うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。First AME Church of Los Angelesにて

舞台(という言葉はちがうと思うが、正式名を知らないので)左手のブースにはドラム、エレキベースエレキギター、右手のブースにはキーボード奏者がいる。いわゆる教会音楽(バッハとか)とは一線を画するパワフルな、ノリのいいサウンド。というかコーラスがノリノリだ。ここまでくると「儀式」というより「エンターテイメント」に近い。なんというか、ラップのようなノリで聖書的語句を歌いあげる感じ、といえばいいか。実際、ひとりがそういう文句を朗誦するのに応えるように合唱が歌う場面もあった。あとで聞いた話だが、合唱は三つか四つくらいちがうグループがあるらしく、たぶん自分が列席したときはかなりカジュアルなグループだったのかもしれない。なにせ装いがものすごくカラフルだったから。YouTubeで同教会のコーラスのものを見つけたが、まだおごそかなほうだ。しかし6分30秒あたりから指揮者もコーラスメンバーも手拍子しながらノッてくるのは同じだ。http://www.youtube.com/watch?v=ZbfkdZQ3L_M

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祭壇(というのかな?)両脇にスクリーンがあり、ライブで映像が流れる。カメラマンがハンドカメラで舞台下から撮っているし、教会後部の二階部分には固定カメラがある。リアルタイムで両者の映像を切り替えていた。そしてどうやらこの映像はリアルタイムで配信されているらしい。映像技術、ネット技術と宗教の融合というのはちょっと奇妙な気もするが、ローマ法王ですらtwitterをやる世の中だし、むしろ、イデオロギー的にはもっとも保守的な集団こそ先端技術を最大限に応用しているのかもしれない。

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とにかくいろいろと度肝を抜かれたのは、ミサが身体的ダイナミクスにあふれている点だ。歌に始まり、歌に終わる。歌の最中にダンスっぽいものが始まる。合唱のときは信者らが手拍子を入れるし、立ちあがることさえある。それから色の華やかさ。英作文の授業でアフリカン・アメリカンの学生をみて思っていたが、彼女ら彼らには独自の美意識がある。アフリカン・アメリカンは自らの実存を美的、歴史的、政治的にセルフ・ファッショニングすることの意義を完璧にわかっているようにすら思われる。女性の衣装だが、かなりの人がいわゆる民族調のドレスのようなものを着ていた(紫系統などの色合い、プリント(染め)の模様)。アフリカン・アメリカンの美意識には自らのルーツにたいする思いがこもっているようにすら感じた。教会だからというのもあろうが、アフリカン・アメリカンの人々はなんとフレンドリーなことか。教会の外ですれ違ったときは気軽に声をかけてくるし、我々がフルブライトプログラムからのビジターだと紹介されると、率先して握手を求めてきた。この身体の律動をとおした親密さ、リズムを媒介にした共同体、教会をつうじた歴史意識の共有、そして神への信頼。頭ではわかっていなくもなかったが、こうして実際にその場にいなければ、ここまでその知識が実感になることはなかったように思う。そういえば、説教部分もめちゃくちゃノリノリな感じだった。内容はおごそかだけれど、話がノッテくると、テンポが上がり、リズムが生まれ、ラップのように言葉がはずみ、短いフレーズが重なり長いフレーズがたたみかける。聴衆が敏感に反応し(Yes!などの掛け声、拍手、立ちあがる)、会衆がひとつの方向にまとまっていく。非有神論者の私には少々それが異様に感じたことは付け加えておきたいが、あのライブの迫力は普通の世俗的スピーチではちょっとありえないと思った。

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