うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

敗戦の物語としての沼正三『家畜人ヤプー』

「原始日本人は、縄文人弥生人とも「草木も物いう」アニミズムを信じていた。絶対的超越者を知らず、まともな宗教的信念なんかない民族だった。思想も哲学もない代り、美的センスだけあった。無宗教同然だから、自分より優れたもの自分より美しいものなら何でも拝む傾向があった。だから、今日見たあのアンナ・テラスを天照大神として受け入れた。仏教が到来すると教理より先に仏像の美しさにいかれた。キリスト教が根づかなかったのは、十字架上のキリストの磔像が美を感じさせなかったためで、マリア像だけならもっと成功したのじゃなかったか。とにかくそんな風だから美しい肉体をもつ白人を神様にして拝む宗教にもすぐ馴らされたのだろう。」(沼正三家畜人ヤプー』37章3)

「白人国家の植民地になることに抵抗したくせに、文化的には植民地土人よりも白人にいかれて真似をした。白人の文化に憧れてヨーロッパへの使節団まで出して輸入に努めた。こんなことをした劣等種族は他にいない。」(39章2)

「はい、私は貴女に永久占領されていたいのです。独立国でなく属領になるのが望みです――もしイース人が昔の日本を征服占領し、属領になった日本に貴女が支配者として臨む、そんな時が来たら、私は喜んでお供します。」(49章4)

暇つぶし(?)にぱらぱらページをめくった程度なので、読んだとはとても言えないけれど、これが敗戦の物語であることはよくわかった。戦前から持ちこされた近代日本社会/文化の闇を感じる。この点において、どこか松本清張と似ていると思う。小島信夫の「アメリカン・スクール」にも似たような精神的屈折がある。でもまあ、留学中に読む(べき)本でないことだけは確かだ。いろいろと心が歪む。