うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20231014 ジュリアン・ロスマン文絵、神崎朗子訳『自然界の解剖図鑑』(大和書房、2023)を読む

「若い鳥たちは上手にさえずることを夢見ながら最初の冬を過ごす(実際、眠っているあいだに「練習」していることが研究でわかっている)。」(171頁)

 

原語タイトルは Nautre Anatomy で、「自然界」という訳語は本書のカバーするトピックにうまくマッチしている。ここでは大気から地形まで、動物から植物まで、この惑星を形成する自然環境が幅広く取り扱われている。下手ウマな感じのイラストと手書き文字に、簡潔だが的を射たキャプションのついた、簡易百科事典とでも言おうか。

雰囲気重視という印象がないとは言えないし、とくに動植物のピックアップについては恣意的な感じもするけれど(というよりも、原書の想定読者であるアメリカの読者にカスタマイズされたセレクションになっていると言うべきか)、200頁強で押さえるべきところは的確に押さえてはいる。通読してもいいし、拾い読みしてもいい。本棚に置いておきたい本だ。

 

ジュリアン・ロスマンは「Anatomy」シリーズをいろいろと出版しているイラストレーターとのことだが、そのような側面はイラストレーション以外でも遺憾なく発揮されている。本書のところどころで、自然の描写の仕方についての簡単なインストラクションがある。たとえば、38ページの「描きこまない水彩画(Loose Landscape Painting)」。それから、自然を味わうための料理レシピが入っているのも、本書のユニークな特徴だろう。

ロスマンのイラストは、対象のかたちを大きくとらえて、ざっと輪郭を引き、そこからはみ出すことを気にせず、フリーハンドで色を塗るという系統のものだ。それはいわゆる百科事典が要求するような細密画の対極に来るものであり、その意味では正確ではないけれど、大づかみにするから見えてくるニュアンスはたしかにある。科学的な知識そのものをインプットするためというよりも、科学的知識にもとづいて自然を「鑑賞」するための見方を、イラストレーターの視線や手つきをとおして体感するための本。

 

とはいえ、随所のきわめて興味深い科学的トリビアがあることも事実。面白いと思ったものをいくつか拾っておく。

 

霧 fog と 靄 mist の違いは、視程。1キロ未満の場合は霧、1キロ以上だと靄。濃度の問題ではあるけれど、その判断基準が1キロという距離であるとは知らなかった(47頁)。

雷は空気中のイオン(電荷を帯びた原子または原子団)の作用によっておこる。雷雲の上層と下層にプラスの電荷が、中層にマイナスの電荷が集まるが、この偏りが大きくなると、それを中和するためにマイナスの電荷が下に移動し、その結果、雷が発生する。そして「ゴロゴロという雷鳴は、放電の際に空気が急激に熱せられ、膨張することによって発生する」(48頁)のだとか。中高で習ったのかもしれないが、すっかり忘れていた。

虹を白黒写真で撮ると「均等な幅の光のグラデーション」(53頁)が写る。つまり虹の縞模様がカラーに見えるのは、人間の色覚の働きなのだ。

チョウ butterfly と ガ moth の違い。チョウは昼行性で、ガは夜行性というのは、陽が落ちた後、外灯に集まるガを見ているから、すっと納得するところであるし、チョウが昼の存在であること思えば、チョウは日光で体を温めるが、ガは飛ぶことで体を温めるというのも、なんとなくわかる。しかし、チョウは聴力がなく、交尾相手を視覚で探すが、ガは超音波を聞き取ることができ、交尾相手を嗅覚で探すというのは、まったく知らなかった。チョウは蛹をつくり、ガは繭を作るというのは、知識としては知っていたはずなのに、このように比較として提示されると、不意を突かれた感じがする(80頁)。

落葉樹は英語で a deciduous tree(99頁)。雲の名前にしてもそうだけれど、英語はこの手の名前になると急に専門的なワードになる。リービ英雄だっただろうか、英語だと病名が日常語からかけ離れているけれど——ラテン語ギリシャ語由来の単語なので——日本語の病名では漢字が並ぶので、字面を見れば何となく内容が想像できる、というようなことを述べていた。同じことが自然界の描写についても当てはまる部分があるように思う。

地衣類 lichen が「菌類と藻類が助け合って生きている共生体」(119頁)というのはそもそも知識として頭に入っていなかった気がする。

両生類は、尾の有無が分類の上でキーになるそうだが、ポイントは、成体になっても尾があるかどうかであるようだ。言われてみれば、オタマジャクシには尾はあるが、成体であるカエルにはない。だからカエルは無尾目であり、サンショウウオ類は有尾目なのだとか(152頁)。

鳥たちが羽づくろい preening するのは、汚れを取り除いたり、きれいに整えたりするためだけなのかと思っていたら、「防水性を高めるため」(179頁)とのこと。ほとんどの鳥は、「尾の付け根の尾脂線から出る脂」で、羽毛をコーティングするということらしい。だとすれば、鳥が1日のうち数時間も羽づくろいに費やすのは当然だろう。

蟻浴 anting と呼ばれる行動がある。アリ塚のそばで羽を広げて、羽にアリをこすりつけたり、羽のなかにアリをはわせたりする。アリの出す蟻酸で羽についている寄生虫を撃退するためだそうだ(179頁)。

沼地 marsh とは、湿地は湿地でも、「木は生えていない」(192頁)湿地になるようだ。

「濁った水のなかで生息しているナマズやコイには、ヒゲや体の表面全体に味蕾〔味を感じとる器官〕が存在し、エサとなる小魚を探すのに役立つ」(196頁)。人間の五感を前提にして、人間の五感のポジションを前提にして自然を想像することは、大きな誤りだということを痛感させられる。

ヒキガエル toad とカエル frog の違い(202頁)。英単語として両者の違いはなんとなくは把握していたけれど、ヒキガエルの肌は乾燥して凸凹しており、カエルの肌はなめらかでしっとりしている、というレベルで区別できていたわけではない。ヒキガエルはほぼ陸生で、歯がなく、目が出っ張っていないが、カエルは水生で、歯があり、目が出っ張っている。ヒキガエルは足が短く、ピョンピョン跳ねるぐらいだが、カエルは足が長く、ジャンプしたり泳いだりする。しかし、だとすれば、漫画やイラストなどで描かれているのは果たしてカエルなのかヒキガエルなのかという疑問も湧いてきた。両者が微妙に混ざり合っているのではないか、と。

 

翻訳にはとくに不満を感じなかったけれど、ページによって、英単語が記載されていたりいなかったりと、やや不統一な感じはする(日本語と併記するスペースがない場合は削除したのだと思う)。

また、原書では、イラストに付けられたキャプションはロスマンの手書き文字であり、その意味では、文字もまたイラストの一部だったのだと思うのだが、これが訳書では手書き風フォントに置き換わっているのが、ちょっと残念といえば残念ではある。もちろん、そこまでやったら本の製作コストが上がりすぎるだろうから、これは仕方のないことではあるとは思うけれど。