当するようなトルティーヤで巻いたものがあり、その隣にはブラウンライス(玄米)のロール(巻き寿司)が並び、クスクスのサラダや、ロンググレイン(長粒種)のライスサラダがある。スーパーに行けば様々なオイルが並び(オリーブオイルからごま油まで)、ヴィネガーのバリエーションも豊かだ(バルサミコ酢から米酢まで)。お茶のティーバッグは普通の紅茶から緑茶だとかチャイのようなものまで揃っている。チップスのコーナーに目をやれば、いろいろなサルサが脇に鎮座している。こうした多様な食材を果たしてアメリカ人がいろいろと試して使いこなしているのかというと、まったく定かではないが(自分がいままで見てきた限りアメリカ人のルームメートは同じようなものを毎日飽きもせず腹に入れている)、カリフォルニアのスーパーが潜在的には驚くほど多文化主義的であることは特筆していいと思う。