うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20240312 モントリオール2日目午後後半。ノートルダム・ド・ボンセクール教会。

モントリオール2日目午後後半。ノートルダム・ド・ボンセクール教会は、モントリオールへのフランス人入植の最初期に、女性解放(尼僧院の外へ)という理想を抱き、危険極まりない大西洋を7回も渡った修道女マルグリット・ブルジョワが建設したものである。現在の建物は、1745年の火事の後、1771年に再建されたものだというが、同じくオールド・モントリオールにあるノートルダム大聖堂と比べると明らかにこじんまりとしているが、だからこそ、親密な雰囲気がある。

ここも建物下に遺構が眠っていたそうで、それが博物館の一部として公開されている。マルグリットの時代のこの教会がどのようなかたちをしていたのかを示す資料がないため、外観についてはまったく不明だが、基礎の石積のおかげで、かなり小ぶりであったことがわかる(そもそも入植当初の人口は50名ほどだった)。鐘楼があったところまで階段で昇ることができるので、景色を楽しめる。

大聖堂がオフィシャル感というか、よそ行きのかしこまった作り物めたさを漂わせているとしたら、こちらには、肩の力が抜けた自然体の信仰がある気がした。だからこそ、お隣が、大きな商業施設ーーとは言っても、テナントとして入っているのはローカルなもので、先住民の工芸品的な土産物(?)を扱う店がほとんどではあるーーなのは、ちょっと皮肉な感じもするところだ。



20240312 モントリオール2日目午後前半。オールド・モントリオール。

モントリオール2日目午後前半。オールド・モントリオールモントリオール発祥の場所ということもあって、歴史的に重要な建築物がひしめき合っているが、そのなかでも象徴的なのは、フランス語だと Pointe-à-Callière - Cité d'archéologie et d'histoire de Montréal というやたら長い名前の博物館だ。モントリオールの始まりはいくつかあるが、1642年、モントリオール島ーーそう、モントリオールは、東側を流れるセント・ローレンス川と西側を穿つオタワ川のあいだの大きな島なのだーーにやってきたカトリックの宣教師を含む1行50数人が作ったヴィル・マリ、「マリアの街」であり、「カリエール」という名前は初期の統治者に由来する。

「考古学」を冠しているが、先史時代の遺物はそれほど多くはない。もちろん、先住民がすでに現在のモントリオール島を活用していたことはきちんと触れられているものの、やはりその語り口はヨーロッパからの視点であり、さらに言えば、フランスよりのものという感じもする。

ともあれ、これは1642年から350周年になる際に手掛けられた事業であり、街の地層を発掘することで、地面の下に堆積する歴史を公開するという試みであったようである。マルチメディア的な展示が駆使されてはいるものの、何よりもここの目玉なのは、発掘された遺構がそのまま展示されている点だ。つまり、これは、遺構を破壊するのではなく、保存するために、あえて遺構の上に建てられた博物館である。

(ここを見ていて、静岡市歴史博物館が何をやろうとしているのかが腑に落ちた気がするけれど、ここの圧倒的なボリュームに比べると、静岡のものは余りに物足りない。)

Wikipedia の「モントリオール」の項目ではあまり取り上げられてはいないけれど、この博物館が大きくフィーチャーする物語とは、1701年、北東のほから、西は五大湖のあたりまで、1500名近くに渡る各地の先住民の代表者たちが集まり、モントリオールをフランス人の街とすることに同意する平和条約を結んだことである。フランス側の署名とともに、39の絵文字による署名が記された文書のことが、何度か取り上げられていた。

(ところで、このフランス側と先住民側の調停を取り持った立役者は、ヒューロン・ワイアンドット族のカンディアロンクであり、彼の説得によって先住民たちはフランス側との条約締結に同意したとのことだが、彼のことは、グレーバーとヴェングロウの『万物の黎明』の冒頭で取り上げられている。)

モントリオールはフランスの宣教師が始めたとしたらーーフランス人が17世紀初頭にこの島にやって来たとき、近隣の先住民は数十年前に何らかの理由でこの島から出ていっていたそうであるーー、それが大きく転換するのは、1760年、イギリスの侵攻のことである。それ以後は、古参のフランス系に取って代わりとする新参のイギリス系(スコットランドイングランド系)が勢力を拡大していくが、前者はそれに粛々と従ったわけでもなく、そこに、カナダのイギリスにたいする距離感があるし、そこで距離感を保つことができたところが、その他の大英帝国の植民地とは一線を画すところなのだろう。

博物館のフロアプランはひじょうに入り組んでおり、かつ、複数の建物からできているため、正直な話、どこにいるのかまったくわからなくなってしまうが、順路に沿って進めば迷うことはないだろう。

あまり期待もせず、何があるのかもよくわからないまま行ったけれど、これはすごくよかった。勉強になったし、郷土史というある意味ではローカルで、ややもすれば保守的になりかねないものを、「交流」を軸とした歴史観を押し出すことで、街の未来をこれまでの歴史の延長線上に位置づけ、街がコミットすべき価値を明確化していた。考古学と歴史学の博物館ではあるが、根本では未来志向の展示であった。

 

20240312 モントリオール2日目午前中。ノートルダム大聖堂。

モントリオール2日目午前中。ノートルダム大聖堂は入った瞬間に息を呑むような美しさに圧倒させられる。しかし、よく見ていくと擬古典風というか、近代が再現した中世という感じもしてくる。全体的に青みが強く、どこかエジプトで目にしたコプト教会を思い出した。ともあれ、この大聖堂が建てられたのは1829年とのことだから、この印象は外れてはいないだろう。

