うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20251223 Heartbeat Opera のクラリネットと打楽器編曲版のリヒャルト・シュトラウス『サロメ』を観る。

積ん読状態の New Yorker をめくっていたら、アレックス・ロスの痛烈な音楽批評に行き当たった。

常習的に過密スケジュールのメットの音楽監督ヤニック・ネゼ=セガンは、自身が指揮するオペラに特有な音楽様式の特徴をかたちにするためのリハーサルの時間が足りていないようだ。[リヒャルト・シュトラウスの]『サロメ』をかき分けて進んでいく彼のやり方は放縦で、抑制が利いておらず、ワーグナープッチーニを振るときと変わらない。スコアの不揃いな鋭さは鈍り、鞭打つような衝撃はぼやけている。メトの常任になって七期目に入ったネゼ=セガンだが、刮目すべき仕事をしていると言うには程遠い。彼の音楽作りにはこれという彼の顔がない。どれもこれもまずまずではあるが、心に残るものは何もない。

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しかし、同じ記事のなかで言及されている「8人のクラリネットと2人の打楽器奏者」のためにダン・シュロスバーグ(Dan Schlosberg)が Hearbeat Opera のために編曲した『サロメ』は、英語がわかるリスナーはぜひ聞くべき公演だ。English National Opera が使用している英語リブレットはかなりうまく音楽とフィットしており、英語歌唱ゆえの違和感は少ない。

ロスが皮肉めかして述べているとおり、冒頭のクラリネットの上昇音型(と書きながら、『サロメ』の冒頭と『ラプソディ・イン・ブルー』はちょっと似ている気がしてきた)に着想を得た編成という印象ではある。出オチ感がある。しかし、通して聞いてみると、意外なほど不満がない。

もちろん、大編成のオーケストラならではの音量はないし、サックス持ち替えをしたり、多彩な打楽器を使ったりしてはいるものの、音色による変化は乏しい。にもかかわらず、これは依然として『サロメ』になっている。驚くべきことに。

それどころか、音数が少ないからこそ、潤色なフルオーケストラでは覆い隠されてしまいがちな調性の危うさ、不協和な響きが、不気味なまでに前景化してくる。切断されたヨカナーンの首に口づけするサロメのモノローグを導入するトリルに応えるロングトーンの和音は、異界から届く汽笛のようで、20世紀初頭の前衛音楽を飛び越して、現代音楽のようにも聞こえる。

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歌手は総じて男性陣のほうがディクションが的確。ナラボート役のデイヴィッド・モーガンズ(David Morgans)が劇をしっかりと立ち上げ、ヨカナーン役のナサニエルサリヴァンNathaniel Sullivan)がそれを引き継ぎ、ヘロデ王役のパトリック・クック(Patrick Cook)が受けとめる。あまり威厳のない、ハリボテ的な存在を演じるクックも悪くないが、ディクションの正確さと力強さという意味では、サリヴァンが頭一つ抜けている感じ。

女性陣は集音の関係もあるのか、いまひとつ声が入っていない感じ。ただ、シュトラウスの要求する高音を出しつつ、そこにオリジナルではない言葉をのせていくのは、男声よりはるかに難しいというのも事実なのだろう。サロメ役のサマー・ハッサン(Summer Hassan)は健闘しているが、過去の名歌手たちと比べると分が悪い。同じことはヘロディアス役のマンナ・K・ジョーンズ(Manna K Jones)にも当てはまる。

さまざまな瑕疵はあるものの、上演としては筋が通っている。それは『サロメ』を旧約聖書の物語でも、19世紀末の耽美主義の物語でもなく、現代における監視社会や銃社会、家族問題(義父による性的虐待?)という文脈にうまく翻訳してみせた演出家のエリザベス・ディンコヴァ(Elizabeth Dinkova)の手腕だろう。監視カメラの映像が映る壁掛けの複数のモニターと透明なケージがこの演出の肝だ。

このパフォーマンスの影の立役者は、兵士役(この演出では軍人的な出で立ちで、ベストにカーゴパンツ)のジェレミー・ハール(Jeremy Harr)と、小姓役(この演出ではカフェの給仕のような出で立ち)のメリーナ・ジャハリス(Melina Jaharis)だろう。歌唱もさることながら、役者としての貢献度が高い。

 

