翻訳語考。情報を後付けしていくばかりか、挿入句で奥行きをつける英語のセンテンス構造は、日本語の文章構造とそもそも相性がよくない。だから、原文の意味を取るという点では何の問題もないセンテンスが、翻訳するとなると難物として立ち現れてくる。たとえば次のような箇所。
Things went on quietly enough, as above indicated, till I was about fourteen, when by a freak of fortune my father became suddenly affluent.
図式的に表せば、「物事は平穏に進行」→「14歳ごろ」=「父が急に裕福になる」ということになる。ここで厄介なのは、I was about fourteen が、Things went on にたいしては「継続 till」の関係にあり、「(子どもの頃から)14歳ぐらいになるまで」という幅があるのに、my father became suddenly afflunet にたいしては「ある特定の時点 when」の関係にあり、「14歳ごろ」だけを指しているところだ。
つまり、ここで I was about fourteen というかたまりは、前からは till で、後ろからは when でつながれることで、二つの時間を含意することになっているのだ。上の図式化で「→」と「=」を併用した理由がこれである。
日本語はひとつのフレーズを、前置詞(till)と関係詞(where)でシェアすることはできないので、「14歳ごろ」というフレーズを2回繰り返すしかない。
「14歳ぐらいになるまで、物事は平穏に進んでいた。そして、14歳ぐらいになったころ、父は急に裕福になった」
しかし、こうするとワンセンテンスの原文が2文になってしまうし、原文にはない「そして」という継起の接続詞(A→B)が入ってしまうし、それは、継続(till)と、瞬間的な分断(suddenly)のコントラストを弱めてしまう。
和文英訳的には、語順をひっくり返して、「わたしが14歳ぐらいのとき、父が急に裕福になったときまで、物事は平穏に進んでいた」を思いつくかもしれない。
しかし、この訳には2つ問題がある。ひとつは、次の文では「急に裕福になった」理由が語られるため、この語順だと流れが悪くなること。もうひとつは、この語順にしてしまうと、「すでに述べたように(as above indicated)」という挿入句が行き場をなくしてしまうこと。
前後の流れを踏まえれば、「すでに述べた」のは「物事が平穏に進んでいた」ことである。つまり、「14歳ごろまで(そうだった)」も、「父が急に裕福になった」も新規情報なのだ。そのことを踏まえると、「わたしが14歳ぐらいのとき、父が急に裕福になったときまで、〈すでに述べたように〉、物事は平穏に進んでいた」という訳は、決して間違ってはいないものの、わかるようでわからない日本語になっているような気がする。
というわけで、以下のようにしてみた。
「すでに述べたように、物事は平穏すぎるほどに進んでいった。そのような状態に変化が生じたのは、わたしが一四歳ぐらいのときだった。運命の気まぐれで父はにわかに裕福になったのである。」
「そのような状態に変化が生じたのは」に相当するワードは原文にはないけれど、till の継続状態が、ある特定の時点(when)でストップするというニュアンスを表面化させているという意味では、充分に擁護可能な翻訳的操作ではないかと思う。