積ん読状態の New Yorker をめくっていたら、アレックス・ロスの痛烈な音楽批評に行き当たった。
常習的に過密スケジュールのメットの音楽監督ヤニック・ネゼ=セガンは、自身が指揮するオペラに特有な音楽様式の特徴をかたちにするためのリハーサルの時間が足りていないようだ。[リヒャルト・シュトラウスの]『サロメ』をかき分けて進んでいく彼のやり方は放縦で、抑制が利いておらず、ワーグナーやプッチーニを振るときと変わらない。スコアの不揃いな鋭さは鈍り、鞭打つような衝撃はぼやけている。メトの常任になって七期目に入ったネゼ=セガンだが、刮目すべき仕事をしていると言うには程遠い。彼の音楽作りにはこれという彼の顔がない。どれもこれもまずまずではあるが、心に残るものは何もない。
しかし、同じ記事のなかで言及されている「8人のクラリネットと2人の打楽器奏者」のためにダン・シュロスバーグ(Dan Schlosberg)が Hearbeat Opera のために編曲した『サロメ』は、英語がわかるリスナーはぜひ聞くべき公演だ。English National Opera が使用している英語リブレットはかなりうまく音楽とフィットしており、英語歌唱ゆえの違和感は少ない。
ロスが皮肉めかして述べているとおり、冒頭のクラリネットの上昇音型(と書きながら、『サロメ』の冒頭と『ラプソディ・イン・ブルー』はちょっと似ている気がしてきた)に着想を得た編成という印象ではある。出オチ感がある。しかし、通して聞いてみると、意外なほど不満がない。
もちろん、大編成のオーケストラならではの音量はないし、サックス持ち替えをしたり、多彩な打楽器を使ったりしてはいるものの、音色による変化は乏しい。にもかかわらず、これは依然として『サロメ』になっている。驚くべきことに。
それどころか、音数が少ないからこそ、潤色なフルオーケストラでは覆い隠されてしまいがちな調性の危うさ、不協和な響きが、不気味なまでに前景化してくる。切断されたヨカナーンの首に口づけするサロメのモノローグを導入するトリルに応えるロングトーンの和音は、異界から届く汽笛のようで、20世紀初頭の前衛音楽を飛び越して、現代音楽のようにも聞こえる。
歌手は総じて男性陣のほうがディクションが的確。ナラボート役のデイヴィッド・モーガンズ(David Morgans)が劇をしっかりと立ち上げ、ヨカナーン役のナサニエル・サリヴァン(Nathaniel Sullivan)がそれを引き継ぎ、ヘロデ王役のパトリック・クック(Patrick Cook)が受けとめる。あまり威厳のない、ハリボテ的な存在を演じるクックも悪くないが、ディクションの正確さと力強さという意味では、サリヴァンが頭一つ抜けている感じ。
女性陣は集音の関係もあるのか、いまひとつ声が入っていない感じ。ただ、シュトラウスの要求する高音を出しつつ、そこにオリジナルではない言葉をのせていくのは、男声よりはるかに難しいというのも事実なのだろう。サロメ役のサマー・ハッサン(Summer Hassan)は健闘しているが、過去の名歌手たちと比べると分が悪い。同じことはヘロディアス役のマンナ・K・ジョーンズ(Manna K Jones)にも当てはまる。
さまざまな瑕疵はあるものの、上演としては筋が通っている。それは『サロメ』を旧約聖書の物語でも、19世紀末の耽美主義の物語でもなく、現代における監視社会や銃社会、家族問題(義父による性的虐待?)という文脈にうまく翻訳してみせた演出家のエリザベス・ディンコヴァ(Elizabeth Dinkova)の手腕だろう。監視カメラの映像が映る壁掛けの複数のモニターと透明なケージがこの演出の肝だ。
このパフォーマンスの影の立役者は、兵士役(この演出では軍人的な出で立ちで、ベストにカーゴパンツ)のジェレミー・ハール(Jeremy Harr)と、小姓役(この演出ではカフェの給仕のような出で立ち)のメリーナ・ジャハリス(Melina Jaharis)だろう。歌唱もさることながら、役者としての貢献度が高い。
Heartbeat Opera は、すでにNYCで10年ほど活動しているそうで、「鋭敏な翻案と顕現的な編曲」によって「古典を〈いまここ〉のために再想像/創造」することを目指しているのだという。黒人を主軸に据えたベートーヴェンの『フィデリオ』、アメリカとメキシコの国境を舞台とするビゼーの『カルメン』など、かなりエッジの効いた舞台を作ってきているとのこと(ただ、YouTubeでチラ見したかぎりでは、『フィデリオ』も『カルメン』も原語上演で、編成にしてもピアノと室内オケのような感じなので、英語歌唱でクラリネット・メインの『サロメ』はこのカンパニーにとっても例外的な部類に入るのかもしれない)。
低予算であることは間違いない。しかし、限られたリソースでここまで批判的な舞台が創れるものかと感心するし、それが持続可能であることに驚く。こういう公演こそ生で見てみたいものだ。