Heartbeat Opera は、すでにNYCで10年ほど活動しているそうで、「鋭敏な翻案と顕現的な編曲」によって「古典を〈いまここ〉のために再想像/創造」することを目指しているのだという。黒人を主軸に据えたベートーヴェンの『フィデリオ』、アメリカとメキシコの国境を舞台とするビゼーの『カルメン』など、かなりエッジの効いた舞台を作ってきているとのこと(ただ、YouTubeでチラ見したかぎりでは、『フィデリオ』も『カルメン』も原語上演で、編成にしてもピアノと室内オケのような感じなので、英語歌唱でクラリネット・メインの『サロメ』はこのカンパニーにとっても例外的な部類に入るのかもしれない)。

 

低予算であることは間違いない。しかし、限られたリソースでここまで批判的な舞台が創れるものかと感心するし、それが持続可能であることに驚く。こういう公演こそ生で見てみたいものだ。

20251218 ターセム・シン『落下の王国』を観る@ユナイテッド・シネマ幕張を観る。

YouTubeアルゴリズムが表示したショート動画で知って興味を持って見にいったものの、壮大な凡作という印象以上のものは持ち得なかった。たしかに映像の美しさは破格。世界にはこれほどまでに美しい場所が存在するのかと驚きと畏敬の念を覚えるし、それらを的確な構図でカメラに収め、惜しみなく贅沢に使うその手腕には脱帽する。

その一方で、有名俳優に恋人を奪われたスタントマンが、身近な人々をネタにして、自己憐憫的/願望充足的な物語を紡ぎ出すというプロットは、あまりにもありきたり。映画のなかで映画業界のネタを扱うというメタ的な流れにしても、「何番煎じ?」と思わずにはいられない。

 

圧倒的な映像美は映画館の大スクリーンで観てこそのものだという気は気はするところ。小さな画面ではこの映画の魅力は大幅に減じてしまうだろう。

 

とはいえ、『落下の王国』が、被写体の魅力にだけ依存しているわけではないことも確かだ。ここには構図の妙がある。人間を風景の一部と捉えるような大きく引いた絵が、身体の一部を強調するようなクロースアップと交錯する。

しかし、どちらにせよ、ここでは人間は中心ではないかのようだ。ターセム・シンが描きたいのは、活人画、つまり、静止画/動画に落とし込まれた、いわば「死んだ」人間ではないのかという気すらしてくる。

ウィキペディアを見てみるかぎり、ターセム・シンは映画監督/映像作家として大成功しているとは言えない状況にあるようだ。そのなかで、目を惹くのは、レディ・ガガの「911」のMV。

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映像美学という意味では、「911」は『落下の王国』の延長にある。「いかにも」民俗的な衣装。リアリズム的にも感じられるけれど、同時に、創作にちがいないという誇張。意図的なわざとらしさ。

しかし、そのわざとらしさが、編集によって表現へと昇華されている。

だからこそ、ファンタジー(創作)でしかないはずのビジュアルが、あたかも本物(真正)であるかのように錯覚させられてしまう。

そのあたりにターセム・シンの巧妙さがある。

 

ターセム・シンがある種のカルト的人気にとどまり、メインストリームへと躍り出ることができないのは、わかるような気がする。

レパートリーが狭いのだ。狭い領域での洗練は見事だけれど、そこで自己完結して閉じてしまっているような印象がある。特化しすぎた職人とでも言えばよいだろうか。

ロイがバスター・キートンらしき人物につながっていくというのが、史実的に正しいのかはともかく、メタ的には気の利いたプロットではある。このあたりにも、ターセム・シンの映画愛があふれている。

ただ、それで映画として面白くなっているのかというと、どうなのだろう。

 

ながら見にこれほど適した映画もないのではないか。何となく見てみても、随所に登場する世界各地の美麗な風景と、オリジナルではあるもののクリシェ的なもののコラージュであるキャラは、映像的に面白い。

映像としては再見に耐える。しかし、物語としては疑問がある。

 

一度は見ておきたい。しかし、二度目はどちらでもよい。

20251213「淡座第八回本公演 バッハの場 ゴルトベルクの旅、ふたたび」@安養院瑠璃光堂を聴く。

ヴァイオリン、チェロ、三味線のトリオに、尺八を加えたカルテットでバッハの『ゴルトベルク変奏曲』をやるとどうなるのか、そしてそれをクラシック音楽にはおよそ似つかわしくはない寺でやるとどうなるのかという、純粋というには夾雑物の多い好奇心から足を運んだけれど、そもそもこの演奏会のことを知ったのは、高橋アキのコンサートでもらったビラだった。