壁を取り囲むステンドグラス(こちらは大聖堂建築100周年を記念してのものだという)は、顔部分だけ妙に写実的だが、これは実在の人物を反映してのことだろう。その一方で、壁画は伝統的な宗教画の慣習にのっとって描かれているようであり、どこかチグハグな印象もある。

裏手にある礼拝堂にはモダンなブロンズの祭壇彫刻があるところが、この大聖堂の近代性を象徴しているようでもある。

面白いことに、キャンドルを捧げるのにクレジットカードで支払えるように、カードリーダーが取り付けられていた。いまはこれがスタンダードなのかもしれない。夜には内部をライトアップするショーがあるとのことだが、閲覧料が30だったか40だったかする。商魂逞しい。

(日本人は見かけなかったけれど、入口の有料パンフと冊子ーーそれぞれ2ドルと5ドルーーには日本語版があったばかりか、日本語版の冊子が面見せで置いてあったということは、わりと日本人観光客が来る、または、来ていたということなのだろう。しかし、アジア系のなかでよく見かけたのは、中国や南アジア(インドあたり?)からの観光客であった。)

とはいえ、このような空間で鳴り響く声、パイプオルガンの音は、さぞ天上的なものに聞こえるだろうと思う。教会を一大スペクタクル装置と捉えるなら、ここで行われていることはすべてとくに不思議がることでもないのかもしれない。

今日のスープは、たぶん、カリフラワーのポタージュにアボカドのピュレをかけて、セサミ(ゴマ)やポピー(かな?)をトッピングして、オリーブオイルをふりかけている。グリルドチーズは、ケチャップがついているが、ちょっと甘酸っぱい味付けで、カリッと焼かれたブリオッシュ的なパン(しかし甘くはない)とうまくマッチしていた。オレンジジュースは果物を絞ったフレッシュなものだけれど、オレンジというか、ミカン的な風味が強かった。水がオリーブオイルの空き瓶らしきものでドンと大量に出てきたのにはすこし面食らった。ちなみに水のコップはIKEAのものでした。Olive et Gourmandoにて。

 

20240312 モントリオール2日目。朝の散歩。

モントリオール2日目朝の散歩。モントリオールは、東にあるセント・ローレンス川に沿うように広がっており、北東と南西を結ぶ大通りがふたつある。西寄りにあるのがサント・カトリーヌ通りで、東寄りにあるのがルネ=レヴェック通り。後者を2キロほど北上し、川の方に折れたところに、オールド・モントリオールと呼ばれる旧市街があり、そこの大聖堂に来たら、一般に開放されるのは10時からとのことで(朝の礼拝は信者のための場ということらしい)、近くのカフェで休憩中。

大通りの両脇に高層ビルが立ち並んでいるが、工事中の箇所も多く、街がいまだに変化の途上ーー上へ上へと伸びていく過程ーーにあることを意識させられる。その一方で、歴史を留める教会や広場がそこかしこにある(ところで、ここでは宗教施設と広場が、宗教的なものと世俗的なものが、ある意味では、ある程度までは分離している一方で、日本ではこれが、森や林を持つ神社によって融合してしまっているようにも思う)。交差点で西側を向くと、丘が見える。大通りはかならずしもきれいな直線ではなく、ちょっと蛇行したり、幅が変わったりするものの、丘に抜ける道はおおむね真っ直ぐ伸びているようにも見える。東側に降りていく道はもうすこしごちゃごちゃしていそうな印象。

Café Tommyにて

 

20240311 モントリオール1日目。夜の外出。

モントリオール1日目。とりあえず滞在先のホステルの周りを少し歩いてみる。ダウンタウンのややはずれということもあり、昼間が賑わうオフィスビル街という感じ。車道が広いが歩道も狭くない。この感じはLAに似ている。その一方で、フラットな土地ではなく、川岸に向かって下っていく。この点では海に向かう急勾配な斜面にあるサンフランシスコを思わせる。横断歩道が多い気がする。雪はまだ残っているけれど、思ったほど(恐れていたほど)は寒くない。十分寒いし、空気は肌を刺すようだけれど、身を切るような強い風が吹いているわけではない。

このレモネードはとても美味しかった。レモンの酸味がまずストレートに来るのだけれど、自然な甘みがそれを包みこんでくれる。

May be an image of 1 person, lighting and indoors

LOVというダウンタウンにあるレストラン

マッシュルームバーガーは、ソテーかと思いきや、フライになっており、そこにタルタルっぽいマヨネーズ(このハーブはなんだったかな?)が効いており、知らずに食べるとちょっと混乱しそうな味。サイドのポテトはメニューではケベックフライとなっていたけれど、どのあたりがケベックなのかはよくわからなかった。ただ、ふつうのポテトではなく、アメリカで言うスイートポテト(形はさつまいもに似て、食感はむしろかぼちゃに近く、甘みはあまりない)を揚げているのかという感じ、ケチャップは自家製なのかわからないけれど、甘みが強めで、そこにちょうどよい酸味があり、このポテトによくマッチしていた。

 

20240311 カナダ滞在記のはじまり3/3、モントリオール・ピエール・エリオット・トルドー国際空港の仏英表記

空港案内はすべてが仏英併記で、アナウンスもフランス語に続いて英語が流れる。それにしても、成田の出国審査でもそうだったけれど、自動化が進んでいる。とはいえ、最終的には、お決まりの口頭でのやり取りがわずかにあった。Where are you from? What's the purpose of your stay? というような質問。

アメリカ西海岸とカナダ東海岸(と言っていいのか?)を比べるのはなにか違う気もするけれど、働いている人の顔ぶれはずいぶん違うというか、やはりアメリカ西海岸が東アジア、東南アジア系が多かったのだなという当たり前のことにあらためて気づいた。カナダの人種的多様性は、アメリカのそれとはまた随分ちがうような感じがするが、さあ、どうだろうか。