うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20230915 糸で描く物語——刺繍と、絵と、ファッションと。@静岡県立美術館

20230915 糸で描く物語——刺繍と、絵と、ファッションと。@静岡県立美術館

焦点の定まらない展覧会というのが正直な感想。「糸で描く物語」というタイトルと、告知ビラやポスターから、刺繍やタペストリーによる具象的な作品なのかと思いきや、そういうわけでもない。会場は20世紀初頭のチェコスロバキアの民族衣装、20世紀後半のイヌイットの壁掛け、日本を中心とした刺繍作家の作品、フランスのオートクチュールのメゾンのアーカイブ(洋服とバッグが主)と作品の4部から構成されている。しかし、これらをひとつの展覧会として同居させる共通項は何なのか。

spmoa.shizuoka.shizuoka.jp

なるほど、たしかにどれも「糸」で作られてはいる。しかし、なぜこの4つの地域(中欧、北アメリカ、日本、フランス)なのか。匿名的な民族衣装、伝統的生活の基盤が切り崩された後の観光土産として始まったらしい壁掛けと、職人的な手仕事を個性へと昇華させた刺繍と、圧倒的な技術を集団として表現する洋服は、匿名/個人名という点でも、身につけるもの/置き飾るものという点でも、4つに共通するものはない。時代的にも異なっている。チェコスロバキアのものは20世紀前後、イヌイットのものは70年代以降、展覧会後半は現代物が多かったと思う。

(ところで、展覧会タイトルのオフィシャルな英訳は Stories Drawn in Thread, Embroidery, Illustraion, and Fashion だが、これを見ると、日本語タイトルの「糸で描く物語」は Thread, Embroidery, Illustraion, and Fashion のうちの Thread をクローズアップした訳であり、残りの三つを「刺繍と、絵と、ファッションと」でサブタイトルにしたことがわかる。というわけで、この展覧会のまとまりの悪さを象徴的に露呈させているのは、英訳タイトルである。)

もしここになにか共通するものがあるとしたら、縫うこと(織ることではなく)だろうか。もちろん、民族衣装の場合、布自体がみずからの手で織られたものだったのかもしれないが、この展覧会でクローズアップされていたのは、織られたものを縫い合わせる糸であり、布の表面にあしらわれる刺繍やアップリケやビジューであり、さらに言えば、そのために費やされた「てしごと」なのだろう。

いまや刺繍でさえコンピューターミシンで出来てしまうのかもしれない。しかし、ここに見られるのはそのような大量生産品の対極にあるものだ。一針一針、人間の手が糸をとおして出来たものであり、ここではそのために費やされた時間とそのために必要とされた技術が具現化している。オートクチュールを作る職人と、民族衣装の作り手のあいだには、技術力において、圧倒的な開きがあるのかもしれない。しかし、だとしても、費やされた時間については、技術力ほどの開きはないような気もする。縫うことはきわめて労働集約的な仕事であり、どうあっても時間のかかる作業であるように思われるからだ。

ともあれ、このようなものを見ていると、人類の技術というのは、どこまで多発的創造で、どこまで相互模倣や影響なのか——縫うという行為、縫うための針や糸、針の形状は、どこかで創造されて広まったのか、それとも、似たようなものが多数の地で相互に無関係に創造されたのか——と考えてしまう。

そういえば、このあいだの市美術館(さくらももこ展)でもそうだったけれど、今回の展覧会でも、紙媒体の作品目録がなく、QRコードで各自ダウンロードとなっていた。経費削減ということなのか、それとも、誤りがあったときに即訂正できるようにということなのか。目録とにらめっこしながら展覧会を回ることはあまりないけれど、それでも、手元に気軽に参照できる目録がないのは、ちょっとさびしい気もするところ。