うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。土曜午前の日本語学校のボランティア。

アメリカ観察記断章。相変わらず土曜日午前中は日本語学校のボランティアをしている。そして、日本語の数の数え方がいかにトリッキーであるかを思い知らされている。たとえば、17は「じゅうなな」でも「じゅうしち」でもいい。しかし77は、「ななじゅうなな」や「しちじゅうしち」や「ななじゅうしち」はありえても、「しちじゅうなな」はほとんど一般的ではあるまい。ここにはどうやら方言だとか地域的なものがからんできているので、決して一筋縄ではいかない。それに子供たちは小さな「ゅ」がうまく把握できないらしい。「じゅう」のことを「じう」と書いたりする。日本語話者が英語を勉強すると、英語のリエゾン(what are you doing?が「ホワット・アー・ユー・ドゥーイング」ではなく「ホワッチャーユードゥーイン」のようになること)に苛立ちを覚えることがあるが、それと似たような現象は、英語話者が日本語を勉強するときにも起こっているのではないかと思う。もちろんこうした音声上の変化は、ある程度まで理論的に説明可能のはずだ。しかし、実際の話者にしてみれば、これはまさに「自然」で「当たり前」のことでしかなく、説明のしようがないことであると感じられるだろう。他言語を教える/学ぶうえでもっとも困難なのは、こうした「自明の事柄」であるように思う。