うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

特任講師観察記断章。Equalでdifferent。

特任講師観察記断章。Equalでdifferent。「民主主義は、ある意味、矛盾に立脚するシステムです。民主主義は、わたしたちに、equalでありながら、diverseでdifferentであることを求めます。権利のうえではequalでなければならない。たとえばある人は5票持っているけれど、べつの人は1票だけ、またべつの人は1票もないという不平等のなかでは、民主主義は立ち行かなくなります。しかし、その一方で、わたしたちはそれぞれ異なっている必要がある。というよりも、わたしたちの考え方や感じ方が誰かと完全に一致するということはありえないのです。もしわたしたちがまったく同じであるとしたら、まったく同じ意見や感性を持っているとしたら、それこそ不自然であり、全体主義にほかなりません。わたしたちは、いまあるそのままで、それぞれに異なっている。このあたりまえの事実から始めるべきであり、この事実をこそ愉しみ、讃え、誇るべきなのです。違っているから面白いのです。違っていることを貶めたり蔑んだり恥じたりしていたら、生きづらくないですか。生きづらい道をわざわざ選ぶのはやめにしませんか。なぜわたしがみなさんに自発的に意見を言ってもらいたいのか。それは、わたしたちのあいだにある、微細かもしれないけれど、だからこそますます重要であるさまざまな食い違いを感じること、似ているようで完全には似ていない他人の感覚や思考をなにかしらのかたちで共有すること、そのような違いをインスピレーションにして反応すること、共同で即興的に想像=創造していくことが、絶対に必要であるとわたしが思うからです。誰かを指名して何か言わせたほうが楽なのは当然です。しかしそれは恐怖政治のようなものであり、やりたくないというのが本心です。ですが、さすがにこうまで誰も何も言ってくれないとなると、不本意ながら、そうした暴挙に出ざるをえないのですが、さあ、どうしたものでしょうかね」と、長々と言い訳がましい勧誘をしてもなかなか手が上がらないと、さすがにどうすればいいのかと途方に暮れてしまうが、もしかすると、こちらのお手製の問題の難易度がただ単に高すぎて学生が本当に答えられないという可能性も捨てきれない。
Foreignの問題性。「語学的なことを言えば、foreignerもforeign cultureもOKではあります。しかし、みなさんは、foreignやforeignerをいったいどのような意味で、どのようなニュアンスで使っているのでしょうか。インクルーシヴという言葉はどこかで聞いたことがあると思うのですが、foreignというのはインクルーシヴでしょうか。foreignにある「異質な」という含意を、みなさんはどう考えているのでしょうか(ここでカミュのL'Étranger の話に飛ぼうかと思いつつ、あまりに脱線すぎるような気もしたので、それは断念した)。foreignというのは、きわめてドメスティックな感性でもあります。ひとたび国外に出れば、わたしたちこそがforeignerになるわけですが、そこで、I'm interested in foreign cultureと言うつもりでしょうか。この言葉を絶対に使うなとまでは言いません。しかし、ここにあるexclusiveな響き、we/theyといった敵味方の峻別に連なるような線引きの力学をまったく意識することなく無神経にforeign/foreignerと口にするのは、いかがなものでしょうか」と口にしながら、「このあたりのことを学部できちんと教えていないというのは、どういうことなんだろう、国際と学部に掲げるなら、このあたりの感性は基本中の基本だろ」と心の中で悪態をついてしまうのであった。
ノンジャンル。なかなかよいことを言っていると思うのだが、反応がないところまで含めて、お家芸と化してきた。このようなパフォーマンスをどうカテゴライズしようか。説教ではないし、愚痴でもない(すくなくともそういうつもりではない)。正直、このようなことを言わずにただ職務として黙々と英語を教えていればよいような気もするのだけれど、ことあるごとに、そこから脱線したい誘惑に駆られてしまう。そして、そのような脱線をこそ愉しんでいる自分に気づいてもしまう。学期末の学生評価で「関係ない話をしすぎ」みたいなコメントがないのが不思議といえば不思議だが、学生にしても、こうした話が英語学習とまったく無関係ではないということをなんとなくはわかってくれているということだろうか。