うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20200103 Day 11 カイロの街歩き再び。

昨日はツアー会社の車でカイロのホテルまで送ってもらったおかげで、カイロの街を車のなかからじっくり見る機会があった。そのおかげでいくつか気づいたことがある。

カイロの街中は基本的に一方通行のようだ。だから、交差点は曲がるためのものというよりは、ふたつの流れが交わるというニュアンスがある。もちろん、曲がれる交差点もある。しかし、そのためには、ロータリーのほうが重要性が高いようだ。そう考えていくと、カイロに信号が少ないのもわかるような気はする。 

興味深いことに、カイロの市内の大きな交差点の角には警官が立っており、信号が変わりそうになると、道路の真ん中のほうに歩いていき、最終的には文字通り体を張って赤になったほうの車の流れを遮断する。そうでもしなければ、赤だというのに、隙あらば流れの隙間に車体をねじ込んでやろうというドライバーが後をたたないかのように。いや、これは、「かのように」という生易しいものではなく、リアルな現実なのだと思う。

カイロのみならず、今回訪れた場所でタクシーに乗ったところはどこでも、引いたら負けというニュアンスを感じた。とにかく隙間に車体の鼻先を突っ込む。前が進まなければパッシングやクラクションでせかす。車一台ギリギリというスペースにグッとアクセルを踏みこんで我先に飛び込む。車間距離がないというのはすでに書いたけれど、前後どころか左右の距離までほぼゼロ距離といっていい。だからエジプトの道路にはレーンという概念が希薄だ。何車線になるかは、道の広さという物理的条件によって必然的に決まるものであるはずだけれど、おしくらまんじゅう状態がデフォルトであるここでは、何車線と数えるのが馬鹿らしいぐらいの状況だ。道路にはレーンの線がひかれているけれど、それは踏まれたり跨がれたりするために存在している。

エジプトの街中の商店はとにかくディスプレイする。いまの日本(というか、西欧諸国が、というべきだろうか)のショーウインドウがブランドの世界観を提示するためのルックブックのようなものと化しているとしたら、エジプトの商店のショーウィンドウは商品満載のカタログのようなものだ。洋服であれ、靴であれ、化粧品であれ、本であれ、電化製品であれ、とにかくウインドウ一杯にアイテムを並べ尽くす。

それは道端の物売りでも同じだ。机の上に、シートを敷いた地面の上に、商品をきちんと並べていく。この几帳面なまでの整理整頓っぷりは、道路の混沌っぷりと、見事な対照をなしている。

エジプトの人口動態は日本と驚くほど違う。高齢化少子化がダブルパンチの社会問題と化している日本とは裏腹に、エジプトは全人口の63%が15-64歳、32%が14歳以下で、ほんの5パーセントが64歳以上だと言う。そのせいか、街には若者が溢れているような印象はあるし、なにより、子どもたちが多い。

しかしそれは同時に、幼児労働のような慣習化していることを意味しているようだ。スクーターに屋根をくっつけたようなトゥクトゥクを10代前半に見えるような若者が運転していたりするし、10歳にも満たないように見える子どもが店番をしていたり、店を手伝って(わされて?)いたりする。

その一方で、人が余っているのだろうかという印象も受ける。あらゆるところで人がたむろしている。美術館の入り口そばで、商店のなかで、店先で、人びとが寄り集まり、何やら談笑している。仕事をしているのか、さぼっているのか、いや、それどころか、だれが正規の労働者でだれがそうでないのかすら、まったく不明である。

今回カイロで泊まったホテルはまずまず安宿で、雑居ビルの5階6階をホテルに改造したようなところだったのだけれど、大通りから一本入った薄汚れた通りの薄汚れたビルの入り口に、30代くらいの若者が、とくに何をするというのでもなく、プラスチックの椅子を置いていつも座っていた。門番というか、守衛のようなものなのだろうけれど、では彼はだれかに雇われ、だれかに給料を出してもらっているのだろうか。

単純労働とすら呼びがたい、仕事と呼んでいいのかよくわからない役割がある。トイレの前に立っていて、人が入る前に、スプレーを何吹きして、用を足したあとにチップ(バクシーシ=喜捨)を要求する。トイレの手洗い所のそばにティッシュを持って立っていて、手を洗った人にペーパーを配り、そしてチップを要求する。

正規労働と副業的労働の境目もあいまいだ。遺跡に入ると、勝手に案内してきたり、ライトで見えにくいところを照らしたりして、チップを要求する。しかし、ダフシュールとサッカラをガイドしてくれた方によれば、遺跡の内部にいるのは名目上は政府職員だという。「金銭をせびられても無視してください」とガイドは言っていたけれど、何かをして金をとってやろうという金銭的見返りを前提とした好意の押し売りが常態化している。

昨日のガイドによれば、エジプトの観光ガイドは免許制であり、ガイドが入って説明していいところ、駄目なところは厳格に決まっているようで、その決まりを破ると免許を取り上げられるのだという。しかし、にもかかわらず、ガイドが中で説明しているという状況を目の当たりにもした。わたしたちのガイドの人になぜあんなことが可能なのかと聞くと、「入口係員にお金を渡して便宜を図ってもらったのだろう」というような回答が返ってきた。

グレーゾーンが広い。そしてそれはある意味、人間関係のゾーンなのだ。だから、エジプトの人たちがいろいろな群がり、たむろし、ともに時をすごそうするのは、社会的必然であるように思う。しかし、だとすれば、このような共同性の強い社会で、さまざまな濃淡を含んでいるとはいえ共同体的な繋がりによって社会が回っているところで、孤立した個人として生きることは可能なのだろうかと考えてしまう。エジプトにおいて引きこもり的な孤独を生きることは、生きられうる可能性なのだろうか。

そんなことを考えながら、カイロの街を再び歩く。

 

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