うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20191229 Day 7 移動日に綴る間奏曲的な雑感2。

アレクサンドリアからウーバーで移動。新たに作られたという道路はあきれてしまうほどにまっすぐだ。遠くには工場が見える。煙突のようなところから炎が上がっているのが見えたりする。そうかと思うと、牧羊犬に率いられた羊の群れがいたりする。道路の中央帯にはヤシの木が等間隔で立ち並んでいる。

エジプト人(というかアラブ圏のと言うべきか)の身体的距離感覚について。カイロでもアレクサンドリアでも見かけたのだけれど、カップルが横並びで座っている。テーブルをはさんで差し向いに座るのではなく、同じ側に並んで座るのだ。必ずそうというわけではないけれど、これは親密さの表し方のひとつなのだと思う。

手を繋ぎ腕を組む。男同士、女同士が腕を組んで歩いていたりするし、一緒に話をするときの距離が日本よりはるかに近いと思う。それを思うにつけても、日本はある意味で身体的接触を避ける(知り合いの場合)一方で、赤の他人との共生的――「強制的」の変換ミスだが、これでも意味は通るか――な身体的接触を受け入れている(満員電車の場合)部分があるという奇妙な矛盾のことが頭に浮かぶ。

女性の頭部を覆うスカーフはまち針のようなもので留められている。

英語は通じないとも言えるし、通じなくもないとも言える。英語が通じる店員がいる店もあれば、いない店もある。英語メニューを用意している店もあれば、ない店もある。だから、英語帝国主義に乗っかろうと思えば、乗っかれなくもない。

しかし、英語が通じる店員もいないし、英語のメニューもないようなレストランやスタンドで食べようとすれば、アラビア語の初歩的な知識は必須であるということを痛感する。言語はサバイバルのために必要である。

とはいえ、観光客が来ているような店だと、店員が日本語のフレーズを少しだけ知っていたりする。「アリガトゴザイマス」というような感じに。ある場所では「トーキョウオーサカナガサキヒロシマ」というような地名を朗誦してくれた店員がいた。けれども、日本語で用が足せるとは思えない。

英語が分かるのも考えもの。客引きはだいたい英語で話しかけてくる。なまじ英語が分かっていると、客引きの文句が分かるので、無意識に反応してしまい、意識的に無反応を装う羽目になる。

ケーキを頼むとナイフとフォークが出る。日本だとケーキフォークというのだろうか、一番端がすこし幅広になっているフォークが一般的で、ナイフというのはないような。というか、日本だと、ケーキにはディナーフォークよりも小ぶりのフォークを出すと思うが、エジプトだとディナーフォークぐらい大きいものが出てくる。

道端にゴミが落ちている一方で、店の前やウィンドウを丹念に掃除している人がいる。たしかに日本の潔癖症的な清潔さの基準からすると甘いところもあるが、きれいにすべきところはきれいにしているし、きれいにしようという意志を感じる。

日本でも車のウインドウに交通安全のお守りをぶら下げることがあるが、似たような習慣はエジプトにもあるらしい。数珠と言えばいいのか、ネックレスと言えばいいのか、そういうものがぶら下がっていたりする。

エジプトの男はほぼ短髪。長髪は見たことがない。

バイクの多人数乗り。2人乗りはまだしも、3人乗り、4人乗りがある。しかも家族で。父が運転し、後ろにふたり、前にひとり抱きかかえるように、風防部分に隠れるように。それで車の横のスペースをすいすい抜けていく。見ている方が怖い。

 

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20191229 Day 7 カヴァフィス博物館、マーケット。

