うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』「愛の死」の分析7:1952年フラグスタート

1936年のコヴェントガーデンでの伝説的な公演記録から16年が過ぎている。フラグスタートはもう60手前。引退を考えるとまではいかないとしても、最盛期のころのレパートリーを最盛期のように歌うことは、肉体的に厳しくなってきている。

声が重く、暗い。輪郭がぼやける。反応が鈍い。高い音が出るまでのタメが長くなっている。wie er leuchtet の leu の音が一発で出ない。老いの衰えは否定できない。

しかし、フルトヴェングラーのサポートは見事だ。ライナーの楷書的な折り目正しさは、いわば、歌唱と器楽を分担したうえでアンサンブルにしていたけれど、フルトヴェングラーは歌を包み込むように、歌をオーケストラという衣装で引き立てるように、献身的に(しかし、きわめて意図的かつ積極的なかたちで控えめに)、歌を盛り立てていく。

フルトヴェングラーは決して歌劇場の人間ではなかったはずだが、彼の寄り添い方は比類ない。それはもしかすると、彼が歌手に迎合しているからではなく、歌手も奏者も含めた全員を俯瞰する高みから音楽を作っているからかもしれない。歌手は器楽にたいする付け足しではなく、両者でひとつの有機的な音楽を作り上げている。

オーケストラ指揮者としてのフルトヴェングラーは、熱情的なアッチェレランドとクレッシェンドをする。音楽の形式的なかたちが崩れることもいとわず、パッションを表出させているような印象がある。しかし、オペラを振るフルトヴェングラーは、ドイツ語のリズムをとても大事にしているし、そこから音楽を立ち上げている。だから、フラグスタートの歌には、歌い崩しがほとんどない。衰えはないとはいえないにもかかわらず。

器楽が音を圧倒することがない。器楽はつねに歌唱を後押しする。

あたりまえのことではある。しかし、それは、このレベルで成し遂げている録音はほとんどない。だからこそ、フルトヴェングラーの録音はいまだに金字塔なのだ。

フラグスタートの歌詞の理解力が、1936年と比べて特筆すべきほどに向上しているのかは、正直、疑わしい。しかし、フルトヴェングラーはまちがいなく言葉の意味を深く理解しているのだろう。言葉と音楽の深い関係を理解しきっているのだろう。

だから、ここでは、Welt-Atemsがクライマックスになってしまわない。歌で終わるのではなく、後奏で音楽が終わることが、計算しつくされている。その意味で、やはりこの録音は、唯一無二の高みに達しているのである。

 

youtu.be

 

Mild und leise        なんと穏やかに、静かに、
wie er lächelt,         彼は笑っていることか。
wie das Auge         なんと優し気にあの人は
hold er öffnet ---         目を開いていることか——
seht ihr's Freunde?         見えるでしょう、あなたたちにも? 
Seht ihr's nicht?        見えないのですか?
Immer lichter          ますます明るく
wie er leuchtet,                            なんと光り輝いて、
stern-umstrahlet                          星の光に包まれて
hoch sich hebt?                            高く昇っていくのでしょう?
Seht ihr's nicht?                            あなたたちには見えないのですか?
Wie das Herz ihm        あの人の心は
mutig schwillt,           なんと勇ましくふくらみ、
voll und hehr                               充ち満ちて気高く
im Busen ihm quillt?       胸からあふれだしているでしょう?       
Wie den Lippen,                           その唇からは
wonnig mild,                                愛らしく穏やかに、
süsser Atem            甘やかな息がなんと
sanft entweht ---          柔らかくもれていることか——
Freunde! Seht!                             そうでしょう、ほら! 見てごらんなさい!
Fühlt und seht ihr's nicht?           感じられないのですか、見えないのですか?
Hör ich nur                                   わたしだけが聞いているの
diese Weise,                                 この旋律を
die so wunder-                             とても素晴ら
voll und leise,          しく静かな旋律を
Wonne klagend,                           至上の喜びを嘆く
alles sagend,                                 すべてを言って
mild versöhnend        穏やかに調和させる
aus ihm tönend,         あの人から響いてくる旋律
in mich dringet,                          わたしのなかに入り込み
auf sich schwinget,        あの人のうえで揺れ動き
hold erhallend          穏やかに鳴り響いて
um mich klinget?        わたしの周りで響いているこの旋律を?
Heller schallend,         ずっと明るく響いて、
mich umwallend,         わたしを包むように沸き立っている、
sind es Wellen                                それは波のように寄せては返す
sanfter Lüfte?         柔らかな吐息だろうか?
Sind es Wogen         波/雲のような
wonniger Düfte?         至福の芳香だろうか?
Wie sie schwellen,         それがなんとふくれあがり、
mich umrauschen,         わたしを包んでざわめいていることか、
soll ich atmen,          わたしは息をしているのか、
soll ich lauschen?           わたしは聞いているのか?
Soll ich schlürfen,                   滴りを飲み込んでいるのだろうか、
untertauchen?           わたしが沈んでいるのだろうか?
Süss in Düften           甘く香りに包まれて
mich verhauchen?        自分が消えてしまえばいいのか?
In dem wogenden Schwall,    波打つ大波のなかで、
in dem tönenden Schall,      響き渡る響きのこだまのなかで、
in des Welt-Atems       放たれる息吹で
wehendem All ---        充たされる宇宙のなかで——
ertrinken,             溺れて、
versinken ---          沈んで——
unbewusst ---           意識の彼方で——
höchste Lust!                  このうえないよろこび!