うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

音楽のキュビズム、または崩壊寸前のストラヴィンスキー『放蕩者の遍歴』の初演の最後

イタリアはヴェニスフェニーチェ劇場で1951年9月11日に初演されたオーデン作詞ストラヴィンスキー作曲の『放蕩者の遍歴』は、オーデンの英語の韻律と、ストラヴィンスキーの音楽の拍動が重なりあわないようになっている――英語として自然なアクセントがあるところに音楽のダウンビートがこない――おかげで、「音楽的キュビズム musical cubism」になっているのだという議論をNYRB2021年10月21日号のMatthew Aucionの"The More Fraught the Better”で読んで、YouTubeで音源を探して初演のライブ録音の最後の6重奏を聞いてみたら、So let us sing as oneの重奏の入りが揃わず、音楽が崩壊しそうになっている。

その直前で弦楽器が数人フライングしているので、歌手だけの責任ではなく、もしかすると指揮棒を振っていたストラヴィンスキーのせいなのかもしれない。

ともかく、バスが半拍遅れで入ってきて、ほかの歌手が歌わないから自分が間違えたのかと声が立ち消えると、そこに、ソプラノ(シュワルツコップか?)が1拍遅れで堂々と入ってくるので、他の歌手たちも便乗する。

しかし、それに続く休符部分で、歌手たちは間違えたことに気づいたようだが、歌を止めるわけにもいかず、あわないまま無理やり続ける。

ストラヴィンスキーは一瞬タメを入れて、休符を長めにとってつじつまをあわせようとするが、うまくいかない。

そのなかで、シュワルツコップだと思うが、ソプラノだけが立て直しに成功し、ひとりだけくらいついてく。

他の歌手たちもなんとか合流に成功する。

ただ、やはり動揺は消えていないのか、最後のラインであるFor you and youで、弦楽器のピチカートとズレる。声のハーモニーも揃わない(すくなくとも、後年にステレオで録音された自作自演とは響きが違う)。

オーケストラだけの後奏部分は、ティンパニがかなりバタバタしていて、これも別の意味で崩壊寸前だが、こちらは力業で押し切った感じ(1950年代前半のイタリアの放送録音の例にもれず、かなり録音が悪いので、そのせいでこういうふうに聞こえるのかもしれないが)。

いろいろな意味で貴重な初演の記録ではある。

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