「ピーチャム おれは気づいたんだ、この地上の金持ちどもは、貧困を生み出すことはできるくせに、貧困を直視することはできないってな . . . あいつら、腹が減ってぶっ倒れる人間を目撃して、知らんぷりをするってのは無理なんだ。だから、どうせぶっ倒れるなら、あいつらん家の目の前でぶっ倒れてやんなきゃな、もちろん。」(大岡淳訳『三文オペラ』120‐21頁)とブレヒトは「乞食の友社」のオーナーに言わせるが、現在、1)貧困を生み出した金持ちは貧困を直視する必要がなく、2)貧乏人は金持ちの家の前に近づくことすらできないのではないか。
ノブレス・オブリージュはそれよりもさらにうさんくさく、実効性にも欠けるトリクルダウンに取って代わり、ゲーテッドコミュニティが空間的にも富裕層と貧困層を切断している。
貧困がスペクタクルであり、さらに言えば、「使える」スペクタクルである点には依然として変わりはないだろう。しかし、そのようなスペクタクルが――不謹慎であることを承知でいえば、エンターテーメントとして――消費されてしまう危険性は、インターネットが社会のデフォルトになった21世紀において、はかりしれない。