カヴァフィスはギリシャ語で書いた詩人だが、アレクサンドリアで生まれ、一時期ここを離れた以外は、生涯をアレクサンドリアで過ごした。カヴァフィスが暮らした部屋がいまは博物館になっている。建物はすぐに見つかったが、入り方は若干トリッキー。博物館は2階となっているが、2階というよりは4階といったほうが妥当な気がする、階段と階数からすると。しかし困難はこれだけではない。入口が閉まっているのだ。扉には「ヘレニズム文化協会」というようなプレートがあり、そこに「カヴァフィス博物館」と書いてある、扉の横にある呼び鈴を鳴らすと、中から扉を開けてくれるという仕組みだ。

見るべきものはあるような、ないような。各国語の翻訳がガラスケースのなかに入れられており、さまざまな人の手になる肖像画や写真が壁にかかっている。デスマスクや彫像がある。カヴァフィスが使っていたと思しき書き物机や椅子、ベッドがある。「イサカ」という詩のプレートが原語と3つの英訳でかかっていたが、たしかにこの詩で歌われている所在なさの感覚――故郷は不可能であると同時に必要である、というのも故郷がなければ出発するための拠点がなくなってしまうから、帰るための場所として故郷はあるけれども、故郷に帰るために旅に出るのではない、故郷に期待してはいけないけれどいつかは帰ることになる場所である、そして帰ってみてやはり故郷は何も与えてはくれないことに気づくのだ――は、アレクサンドリアという街とたしかに響き合っているような気はした。帰国したらカヴァフィスの伝記を読んでみよう。窓際におかれたノートをぱらぱらめくってみると、ギリシャ語の書き込みが多数あった。ギリシャからの来訪者が多いのかもしれない。

駅前のほうに歩いていくと、マーケットが出ている。パッケージの肉などがある一方で、塊の肉がぶら下がっていたりもする。駅前の公園の木々が面白い形に刈り込まれている。

駅から海に伸びる通りにも店が立ち並んでいるが、そこに古本屋のスタンドのようなものがいくつも林立している。アラビア語の本が主体だが、多少は英語の本もある。しかし生物学とか経済学の教科書のようなものが主体な気がする。近くにアレクサンドリア大学があるから、そういう本の需要があるということなのだろうか。

 

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20191228 Day 6 アレクサンドリアの街歩き続き。

モノとして残っている文化遺産を観光産業にするのは比較的容易なことだ。日本で言えば神社仏閣、西欧で言えば教会、そしてここアラブ世界で言えばモスク。建物は保存できるし、もしそこに儀式や儀礼のような所作レベルにまで落とし込まれた作法という伝統があれば、そこでかつて営まれていたものを現在において営み続けることは、依然として容易だろう。

しかし、マテリアルなものがすべて残されるわけではないし、生活のあらゆる局面がそのように引き継がれてきているわけでもない。そうなってくると、外側だけが部分的に残り、その中身は大いに変質してしまっている(という言い方は過去を正常とする立場であり、あまり適切ではないが)という状況が出現する。そうした状態にある街が観光産業として売り出せるものは何なのだろうか。

アレクサンドリアの街を歩きながらそんなことを考えてしまう。ここには豊かな重層的歴史があるけれど、その痕跡は近年かなり希薄になってきているのではないかという気もした。とくに20世紀初頭から中期にかけてのヨーロッパ的なコスモポリタニズムの雰囲気は、果たしてどれだけ残って(この言い方も、そういうものが残る「べき」であるという価値判断に立つ一方的な見方であるけれど)いるのかという疑問がわいてくる。

カヴァフィスが通っていたというカフェTrianonに行ってみる。なるほど、ロンリープラネットに書いてあるように、壁や天井や柱には1930年代の壮麗さが残っているけれど、店自体に、店員の所作に、そのような空気が残っているのかというと、どうなのだろう。いや、カフェ自体の雰囲気はよいし、これはこれでとてもいい場所だとは思うし、だからこそきちんと繁盛しているのだろうけれど、観光スポットではありえない。というよりも、現代においてカフェビジネスをやろうとすれば、こうなることはむしろ必然的な成り行きであるし、そこは理解できる。しかしどこか惜しいような気もしてしまう。

