うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。アメリカの学生のタイプいろいろ。

アメリカ観察記断章。英作文の授業を受け持って四年目になり、教師の勘とでも言うべきものがだいぶ発達してきたようだ。学生のタイプが最初の一週間でだいぶ読める。そこで思い至ったのが、彼女ら彼らの生活文化圏とタイプにはある種の相関関係があるのではないか、という仮説だ。もちろん南カリフォルニアにおける文化圏の問題はおそろしく込み入っている。中国系とメキシコ系の両親から生まれた父とヴェトナム系と中国系の両親から生まれた母から生まれアメリカで育った子供はいったいどこにカテゴライズされるだろうか? ともあれ、見た目(服装と顔つき)と名前(なんだかんだで名前の見えやすさはあなどれない)から適当に推測したいいかげんな見積もりによれば、中国系男子は総じて引っ込み思案で後ろに座ってほとんど発言しない(たまに例外あり)、インド系男子はやや距離を置いた態度だが要所要所できっちり言いたいことを言うしかなり弁が立つ、パキスタンあたりの男子はどこか一物あるような顔つきで一番後ろに座り沈黙を保つ(ほぼ例外なし)、韓国系男子は静かな輩がいる一方でとてもひょうきんで積極的に発言する輩もいる(二極化)、メキシコ系男子はけっこう積極的でディスカッションのときはいい感じに喰いついてくる、スポーツマンタイプの白人系は積極的なようで消極的、そうでない白人系、いわゆるギークっぽいマニアックな面々はだいたい授業運営を補助するような役割を担ってくれる。ヴェトナム系女子はひじょうに積極的でディスカッションにもオフィスアワーにも率先して参加する、中国系韓国系女子はすべきことはちゃんとやるが顔が見えない感じ、メキシコ系中東系女子は授業を活気づけてくれる重要な人材、白人系女子はちょっと引いたところで淡々と任務をこなす。これはすべて個人的=主観的観察の域を出ないし、彼ら彼女らがこうした顔を見せるのは自分が異人=日本人だからかもしれない。でも、そういうことを差し引いても、この目測はそこまで的外れではないのではないと思わなくもない。