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高橋のコンサートでも演奏された現代作曲家の桑原ゆうによる編曲は、きわめて楽譜に忠実で、たとえばハンス・ツェンダーが試みたような古典の再創造ではない。基本的には、バッハの譜面を各楽器に振り分ける以上の操作はしていないようだ。

しかしながら、プレトークのなかで桑原が述べていたように、バッハ(1685‐1750)は「江戸時代の作曲家」——という不意打ちの語り口に虚を突かれる——だからこそ、江戸情緒を絡めた和の編成は、特異ではあるものの、突飛ではないようにも感じられる。たしかに三味線はリュートのように、尺八はトラヴェルソのようにも聞こえる。見た目こそ和風であるものの、音それ自体は思っていた以上に西洋的。

しかし、聞き進めるほどに、三味線は三味線であり、尺八は尺八にほかならないこともわかってくる。三味線のグリッサンド的に音程を上から下から当てる左手、西洋音楽的にはノイズに該当するであろう擦れたり弾けたりする音を表現として用いる撥の右手。尺八のロングトーンで歌口のうえで顔を左右に揺するようにしてヴィブラートを作り出す唇。それはある意味、モダン楽器というよりも、ピリオド楽器に共通するのかもしれない、演奏する身体の生々しさがある。

だからこそ、幾何学的に細かく動き回る変奏よりも、ト短調のエレジー的な旋律のほうが、編成とフィットしているように感じるし、ヴァイオリンにしてもチェロにしても、うまくはまっているように聞こえる。というよりも、尺八や三味線という楽器は、その構造上、西洋音階を高速で動き回るようには出来ていないのかもしれないという気もするところ。

この編曲/演奏の核となるのは三味線なのだろう。たしかに、音数という意味では決して多くないし—―その意味ではヴァイオリンやチェロのほうがはるかに支配的――、全編にわたって旋律を担うわけでもない(それは尺八が引き受けている)。三味線の役割はむしろ控え目であり、合いの手を入れたり、フレーズの橋渡し役であったりと、ある意味では伝統的な弦楽三重奏のヴィオラ的なポジション。しかし、ヴィオラが高音のヴァイオリンと低音のチェロの中間を音域的に埋めているとすると、撥弦楽器の三味線は、音域でも音色でもなく、音楽構造のレベルでの「あいだ」をつなぐ存在。

だからこそ、30の変奏を経由して、主題となるアリアが最後に回帰するとき、それが三味線によって奏でられるばかりか、人声によって唄われるのは、たとえバッハからの逸脱であるとしても、この編曲の必然的な帰結のように思われるし、どこかカウンターテナーのように聞こえる歌声は、日本的(江戸的?)でありながら、きわめてバロック的。和魂洋才なバッハ。

 

なぜ曼荼羅が掛かっているのだろうと不思議に思ったけれど、安養院は真言宗、つまり密教の寺だった。詰めれば50‐60席ぐらいは作れそうな大部屋には、三体の仏像がある。しかし、その前の舞台上のスペースにはグランドピアノがあり、天井には可動式のプロジェクターのスクリーンが取りつけられており、何とも不思議な混淆空間。

 

大学・大学院時代は井の頭沿線に住み、吉祥寺に買い物に行っていた身からすると、池袋圏はまったく未知の領域だったけれど、東武東上線上板橋駅はほどよくローカルで、商店街がまだどうにか生き延びているようだ。地方出身者としては、東京といえば都市という固定観念がいまだに根強くあるけれど、これもまた「東京」のひとつの側面であることをあらためて意識させられた。

 

20251212 鈴木忠志演出『世界の果てからこんにちはII』新装改編版@吉祥寺シアターを観る。

「変なおじさんが変な芝居をやって日本を憂いていた、そんなふうに思ってくれればいい」と、当初の予定では40分のアフタートークを大幅に超過するなか、「この芝居のメッセージは何なのでしょうか」という質問にたいする締めくくりとして、自嘲するのでも卑下するのでもなく、微笑みすら浮かべて言い放った鈴木忠志の姿が妙に印象に残っている。

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確かに「変な芝居」だ。筋はあるようで、ない。「演出形式について」というA4で1枚の演出家からの言葉によれば、『世界の果てからこんにちはII』は、「孤独な男の精神的妄想を通して、第二次世界大戦前後の、日本人の思考の様態を視聴覚化」した『世界の果てからこんにちはI』の延長線にあり、その根底には、「世界は病院であり人間は病んでいる」という鈴木忠志の世界認識・人間観があるという。

