うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

近代社会における義理(対他的社会的要請)と人情(対自的心理的衝動)の分裂と矛盾。外と内、公と私の亀裂。(夏目漱石『道草』)

「貴夫こそ形式が御好きなんです。何事にも理窟が先に立つんだから」
「理窟と形式とは違うさ」
「貴夫のは同なじですよ」
「じゃいって聞かせるがね、己は口にだけ論理を有っている男じゃない。口にある論理は己の手にも足にも、身体全体にもあるんだ」
「そんなら貴夫の理窟がそう空っぽうに見えるはずがないじゃありませんか」
「空っぽうじゃないんだもの。丁度ころ柿の粉のようなもので、理窟が中から白く吹き出すだけなんだ。外部から喰付けた砂糖とは違うさ」
 こんな説明が既に細君には空っぽうな理窟であった。何でも眼に見えるものを、しっかと手に掴まなくっては承知出来ない彼女は、この上夫と議論する事を好まなかった。またしようと思っても出来なかった。
「御前が形式張るというのはね。人間の内側はどうでも、外部へ出た所だけを捉まえさえすれば、それでその人間が、すぐ片付けられるものと思っているからさ。丁度御前の御父さんが法律家だもんだから、証拠さえなければ文句を付けられる因縁がないと考えているようなもので……」
「父はそんな事をいった事なんぞありゃしません。私だってそう外部ばかり飾って生きてる人間じゃありません。貴夫が不断からそんな僻んだ眼で他を見ていらっしゃるから……」
 細君の瞼から涙がぽたぽた落ちた。いう事がその間に断絶した。島田に遣る百円の話しが、飛んだ方角へ外れた。そうして段々こんがらかって来た。(夏目漱石『道草』九十八)