うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

普遍言語の可能性(モース『国民論』)

「文明どうしは相互に出会い、相互い補完することができる。少なくともわたしたちの近代語彙のほぼ三分の一は、そしてまた、わたしたちの会話の大きな部分は、同一の格言やら言い回しやらで満ちあふれている。純粋理性・実践理性・人間的判断力の獲得物にほかならない推論や問題やら解法やらで満ちあふれているのである。観念はただたんに翻訳可能なのではない。観念は同一なのだ。科学と技芸(政治的なもの、倫理的なものを含めて)が大きな発展を遂げ、人類の教育と伝承の生かとして美術と理性が大きな発展を遂げている以上、わたしたちの精神の普遍的な部分が一つの普遍言語に到達することがないなどと想定せねばならぬ理由はまったくない。いたるところで等価なものを、言説の細部においてさえ等価なものを、見いだすことがないなどと想定せねばならぬ理由はないのである。」(モース『国民論』225頁)