舞台上の言葉はそのほとんどが引用で編まれており、その意味で、この芝居はコラージュにほかならない。チェーホフイプセンを除けば、その「殆ど日本人の思考から生み出されたもの」、「それも第二次世界大戦後の昭和の時代を生きた人たちのもの」。

しかし、徳富蘇峰のような思想家の言葉から、美空ひばりのような歌謡曲の歌詞まで、多岐にわたる台詞が引用であることは、明示されない。音楽とともに口ずさまれる言葉を別にすれば、俳優たちの語ることが借用であることに気づくのは難しいだろう。それほどまでにこの舞台では言葉と身体が融合しているからだ。

意図的なまでに「日本風」の装置が用いられている。舞台奥の松の木が描かれた襖。天井の連子から舞台上の机に落ちる横一列の影。冒頭では俳優たちが着物をまとい、徳利に入れられた酒を猪口で飲んでいる。しかし、そのようなステレオタイプ的な日本的イマージュは、車椅子によって中和されている。だからこそ、繰り返される「にっぽんじん」は不思議な響きを帯びる。実在する日本の話のようでもあれば、架空の国民の話のようにも聞こえる。

この舞台が上演するのは、人間の哀しさというよりも、愚かさなのだという鈴木の言葉は興味深い。『世界の果てからこんにちはII』には、きわめて真面目な、倫理的な問いがある。日本として誇るべきものがあるとしたら、それは経済でも軍事でもなく、文化ではないのかという問いであり、だからこそ、現在における日本の文化的衰退を憂うのだろう。

そのために彼が召喚するのは、一貫した理性的物語ではなく、非連続的な寓話的断片である。意図的に細部が剥ぎ取られているからこそ、さまざまな解釈を許容する、関係性の上演。たとえば、業務の最中に車椅子を壊した若者に責を負わせようとする院長と、それに抗議する年上の同僚二人の会話は、現代における非正規労働の問題をほのめかしているようでもあるし、中国を体現するキャラクターが、日本やアジア諸国を体現するキャラクターたちと大立ち回りを演じて、ことごとくなぎ倒していくチャンバラは、現在進行中の台湾をめぐる日中の緊張関係を思わせずにはおかない。ここには現状を深く問い直そうとする批判的精神が漲っている。

しかし、日本の文化的な衰退を嘆き――畏敬や謙遜の消失―――、日本が青年期にあった過去を懐かしむノスタルジーには、どこか右翼と親和的な情念がただよってもいる。アフタートークで演出家が参政党に一瞬言及していたのは示唆的でもある。『世界の果てからこんにちはII』は、倫理的には左翼的だが、心情的には右翼的と言ってよいのかもしれない。「歌謡曲で人間が語れるのか」という知識人が提起するかもしれない疑問にたいして、鈴木はみずからが新宿コマ劇場で目撃した美空ひばりに熱狂する人々の姿を対置する。もし人々がそのようなベタなナラティヴ――「昭和的」な世界観――に心を動かされるのだとしたら、上から目線で鼻で笑うのではなく、真正面から向き合うべきではないのか、と。その意味で、SCOTの試みは、前衛による大衆演劇の奪還・再興と言ってよいのかもしれない。

この舞台を成立させているのは、つまるところ、一貫したメソッドによって極限まで鍛え上げられた強靭な俳優の身体が発するエネルギーであり、発話の強度であって、それらの意味内容ではないのかもしれない。ギクシャクと打楽器を打ち鳴らす俳優と、「たいした国ではなかったけれど」と低く太い声で語りながら見得を切る俳優が最後に登場し、中腰で腕を水平に広げたり、反転して背を向けて天を指さしたりして、圧倒的な存在感を発散させるとき、わたしたちは何かしかるべき未来を先取りし、誇るべき過去を肴にして酒を酌み交わす可能性を贈与されたような、不思議な満足感にひたってしまう。

というふうに、小賢しく言葉を重ねてみたけれど、正直に言えば、「よくわからなかった」と告白せざるを得ない。理性的に捉えようとする態度が、鈴木の知情を融合させた演劇とフィットしていないのをひしひしと感じる。それでも、何か大きな衝撃を受け取ったという手ざわりは、この演劇でなければ受け取ることのなかった何かは、自分のなかに残っているような気もしている。

