うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20230811 さくらももこ展@静岡市美術館

ちびまる子ちゃん』はほぼリアルタイムで受容していたけれど、彼女が清水出身であることは意識していなかったように思う。漫画の中で次郎長のネタがあったと思うし、その他にも静岡ネタは仕込まれていた気はするけれど、さくらももこが市を上げて推すような存在であることに気づいたのは2017年のことでしかない。そのときになって初めて、清水のショッピングモールに「ちびまる子ちゃんランド」なる施設があることを知ったのだった。

展覧会としては「漫画家の原画展」の部分がメインであり、エッセイストとしての側面が直筆原稿によってクローズアップされているという感じ。手書きの原稿用紙を拡大したものがタペストリーのように天井そばの壁を覆っているセクションがあったり、母としての側面、息子との合作が取り上げられてはいたりと、たしかに「さくらももこ展」ではあるのだけれど、経歴紹介にしても彼女自身の言葉によるものが入り口付近に掲げられており、「さくらももこによるさくらももこ展」という雰囲気は濃い。相対化が成されていないとでも言おうか。ファンには嬉しいだろうし、普段は美術館に来ない層にもとっつきやすいだろう。しかし、「美術館」の常連からすると、「さくらももこ」のネームバリューに頼った展覧会すぎるのではという気もするところ。

それはさておき、やはり自分が読んで知っていたのは1980年代後半から1990年代にかけてのさくらももこ、『ちびまる子ちゃん』のさくらももこであったということを、再確認した。この年代の直筆原稿については、見た瞬間に、単行本で読んだ記憶がすっとよみがえってきた。その反面、それ以降のものについては、「そうか、まだ描いていたのか」という驚きすら感じてしまった。

とても不思議なのだけれど、1965年生まれのさくらももこは、1980年生まれの自分にとって、同時代というには「すでにある」ものであり、どこか歴史的というか、「古典的」な部類に入るものと捉えていたのかもしれない。

しかしそれはあながち個人的な錯誤ではないような気もする。『ちびまる子ちゃん』の連載が『りぼん』で始まったのは1986年。バブルの時代とパラレルではあるものの、『ちびまる子ちゃん』が描き出すのはそれよりも前のこと、作者の小学生時代である1970年代。『ちびまる子ちゃん』はつねにすでにノスタルジーの物語、昭和の物語であり、だからこそ、『ドラえもん』の後塵を拝するような「国民的」なものになりえたのではないか。

(そう考えると、1990年に連載が始まった『クレヨンしんちゃん』がバブルの時代の空気を捉えた同時代的なものであり、だからこそ、いまだにアップデートに耐えるだけの余白を持っているのは面白いところ。)

けれども、『ちびまる子ちゃん』が「昭和の物語」であるとしたら、さくらももこのエッセイはむしろ80年代のサブカルの権化ではないかという気もする。単行本やエッセイの装幀には、「エスニック」で「サイケデリック」な色遣いや描きこみがあり、彼女の感性はむしろ流行の最先端を捉えていたのだと思う。ここには、外の世界にたいするあっけらかんとした楽天性と、内面世界での自己パロディ的なニヒリズムと、自分の生活圏内の人間にたいする愛情とが、かならずしも折り合いをつけることなく、同居していたように見える。

(だからこそ、彼女が2000年代以降に『ちびまる子ちゃん』を描こうとしたとき、それがスピンオフ的な別視点からの物語になったり、4コマ漫画という俳句的メディアに移行したのは、わかるような気がする。)

ともあれ、『ちびまる子ちゃん』が、『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』に並ぶ国民的物語、国民的キャラクターの創出に成功したのは、キャラクターのアイコン性にあったのではないかということにも気づかされた。「まる子」の造形は、丸顔で、おかっぱでギザギザの前髪で統一されてはいるものの、目の描きこみは割と幅があるようだ。同一キャラと認定できる範囲内で、かなりのバリエーションが存在していたのだろう。

さくらももこの漫画家/イラストレーターとしての手腕がデフォルメにあったことはまちがいないだろう。メインキャラクターは大きくデフォルメされており、だからこそ、多少絵柄が変わろうが、多少造形が変わろうが、同一キャラと認識できる。その一方で、サブキャラ、とくに、おっさんキャラはわりと写実よりのものだったことにも気づかされた。とはいえ、全体として、彼女が作ったのはあくまで類型であって、リアリズム的な似姿ではなかったのだと思う。)