うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。台湾系のスーパー。

アメリカ観察記断章。台湾系のスーパーに行ってきた。それはいわば、アメリカ内部にある外国で、店内放送に英語が混ざっていなかったら、どこにいるのかと自問せずはいられないような場所である。石川啄木は故郷の訛りが聞きたくて停車場に足を運んだが、カリフォルニアで故国が懐かしくなったらスーパーに行けばいいのだ。もちろんフランチャイズされたスーパーマーケットだから、さまざまな部分が標準化されているし、そうした標準化には普遍的なところがある。この点については台湾系スーパーであろうと日系スーパーであろうと変わりはない。しかしそれでも、文化的な差異は均一化のなかでもはっきりと現れている。台湾系スーパーでも肉類は日系スーパーのように綺麗にパッケージされてトレイに載せられているが、その内容物には日系スーパーではまず見つからないものが含まれている。たとえばグロテスクなほどにそのままのタンやレバー、変わったところでは心臓。しかしさらに特徴的なのは鮮魚コーナーだろう。氷のつまった発泡スチロールに丸のままの魚が並び、生け簀には生きた魚が泳いでいる(川魚だからだと思う)。おもしろいのは、捌き方にいろんなバリエーションがあることだ。内臓を抜く、頭を落とす、頭と尻尾を落とす、切り身にする、揚げる(!)、カリカリに揚げる(!)。ちょっと驚いたのは、中国以外の商品がずいぶん並んでいることだ。日本のお菓子があるのはまあわかるが、「きくらげ」とか「牛肉味ラーメン」とパッケージに書いてあったのには驚いた。製造情報をじっくり見たところ、日本語があるのは、台湾生産かカリフォルニア生産のもので、中国大陸のものではない。日本語以外にも、ヴェトナム語が入っている商品もあった。食材はたしかにナショナルでナショナリズムなところがあるが、それは必ず周縁的なものを含んでおり、異文化へ開かれていることを確認できてすこしうれしくなった。今日の一番の発見は、台湾系スーパーのベーカリーだ。安くて(ひとつ1.25から2.5ドルほど)、甘くてふんわりとしておいしいパン。アメリカのスーパーで売っているパンはまずくはないけれど、単体で食べるにはあまりに素っ気ない。あと、中国語の音はけっこう好きだということを再確認した。