うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20200102 Day 11 ダハシュール、サッカラ。

ピラミッドと言ったときすぐわたしたちの頭に浮かぶのは、ほぼ間違いなく、ギザの3大ピラミッドのなかでも最大の規模を誇るクフ王のピラミッドだろう(たとえクフ王のピラミッドとは知らないとしても)。それから、スフィンクス。それらの圧倒的な知名度にくらべると、屈折ピラミッドや階段ピラミッドはちょっと地味で、通好みと言っていいかもしれない。実際、ギザが比喩的にも字義的にもやかましいのにたいして、ギザから車で小一時間ほど南に行ったところにあるダハシュールとサッカラのピラミッド周辺はずっともの静かだ。ナツメヤシの木が生い茂り、畑が広がり、ロバで荷車を引く農夫たちがいる。もちろん土産物売りはあちこちにいるけれど、ギザのウザさに比べれば、いないに等しいと言ってもいいぐらいだ。

興味深いことに、こちらのピラミッドのほうが観光環境は整っているように感じられた。石畳の通路があったり、バリアフリーのためのスロープがあったり、真新しい解説入り看板があったりと、観光化の努力が進行中という印象があった。今日は日本のツアー会社に依頼して運転手付きのガイド・ツアーを申し込んだのだけれど、そのガイドの方によれば、ある看板などはここ1ヵ月に出来たものだという。

ギザのピラミッド群と、こちらのピラミッド群の何が違うのかというと、ダハシュールとサッカラのほうが古い。ピラミッド制作と発展の歴史という意味では、こちらのほうが歴史的重要性が高いのかもしれない。

しかし、そうした考古学的な部分は別にして、屈折ピラミッドはただそれ自体として見ても、とても美しい。化粧石が多く残っているし――屈折ピラミッドの化粧石が多く残っているのは、設計上、取り外しにくいようになっていたからだそうだ――、施工中の問題から角度変更を強いられたという苦肉の産物であるにもかかわらず(だからこそ?)、何か不思議な雰囲気がある。そしてこれはギザのピラミッド群とも共通することだけれど、石のひとつひとつの表情が面白く、見る角度、見る距離、光の当たり具合で、受ける印象ががらりと変わってくる。

ピラミッドの周りをぐるぐる回ってみたい気持ちになるが、ピラミッドのすぐそばには崩落した岩があるし、かといって、もうすこし距離を取ると砂地に足を取られるし、ツアーだから見学時間も限られているし、結局、全4面のうちきちんと見れたのは2面半ぐらいだろう。

ピラミッドがさかんに作られたのはファラオ王朝のなかでもいちばん古い「古王国時代」のことだという。「中王国時代」にも作られてはいたけれど、切り出した岩ではなく、日干し煉瓦を建築資材に用いるようになっていく。その結果、風化に耐えられず、外側が崩れてしまっている。現在発見されたピラミッドは110だか120ほどあるらしいが、そのなかには、崩れた砂山に見えるものもあるようだ。

階段ピラミッドもまた施工変更の産物らしい。最初に出来上がった4段に2段足したのが現存するかたちだというが、たしかに近寄ってみると、継ぎ足した部分の境目がはっきりとわかる。4段にただ2段足したのではなく、最初に出来た4段を全体的に拡張してそこに2段足した格好になっているからだ。

階段ピラミッドは最初期の試みであるという。それはつまり、巨石建築物が本当に実現可能なのかが実証されていなかった時期の産物であり、後のピラミッドにくらべると石のサイズがずいぶん小ぶりに見えた。

階段ピラミッドの周辺には、歴史的重要性の高い遺跡がいくつもあったけれど、階段ピラミッドを建設した神官の墓の壁にある彩色レリーフがひじょうに興味深かったし――とくに作りかけのままに残されていた箇所(線だけ掘ったところで終わっている)――、新王国時代のラムセス2世の外交官にして、世界最初という平和条約をヒッタイトと結んだネムティウメスの墓の柱のレリーフは、歴史的意義とはまったく関係なく、美術品として傑出しているように思われた。

