うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20191224 Day 2 ギリシャ・アルファベットで綴られるキリスト教。

オールド・カイロというカイロ右岸の南側の地区に行ってみる。ここはカイロのなかでもっとも古い地区らしく、イエスがエジプトから逃れて逃げ込んだ地下室というような伝説もある。たしかにモーセはエジプト生まれだし、ファラオの殺害を逃れて云々という話もあるのだから、エジプトとキリスト教の関係を聞いて驚くのは自らの無知を告白するに等しい行為ではあるけれど、やはり驚いたと言いたい。知ってはいたけれど、こうして直に目にすると、「ああ、そうか、そうだった」という深い驚きに打たれる。

教会の構造にしても色使いにしても、カトリックともプロテスタントとも全然違う。とくに聖ジョージ教会の天井は鮮やかな水色で、ビビッドというのではないけれど、目が覚めるような色ではある。

天井に描かれたイエスのイコン(と呼んでいいのか)を見ながら、キリスト教において「昇天」というのは、比喩的であると同時に字義的なのだろうかと、ふと思う。天井に描かれたキリストは、あえて見上げなければ見えない。しかし教会に入る者はつねに神に見られている。神は「上」にあり、つねに「見て/見られて」いる。ここにベンサム的なパノプティコンの眼差しを繋げるのは強引すぎるだろうし、カトリックプロテスタントの教会にそこまで真上からの視線があったどうかよくわからないけれど、仏像や曼荼羅のようなものの空間配置と異なることは間違いない。

石造りの建築は、スクラップアンドビルドするのではなく、積み重ねていくものなのか。ここでは古い柱のうえに新しい屋根が載せられたり、古い建物の上に新しい階が積み重ねられたりする。

コプト教はひじょうに繊細な幾何学的模様を好んだらしく、修道院の石柱に見事な紋様が刻まれている。

ここはコプト教の教会施設に加えて、シナゴーグもある。全体が暗い色調で、細やかな紋様がある。写真撮影は禁止。ここも厳重な警備に置かれている。

聖ジョージ教会とコプト教博物館を除くと、他の教会やシナゴーグは半地下にあり、地下に続く階段を降り、空がのぞく狭い通路を抜けていかなければならない。

 

それにしても何という厳重な警戒だろう。昨日カイロ街中のシナゴーグの前を通ったときにも思ったことではある。そこはコンクリートの移動式ブロックの塀で囲まれ、軍服を着た歩哨が1人いたけれど、コプト教博物館の前はさらに厳重。警察の車に加えて、軍隊(だろうか?)の人間が2人脇に座って談笑しており、さらにもう一人が博物館(これは7世紀ごろの修道院をリノベーションした建物らしい)の前に置かれた車止めの真ん中でずっと立っている。そしてやはりセキュリティチェックというにはあまりにゆるいセキュリティチェックがある。

 

社会見学の定番なのか、小学生低学年くらいの子どもたちがたくさんいた。そういえば今朝地下鉄に向かって歩いていると、小学生高学年くらいの7人んくらいの集団に絡まれた。英語と(たぶん)アラビア語で「どこから来た」「名前なに」とエンドレスに聞かれる。何度か答えて、さすがに辟易して逃げるように足を速めると、となりにいたスーツ姿の若いエジプト人が「悪いね」的な感じで子どもたちに変わって詫びてくれる。ちょっと不思議な体験だった。

 

話を戻そう。昨日カイロ・タワーでも思ったけれど、アラブ女性の自撮り好きにまたもやびっくりさせられる。10代半ばくらいの黒いスカーフをかぶった少女たちの集団がいたのだけれど(これも修学旅行的なものだと思う、引率らしき大人の女性がいて、みんなで記念撮影をしていたので)、教会のステンドグラスの光が黒い衣に注がれてすごくインスタ映えしそうなポイントを見事に見つけ出し、そこで何枚もシャッターを切っている。ちょっとなるほどと思ったのは、一緒にいる女性たちのグループにしても、スカーフをかぶっている人といない人のペアがいたり、ブルカとヒジャブだったり、意外とまちまちなのだ。何となく勝手に同じようにスカーフをかぶる人たちでまとまるのかと思っていたのだけれど、そんなことはないようだ。

 

初めて地下鉄に乗った。やや緊張する。列車内は暗い。女性専用車両が真ん中にある。チケットを窓口で買わないといけないのがやや面倒だけれど、安いのは安い。片道3エジプトポンド(20円ぐらい)。

勝手がわからずドアのそばに立ちつくしていると、まわりからアラビア語で(たぶん)「どこに行くのか」と聞かれたので、ドアのうえの路線図で行き先の駅を指さすと、「こっちのほうに来な」と車内のほうに招き寄せられる。どうやらドアの前は次の駅で降りる人の待機場所になっているらしい。

ある駅が近づいてきて、やや離れたところに座っていたご老人が降りようとすると、近くにいた今風の若者(アメリカでも見かけそうなスキニーな服を着こなしたクールな感じの若者)が体を支えてやり、手を握ってドアまで付き添い、ホームに降りるところまで手を貸してあげる。それがとても自然に行われていて、アラブ世界における年上にたいする社会的敬意というものを考えてしまう。

帰りの列車のなかでは、物売りがやってくる。レザーの小さなバッグを手一杯に抱え、売り口上を述べる。アラビア語がわからないので、何を言っていたのかわからないけれど、途中で聞こえてきた「メトロカード」という言葉から察するに、「カードがぴったり入る使い勝手のいい鞄だよ」的なことを言っていたのだろう。驚いたことに2人も買っていた。

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