うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。アメリカの男たちの身体の落ち着きのなさ。

アメリカ観察記断章。『グレイト・ギャツビー』を再読していたら、こんな一節があった。「彼は車のダッシュボードのうえで、まったくアメリカ的なあの持て余しぎみの体の動きをどうにか抑えようとしていた。思うに、これは若い頃に体を動かしたりきちんと座ったりしてこなかったせいなのだろう。さらに言えば、これはそわそわと気まぐれにやってきたつけなのだと思う。こうした落ち着きのなさが表面的な几帳面な振る舞いからいつも透けて見えていた。彼はどうしても止まっていられなかった。いつも足がどこかをタップしていたし、手はせわしなく閉じたり開いたりしていた」(拙訳)。自分が几帳面で神経質すぎることは否定しないが、アメリカの男たちは体をいつも揺すっているような印象がある。日本語で言うところの貧乏ゆすりがデフォルトなのだ。静謐さとか不動さというのは、つまるところ、文化的な感性なのだと思う。もしこの観察が正しいとするなら(ギャツビーはジョック的なものの失敗例だからーーとはいえそれはギャツビー本人の資質のせいではなく経済的社会的な財産の欠如のせいだけれど)、いわゆるギーク的な人々(たとえばジョブズ)が禅的なあえて動かないことの美に惹かれることがなんとなく腑に落ちる気がする。