カリフォルニアにいたときたまに食べていたデーツが木になっているのを初めて見た。あんな高いところであんな赤い色をしていたとは。

ガイドをしてくれた方は、エジプト生まれ、カイロ大の日本語学部を卒業し、日本に留学経験があるばかりか、生け花を教えられるほどの腕前で、カナダはバンクーバーでの留学経験もあり、大学レベルで日本語を教えていたこともあったのだとか。とても話し好きな人で、こちらの厄介な質問にも答えてくれて――たとえば、なぜローマ帝国支配を受けていたはずのエジプトにラテン語が入ってきた時代がないのか――、学ぶことが多かったし、エジプト近代史の流れや、なぜ岩倉具視たちがエジプトを訪れたのかが、何となく腑に落ちた。

(エジプトはオスマン帝国エジプト総督モハンマド・アリのもとで19世紀前半に近代化を成し遂げ、武器製造や都市改革を成功させたが、まさにそれゆえに、帝国主義的野心を持つ大英帝国の侵攻を誘発し、19世紀後半には事実上植民地化されてしまう。19世紀中期のエジプトは日本からすれば非西欧世界における近代化の成功例として映っていたのかもしれないし、第二次戦後のナセル政権によるスエズ運河の国有化、つまりスエズ運河という海運の要所をヨーロッパから取り戻すという脱植民地化のプロジェクトは、歴史的に必然の成り行きでもあったし、そこから中近東における種々の戦争に繋がっていたというのも、わかるような気がした。このあたりは日本に帰ったら何か本を読んでみよう。)

運転手付きガイド付きツアーは、とてつもなく楽だ。これまではなんだかんだで自分たちで旅程を決め、ルートを探し、生半可な知識と根拠なき推論で観光してきたけれど、それをすべて丸投げすることができる。これだけのことをやってもらえるなら、半日観光+昼食付のために割高な料金(ひとり150ドル、日本円で1万6000円ちょっと)を払う価値は充分にある。しかし、しかしながら、誰かに案内してもらうと、十分に咀嚼できないままに大量の情報を流しこまれるかたちになってしまうのも事実ではある。どうしても受け身になってしまい、意識的に取り入れるというよりは、否応なく曝されるという感じになってしまう。ジェットコースターに乗せられてあちらこちらにふりまわされるようなものだ。乗っている最中には強いインパクトがあるけれど、後から振り返ってみると、あまりに多くのものをあまりに短いあいだに超特急で駆け抜けたせいで、個々の記憶が混濁し、印象がぼやけてまざりあってしまう。今回のようによいツアーガイドの場合ですらそうなのだから。旅は難しい。

f:id:urotado:20200112170201j:plain

f:id:urotado:20200112170211j:plain

f:id:urotado:20200112170221j:plain

f:id:urotado:20200112170233j:plain

f:id:urotado:20200112170242j:plain

f:id:urotado:20200112170253j:plain

f:id:urotado:20200112170302j:plain

 

f:id:urotado:20200112170312j:plain

f:id:urotado:20200112170323j:plain

f:id:urotado:20200112170333j:plain

f:id:urotado:20200112170344j:plain

f:id:urotado:20200112170355j:plain

f:id:urotado:20200112170405j:plain

f:id:urotado:20200112170419j:plain

f:id:urotado:20200112170429j:plain

f:id:urotado:20200112170438j:plain

 

f:id:urotado:20200112170449j:plain

f:id:urotado:20200112170500j:plain

f:id:urotado:20200112170507j:plain

f:id:urotado:20200112170517j:plain

f:id:urotado:20200112170529j:plain

f:id:urotado:20200112170539j:plain

f:id:urotado:20200112170550j:plain

f:id:urotado:20200112170601j:plain

f:id:urotado:20200112170612j:plain

f:id:urotado:20200112170622j:plain

f:id:urotado:20200112170632j:plain

f:id:urotado:20200112170644j:plain

f:id:urotado:20200112170654j:plain

f:id:urotado:20200112170704j:plain

 

f:id:urotado:20200112170141j:plain

f:id:urotado:20200112170151j:plain