うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。年上と目上の曖昧さ。

 
アメリカ観察記断章。年上と目上の曖昧さ。欧米人はアジア人の年齢がわからないという言説はよく目にするが、アジア人(と言っていいだろうか?)である自分からすると、アメリカ人の年齢の見えなさだって相当なものだ。まあ、年齢の可視性はさておき、アメリカには年齢とキャリアにさほどの相関関係がないのでは、と思う。大学院生を見ても、年齢はかなりまちまちで、学年が上イコール年上ではまるでないし、ましてや、年上だから学識も上というようなロジックは成立しない。見方を変えるなら、アメリカはさまざまな寄り道ないし回り道を許容するほどに懐が深く、何度でもやり直せる社会である、と言ってよかろう。それに比べると、日本は正解ゾーンが狭すぎる社会かもしれない。新卒でなければいいところに就職できず、会社勤めしてから大学院に行って研究者になるというのは相当なガッツが必要で、ましてや人文系大学院に身を置いてから企業に勤めるというのはそれ以上のエネルギーがいるだろう。それもこれも日本が一本道のレールを順守する社会だからではないか。いい大学に行きいい会社に入る、さもなければ大学に大学院生として居座り続ける、の貧しい二択。