20251212「モーリス・ユトリロ展」@SOMPO美術館を観る。

名前は知っているけれど、作品(または作風)となると思い浮かばないという画家は、いるようでいない気がする。その意味で、モーリス・ユトリロは例外的なのかもしれない。というよりも、「近代フランスの画家」ということぐらいは当然知識としては頭に入っているけれど、具体的な年代となると我ながら驚いてしまいぐらいに曖昧。

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ユトリロは1883年に生まれ、二つの大戦を生き延び、1955年に亡くなっている。同時代人となるのは、たとえばピカソ(1881‐1973)であり、ストラヴィンスキー(1882‐1971)。


展覧会では明確には触れられていなかったけれど、ウィキペディアの項目を読んでいたら、彼の母シュザンヌ・ヴァラドンは、ロートレックルノワールのモデルであったばかりか、彼女自身、見よう見まねで絵を描き始めた画家であり、短期間ながらサティとも親しくしていたという。だとすれば、「20歳前でアルコール依存症に陥っていたユトリロは、母の強い勧めで絵を描き始めた」というようなキャプションも腑に落ちる。

母シュザンヌにもまして、ユトリロの絵は独学であったようだ。たしかに印象派などから影響を受けているものの、正規の教育を受けているわけではないらしい。その意味では、ユトリロの絵は、現代的なレッテルを使うなら、「アウトサイダー・アート」と言えるのかもしれない。


しかし、そう思ってユトリロの絵を見ると、たとえばアンリ・ルソーのような愚直な迫力に欠けていることに気づかざるを得ない。なるほど、たしかに、学芸員による詳細すぎるほどに懇切丁寧なキャプションが教えてくれるように、ユトリロは透視図法を微妙に歪めた構図を採用しており、最初期の絵にしても、「白の時代」と呼ばれる1910年代前後の絵にしても、「色彩の時代」と呼ばれる後年の絵にしても、色彩のコンポジションにはユトリロならではの、「いかにもユトリロな」独自性があることは確かではある。けれども、それがどこまで魅力的なのかというと、どうなのだろう。


ユトリロは絵葉書や写真を素材にして絵を描いていたらしい。そして、風景画家であったユトリロは、人物を消去したり、簡略化する傾向にあった。しかし、かといって、ユトリロの風景描写が何か強烈な主観的ビジョンの表出になっているのかというと、首を傾げたくなる。だからこそ、ジャン=ウジェーヌ・アジェの写真のほうが、記録としても表象としても美的に優れているのではないかという疑問を払拭できない。


とはいえ、アル中に苦しみ、精神病院に入退院を繰り返しながら創作を続けたという人生のエピソードは、ある意味、印象派好きでロマン主義的な芸術家像を信奉する日本人の琴線にジャストミートする存在なのかもしれないという気はする(きわめて皮肉な見方だけれど)。図録が売り切れで、予約郵送になっているあたり、ユトリロの人気の高さを裏付けているようでもある。


しかし、こうしてまとまってユトリロの絵を見た正直な感想は、「せいぜい1.5流の画家」。はっとさせられる絵がないわけではないけれど、それは70点近くの絵のなかで1割にも満たない。

悪い絵だとまでは思わない。一貫したスタイルは感じるし、譲れないポリシーのようなものも見て取れる。ユトリロを気に入る気持ちはわからなくない。しかし、個人的には、正直なところ、気にならない画家だということがわかったという意味で、足を運んだ甲斐はあった。


最後に控えているゴッホの『ひまわり』は、アムステルダムゴッホ美術館に行き、東京都美術館ゴッホ展に行った後でみると、やや白ける感じがした。キャプションによれば、この絵はヴァリエーション的なものらしい(実物の素描というよりも、自身の絵画の自己模倣)。思うままに筆を走らせているというよりも、筆致を自覚的にコントロールしているような感じ。

 

付記1。展示品の3分の1近くが「個人蔵 private collection」というのは、なかなかめずらしいのではと思う。また、3分の1強が「八木ファインアート・コレクション」(八木英司の個人コレクション)からの出品。ユトリロが制作した絵画はかなりの点数になるようだけれど、全作品を網羅したカタログは存在するのだろうかと思ってググってみたら、亡くなって数年後に刊行が始まった4巻本と、2009年に刊行された1巻本があるらしい。どこまで完全なのかはわからないけれど、どちらも L'oeuvre complet de Maurice Utrillo と題されている。

