うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。サードウェーブ系コーヒーショップのなかの微妙な違い。

アメリカ観察記断章。コーヒー好きなので(あとコーヒーはいくら高くともたかが知れているから、というのもあるが)いろいろな店に行ってみた。偏見かもしれないが、いわゆるサードウェーブ系のなかにも微妙な違いがあるように思う。そしてそれと似たような微妙な温度差を、ここ数年で現れてきた新世代の食べ物屋のなかにも感じる。何が言いたいかというと、一方にちょっとマッチョでホモソーシャルな感じの店があり、他方にナードでセンシティヴな感じの店がある。一方に外向的でリア充な奴らがやってる店があり、他方にちょっと内向的な感じな奴らの店がある。一方に体育会系な感じの店があり、他方に文化系な感じの店がある。たしかにこれらはみな「意識高い系」なのだが、前者がアグレッシブな感じだとすると、後者はポジティヴぐらいでとどまっている気がする。

個人的に前者の店ではくつろげない。インテリアはいいし、コーヒーの味もいいけど、客層さえ微妙に違う気がする。いや、この客層の違いは、店のせいでも店員のせいでもなく、立地によるところが大きいかもしれない。しかし自分の直感を信じるなら、アメリカの新興の飲食店は、マッチョでホモソーシャルという方向と、ナードでフェミニンな方向のふたつに分岐しているのだと思う。表面的にはどちらもマッチョな感じがするけれど、内情は違うような気がするし、店員の男女比にもそれは反映されているような感じがする(前者はえてして男主体であり、後者も男が多いが女もいる、または女主体の店ではだいたい後者の雰囲気になる)。

これはまさに「観察」にしか基づいていないので、的はずれなことを言っているという感じはかなりするけれど、パン屋でもアイスクリーム屋でも、コーヒーショップでも雑貨屋でも、直感的に自分の気に入るところと気に入らないところがあるのは否定できない事実だ。そしてそういう好き嫌いが、品揃えとか味ではないことを思うと(というのもその点についてはあまり大差ないし、どこもちゃんと美味しい)、ポイントは、店の雰囲気にあるのだと思う。まあ、何が真実かはわからないが、意識高い系だけどリア充じゃない系の店が見つかるのはアメリカの多様性のなせる業だと思う。そこは大いに評価したい。