うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

翻訳語考。冠詞の問題、数の問題。

適当日本語比較論。西洋語をすこしでもかじったことがある方なら冠詞の問題の厄介さをよくご存じだろう。それと近いところで単数複数の問題があると個人的に思う。日本語は数量表現について無頓着すぎるともいえるし(全般的な意味で)、こだわりすぎるともいえる(個別的な意味で)。漢語なら「諸」という表現が広く使えるのかもしれないが、和語はどうだろう。「ら」や「たち」か? しかしこれらは人にしか使えまい(昨今では「たち」を何にでも当てはめる風潮があるようだが(「本たち」)、モノを無責任に擬人化しているようでどこか薄気味悪い)。しかしその一方で、日本語ほど数え方が多種多様な言語も珍しいのではないか。一匹、一羽、一杯、一頭、一台、一膳、一冊、一棹、などなど。どうしてこんな数量表記体系が生まれたのだろう。言語のエコノミーから言えばこれは無駄、いたずらな複雑性にほかならないように思う。この百科騒乱ぶりに日本(語/文化)のガラパゴス性を見るのは穿ちすぎだろうか。