うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。物乞いの3類型。

アメリカ観察記断章。長らく住んでいたオレンジ郡アーバイン市は相当システマティックに好ましからぬ人々を追い払っていたからそもそも見かける機会をあまりもたなかったのだが、ロングビーチダウンタウンやLAを訪れるようになると、物乞いやホームレスを見ないですませることはできない。物乞いにもいろいろあるが、だいたい3種類にわけられるだろうか。

1)ホームレス。彼ら(そういえば自分がこれまで目にしたホームレスはほぼ中年の男だった)はいわば消極的な物乞いである(地べたに座りこんでその前にプラスチックカップを置いている)。カップを振りながら近づいてくることもあるが、動きは鈍く、無言であるか、聞き取れぬ言葉をつぶやいているかのどちらかで、積極的に絡んでくることはない。

2)無職、失業者。最近、土曜の朝は、トーランスのファーマーズマーケットに行っているのだが、フリーウェイから下道に出るところで3週連続で同じ男が物乞いをしているのを見かけた。これを「物乞い」と言っていいのかは少々とまどう。30代くらいの黒人の男で、「LAID OFF/ SINGLE PARENT/ 2 KIDS」と書かれたA3サイズのダンボールを胸のあたりに掲げ、信号待ちをしているドライバーに見えるように歩いている。無理やり絡んでくることはない。ただダンボールのプラカードを見せつけるように通り過ぎていくだけだ。フリーウェイから出るところ、ショッピングモールの車入口など、車が減速し、一時停止する場所にこの手の物乞いを見かけることが多い。彼ら(そういえばこのたぐいの物乞いも自分が見かけたかぎりでは男がほとんどだ)は揃いも揃ってダンボールにマジックで書いたプラカードを掲げている。

3)これら2つのタイプの物乞いが個人ベースのものだとすると、集団ベースの物乞いのようなものもある。教会などが組織しているらしい、日本で言うと募金に近いようなものだ。これはスーパー入口がほとんどで、机に椅子まで用意している。募金を集めている側も制服のようなものを着ている場合がある。たとえば日曜朝にたまにいくロングビーチ東南のファーマーズマーケットそばのホールフーズ入口では赤いラインの入った白いワンピースに同じスタイルの帽子をかぶった女性が毎回辛抱強く座っている。救世軍とか赤十字とかそういう系列のものだ。

さて、こういう物乞いや募金は成功しているのか。とりあえず無視されず戦果がゼロでないことを成功と定義するなら、これらはどれも成功している。とくにトーランスで毎回見かける男だが、河岸を変えずにずっとやっているところからすると、まったく空振りに終わっているわけではないのだろう。これはアメリカ人が親切だからというよりは、寄付することがある種の文化的行為として人々の行動のレパートリーのなかに入っているせいだと思う。これと同列に並べるのは少し違うかもしれないが、大学のキャンパスではときどき子どもたち(とその親)がスナックやクッキーを並べて売っていることがある。学校の活動資金のためのバザーなのだと思う。とくになんの変哲もない代物だが、意外に売れている。それはおそらく、買う方にしてみえれば、自分たちもかつて通った道であり、子どもたちから買ってあげることでかつて自分が子どもだったときに買ってくれた誰かに報いているのだろう。