付記2。絵を眺めていて、「お、これはいいな」と思ったものは、だいたい、「ポーラ美術館」か「アーティゾン美術館」のものだった。

付記3。資金力の問題なのか、ビラにしても、会場配布の無料冊子(『モーリス・ユトリロ自伝『幼少期から今日までの話』(抄)』)にしても、良い紙を使っているし、印刷のクオリティも高いようだ。経費削減のせいだろう、QRコードが印刷されたレシートが当日券という美術館がめずらしくないけれど、SOMPO美術館は昔ながらの入場券。ささいなことだけれど、嬉しいポイント。

 

20251207 上田久美子潤色・演出、ウィリアム・シェイクスピア『ハムレット』@静岡芸術劇場を観る。

照明レーンのさらに上から垂れ下がる紗幕には細かく襞が寄っており、滝のようにも、大木のようにも見える。舞台上をも覆いつくした紗幕はうねるようにして凹凸を作り出し、無数に枝分かれした支流のようでもあれば、四方八方に広がる根のようでもある。床のところどころが不思議な緑色や茶色に光っている。小鳥の鳴き声のような音が絶えずささやかに響いている。この世界から異世界へと通じる森の奥のような雰囲気。

そのような幻想的な空気のなかで始まるかと見えた上田久美子潤色・演出の『ハムレット』は、期待を裏切るかのように、ドタバタ・コメディ的な様相へと切り替わり、わざとらしいほどに卑近な言葉を前面に押し出したかと思うと、口語性と古典的形式性を両立させた格調高い河合祥一朗訳が朗々と語られる。衣装は現代的とも言えるし、ファンタジー的な要素や、クリシェ的な部分もある。ここでは様々なものが併存しており、奇妙な異種混淆が生まれている。

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「潤色」とあるように、上田の『ハムレット』は演出の域を超えている。ハムレットの正史の語り部として登場したマウンテンパーカー姿のホレイシオ(本多麻紀)は、劇が始まる前に観客にあらすじを説明する。しかし、オフィーリアを完全に無視した語り口に、最後の審判を経て2025年の静岡に甦った白いワンピース姿の11人のオフィーリアたちが抗議の声を挙げる。それはまるでピランデルロの『作者を探す六人の登場人物』のようなメタ的な介入だが、彼女たちはホレイシオを縛り上げると、彼が語ろうとしなかった自分たちの物語を上演するために、不承不承ながら、オフィーリア以外の役柄を引き受け始める。ハムレットを演じなければならなくなったオフィーリア(山崎皓司)が、第一独白に毒づくように、「クサイ、クサイ」を連発しながら舞台上を歩き回るという行為や、ぶりっ子なまでに少女性を強調するオフィーリア(榊原有美)が典型的に示しているように、ここでは『ハムレット』の男性独白中心主義が徹底的に茶化される。

ハムレットは理性と激情の狭間で、私人としての欲望と公人としての責務の軋轢のなかで揺れ続ける。父を殺し、母を娶った叔父に復讐すべきなのか、と。その意味で、彼は近代の幕開けを告げるキャラクターだが、最終的には個の意志と決断ではなく、神の思し召しにすべてをゆだねるという意味では、前近代的でもある。しかしながら、上田の『ハムレット』が前景化するのは、超越的な神でも、世俗的な社会でもなく、人間を取り巻く非人間的なもの=自然的存在であり、そのために、オフィーリアたちは割り振られた役柄を演じないときは、木へと生成変化し、または、人間ではない何かしらの有機体へと生成変化し、舞台上をただようように舞い踊り、床の上を転げまわる。

しかし、そのような非人間的な存在感の体現となると、俳優たちのあいだに温度差があったことも否定できない。クラシック・バレエの身体所作のレパートリーを流用したような、人間が動物を演じるような、あまりにも人間的な所作にとどまっていた者たちもいれば(宮城嶋遥加、ながいさやこ、杉山賢)、そのような身振りを几帳面すぎるほどに徹底することで、作為を不作為の域にまで昇華させていた者もいた(阿部一徳、武石守正)。かと思うと、まるで演武をゆるやかな舞いに変化させている者もいるし(舘野百代)、非人間的な存在を演じることを通り越して、非人間的な存在となり、器官なき身体を体現しているかのような、変幻自在に融通無下に手足をくねらせる者たちもいた(貴島豪、若宮羊市)。

