うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

「あなた方の問題」をわたしが考える(ブレヒト『屠場の聖ヨハンナ』)

「ヨハンナ スパイなんかじゃありません。心からあなた方の問題を考えているんです。

第二の指導者 俺たちの問題? じゃ、あんたの問題ではないのかね?

ヨハンナ 工場主があんなにたくさんの人たちを路頭に放り出したのに、それでも一般の人たちは無関心なんです。貧しい人たちの貧しさがお金持ちの利益になればいいと言わんばかりじゃないですか! もしかしたら貧しさそのものが、貧しい人たちの仕事のように考えられているのかもしれません!

(労働者たち、げらげら笑う)」(ブレヒト『屠場の聖ヨハンナ』)

 

ファウストジャンヌ・ダルクを混ぜて(ファウスト=ジャンヌ=純真な下の人間、メフィストフェレス=狡猾だが情に打たれることがないわけでもない上の人間=資本家)、そこに19世紀自然主義からプロレタリア文学にいたる作品群のエートス(ゾラやノリスやハウプトマン、それにアプトン・シングレアのようなマックレイカーmuckrakerと呼ばれた醜聞をすっぱ抜く20世紀初頭のジャーナリズム、カール・クラウスの毒舌と皮肉)を足すと、こんな感じになるだろうか。救い手になれたかもしれない人間は右往左往し、ビルドゥングロマンの主人公よろしく現実を学びはするが、その学びによって社会に自発的に再統合されることも、社会を自発的に変革することもなく、正しくはない既存の社会に包含されて終わる。いかにもブレヒトらしい皮肉。