うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。「他者」が傍にいるのがカリフォルニアの現実。

アメリカ観察記断章。このところ夜は家で夕飯を食べたあと近所のスタバで1、2時間本を読むことにしているのだけれど、店内を見渡すと、中近東を出自とする(らしい)男たちをものすごくよく見かける。彼らが夏の間だけの学生なのか、それともUCIの生徒なのかは定かではないが、南カリフォルニアに住んだおかげで、様々な人々と隣り合わせる機会に恵まれてきた。自分が住んでいるあたりにはアフリカ系アメリカ人がかなり少ないので、キャンパスでもめったに見かけないが、ある意味、ほとんど世界中の人々とここ南カリフォルニアで出会ったのではないかという錯覚すら起こる。世界地図の海岸線を頭に思い浮かべる。韓国、中国、ベトナム、タイ、インドネシア、インド、パキスタンアフガニスタン、イラン、パレスティナ、エジプト、スペイン、フランス、ドイツ、ハンガリーウクライナ、トルコ、アルメニアレバノン、ロシア、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、などなど。「他者」が傍にいること、それがカリフォルニアの現実だ。しかしこうした環境が自然だと思っているカリフォルニア民が日本に行くと、どういうふうに感じるのだろうとふと思う。違っていることがデフォルトであるところと、同じであることがデフォルトであるところ。