俳優たちが肉体的なインスタレーションよろしく舞台の背景となる。そこに、吉見亮がaFrameという電子楽器で奏でる非有機的な人工音のノイズが重なることで、舞台はさらに重層的になっていく。音楽がすくない静かな舞台だからこそ、単体で聞いたら不快に感じるかもしれないような、引っ掻くような、擦るような、軋むような音が絶妙なアクセントになる。

とはいえ、『ハムレット』をオフィーリアによって簒奪させ、非人間的なもので舞台空間を充溢させるという上田の演出プランがどこまで戯曲自体と整合していたかは、疑問もある。つまるところ、この舞台の屋台骨となり、全体を稼働させていたのは、SPACのベテラン俳優である阿部一徳と貴島豪であり、彼らの演じる旅芸人や墓掘り人がなかったら、この演出は成立しなかったのではないかと思わされたほどである。俳優の地力に大いに依存した舞台であったことは否定できない。

5幕のハムレットとレアーティーズの決闘の最中、紗幕にはシェイクスピアの言葉が流れ落ちるように映し出され、俳優たちは、まるで全員がハムレットと化したかのように、彼の諸々の独白をリレーしていく。重低音がボリュームを増し、ハイトーンの歌声が高まり、舞台全体が凝縮していく。そこに全力で叩きこまれる打楽器が加わり、紗幕の裏からはウサギの被り物をしたオフィーリアたち、葉っぱのリースを首から下げたオフィーリアたちが躍り出てくる。祝祭的な雰囲気のなか、紗幕が落ち、それが観客席の上を運ばれていく。エンターテーメント性をあざとく担保している。観客は最終的にはなぜか満足させられた気がしてしまう。

しかしながら、オフィーリアを植物化——こう言ってよければ、ダフネ化——することは、ホレイシオによる正史からオフィーリアを救済することになるのだろうか。

ホレイシオがシェイクスピアのテクストどおり、すべての顛末を正しく伝えようとすると、オフィーリアたちは唇に人差し指を当てて、彼に沈黙を促す。それは、出しゃばりでこれ見よがしなマンスプレイン(男の説明)を封じ込める身振りではあるものの、それによって正史のオルタナティヴとして台頭してくるのは、女性を自然に開くという、また別のステレオタイプではないだろうか。

その意味で気になったのは、男の語り=正史の象徴たるホレイシオを本多麻紀に振るという配役。たとえ男装しているとはいえ、演出の対立軸を男の語り(ハムレット)と女の語り(オフィーリア)と設定するのなら、そして、オフィーリアのほうは男優女優の性別攪乱的にするのなら、ホレイシオのほうにもそのような転覆的操作があってしかるべきではなかっただろうか。

たしかにこの『ハムレット』は、「「SPAC秋のシーズン2025-2026」のアーティスティック・ディレクター」石神夏希の掲げる「きょうを生きるあなたとわたしのための演劇」に適うものである。わたしたちはたしかに、この舞台から、「物語を編み直す勇気」を受け取るだろう。

しかしながら、そのようなコンセプト的な「正しさ」と、演劇的な「美しさ」が相乗効果をもたらしているかとなると、首を傾げざるをえない部分が残っているように思えてならない。

20251127「読響 第653回定期演奏会」@サントリーホールを聴く。

ピエタリ・インキネンは音をつなぐタイプの指揮者だ。いや、「つなぐ」というよりも、「継ぐ」といったほうが正確かもしれない。ひとつのパートから別のパートへと旋律や動機が受け渡されるとき、それをひとつの滑らかなラインへと変容させる(その意味では、彼の指揮はどこかカラヤンのレガートを思い出させる)。

しかし、彼は各パートの多様な音色を単一のカラーに塗り替えたりはしない。多様なものを異質なままに並置するわけでもない。音楽としては統合する、けれども、各楽器の独自性も尊重する。終わりの音と、始まりの音の「あいだ」——譜面上は存在しないものだが、演奏上は発生する間であり、それはもしかすると、原理上は線に幅はなく、点に大きさはないけれど、紙の上に書くとかならず幅のある線、大きさのある点になってしまうのと似ているかもしれない——を指揮によって埋め、多様さと統一感を両立させるという、丁寧な仕事をしているのだろう。

その意味で印象的なのは、彼の指揮がほぼ例外なく、タクトを振り下ろした「瞬間」ではなく、上にすいあげる「過程」のなかでアンサンブルを作り出そうとしている点だ。わりとひょこひょこと体を左右に揺するそぶりを見せ、金管を思い切り(ある意味、爆演といいたくなるほどに)鳴らさせるるわりには、力押しで、直線的に揃えるようなことはしない。

彼は奏者をやる気にさせるのが上手いのかもしれない。ヴァイオリンのファーストもセカンドも(とりわけ第一プルトは)、苦行的なまでに延々と続く刻みを、全身を使って懸命に弾いていく。ところどころで、同一パートなのにあえて弓順を変えて弾かせているようなところがあったのは、インキネンがヴァイオリニスト出身であり、普通の指揮者以上に弦楽器をよくわかっているからなのかもしれない。全体的に弦楽器の扱いが非常に巧みだった。

とはいえ、この演奏会のチケットを買ったのは、もともと指揮するはずだったハンヌ・リントゥを、プログラムに組まれていたサーリアホを実演で聞いてみたいという理由だったのだけれど、リントゥが「本人のやむを得ない事情」(読響のアナウンス)で降板し、インキネンが代役となった結果、サーリアホシベリウスに置き換わってしまい、あまり期待せずにコンサートホールに向かったので、インキネンの指揮がここまで面白いというのは、嬉しい驚きだった。

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もともと出演予定だったピアニストのピョートル・アンデルシェフスキとのバルトークのピアノ協奏曲3番も、素晴らしい演奏というか、「バルトークの3番」についての固定観念を根底から覆される演奏だった。

3番は、死期を悟った晩年のバルトークが、後に残されるピアノの弟子にして若き妻のディッタが演奏できるように書いたピアノ協奏曲であり、自身のヴィルトゥオーゾ的なテクニックのひけらかす1番や、ピアノを打楽器的に用いる実験的な2番に比べると、古典的な形式にのっとっているというのが一般的な理解だと思う(「プログラムノーツ」でもそのような説明になっている)。

しかし、ポーランド出身でハンガリー人の母を持つというアンデルシェフスキの手にかかると、3番が『2台のピアノと打楽器のためのソナタ』 や『弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽』の〈後〉の作品であることが浮き彫りになる。哀しげな旋律が前面に押し出されているとはいえ、低音を和音で打ち鳴らす瞬間がないわけではない。

しかし、3番のなかのそのようなモダニズム性が強調されていたのは、インキネンのサポートあってのものだったようにも思う。インキネンは2楽章の憂いを含んだ旋律をかなり速いテンポで振る。しかし、無理に急かしている感じはしない。というよりも、バルトークの死という伝記的事実を念頭において、これをあたかも哀悼のようにスローテンポにするほうが、楽譜にたいする裏切りではないかという気もしてくる。彼らのコラボレーションは、古典的形式を踏襲している3番が、依然として打楽器を必要とするのかを浮き彫りにしていく。

(アンコールで弾かれたブラームスの間奏曲もは、まさに、「巧い」と唸らされる演奏だった。派手さはない。ひけらかしもない。しかし、楽曲にたいする深い理解と共感があった。あまりに見事な演奏だったので、ソロリサイタルはしないのかと思ってググってみたけれど、とくに情報は出てこなかったが、不思議といえば不思議なところ。)

フィンランド出身のインキネンは、シベリウスの同郷人だからこそ、ステレオタイプに抗っているのかもしれない。たしかに1924年に完成した交響曲7番はシベリウスの「最後」の交響曲ではあるものの、1865年生まれの作曲家は1957年まで生きた。7番を「侘び寂び」の世界と捉えるほうが歪んだ見方なのかもしれない。

そのぐらい彼の演奏はパワフルで、終結部に向けての金管のコラールは、来世的・超越的な知らせではなく、現世的な音だった。弦楽器による大地の蠢きのような音響のほうが耳に残っているぐらいなのだから。そのぐらい、寒冷な風土の静謐さではなく、その厳しさと、そのなかでを生きる生命の逞しさを謳い上げていたように思う。

というわけで、期待度ゼロで言ったのに、大いに愉しめた演奏会でした。

 

付記。バルトークのピアノ協奏曲3番の2楽章が、まるでメシアンにように聞こえて、思わず自分の耳を疑ったけれど、考えてみればメシアンバルトークはともにドビュッシーに影響を受けているし、バルトークの後期から晩年の作品は、メシアンが作曲を初めた時期とオーバーラップしている。そう考えると、打楽器的な響きにたいする感性や、エーテル的にただようスローな弦楽器の使い方に、何かしらの共通点を見いだすのは、あながち間違いとも言えない気がする。