街の建物は古い。それぞれが少しずつ変わっている。それは見ていて楽しい。けれども、老朽化が進んできていることは間違いないし、中身は決して快適とは言いがたいのかもしれない。だからこそ海沿いは、かつての建物を保存しようという動きがあるにもかかわらず、規制をかいくぐってディベロッパーに売ってしまう大家がおり、その結果、かつてならありえなかった高い建物が立ち並ぶという状況になってきているとロンリープラネットには記されていた。

変わっていくのが街の生命の必然だろう。ロンリープラネットによれば、アレクサンドリアの都市人口は急増しており、近年はシリア難民が多数やって来ているそうだ。もともと開発の余地が少ない街であるから、増える人口を吸収しようとすれば、上に伸びるしかないし、そのためにはかつての建物を壊して高層のものを建てるしかない。しかし、そうすればそうするほど、古い建物がかろうじて記憶にとどめていた20世紀的なエートスがますます失われていくことになるのではないか。アレクサンドリアはこの先どのような街になっていくのだろうか。

 

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20191228 Day 6 アレクサンドリアの博物館と図書館。

ラクションにもずいぶん慣れてきた。あれは威圧というよりも、音によるウィンカーなのだと思えるようになってきた。信号があってないようなところでは、視覚情報だけでは不十分であり、つねに音で周囲に知らせる必要があるのだろう。だからクラクションがひっきりなしに鳴っているのだ。

アレクサンドリアはかなりコンパクトな街で、ダウンタウンと呼べる圏内は歩いて回ることができる。しかし、すこし遠出しようとすると、車が必要になってくる。アレクサンドリアは規模から言うとエジプト第二の都市らしいが、あまりそのような雰囲気は感じない。カイロが圧倒的に巨大すぎると言うべきなのかもしれない。人口はカイロの半分以下のようだから、この印象は案外間違っていないのかもしれない。

国立博物館は小ぶりなヴィラのなかにあり、地下1階に地上2階とコンパクトな展示だけれど、展示物はそのぶん厳選されており、これだけでエジプトとアレクサンドリアの歴史的重層性が体感できる造りになっている。地下がファラオ期、1階がギリシャ・ローマ期、2階がイスラム期。

すでにカイロの博物館で見てきたものばかりといえばそのとおりではあるのだけれど、カイロ考古学博物館が混沌と言いたくなるほど雑多な提示であったのにたいして、こちらは西欧的な基準の「ミュージアム」そのものにほかならない。ガラスケースに収められ、キャプションがついており、あちらこちらに説明用のパネルがある。そのおかげで、何となくごっちゃになっていたギリシャ期からローマ期への移行がやっと整理できた。

アレクサンダー大王による大遠征とその支配が紀元前300年ちょっと前から、大王の配下が始めたエジプト支配がプトレマイオス朝(世に名高い図書館や大灯台が作られた時代)で、その王朝の最後の統治者であるクレオパトラがシーザーと結ばれその後さらにアントニーと結ばれるが(ギリシャ化されたファラオ/ファラオ化されたギリシャであったプトレマイオス朝共和政ローマの融和の時代)、ふたりはともにローマによって滅ぼされる(アクティウムの海戦)。紀元前30年頃のことだ。その勝者であるアウグストゥスが初代ローマ皇帝となり、ローマ帝国支配が始まるが、その時期のアレクサンドリアは不遇の時代でもあった。政治的叛乱は軍事的に圧殺される。イスラム帝国マムルーク朝期に一時復興するも、その後また低落し、ケープタウン周りの東方経路が見つかり大航海時代が始まると、海運の要としての湾岸都市の重要性はさらに低下する。ナポレオンのエジプト遠征によって街はふたたび軍事的要所となるが、19世紀の最初の半世紀に街の近代化を推し進めたのは、オスマン帝国の属州エジプトの総督ムハンマド・アリーの手腕である。19世紀末以後はイギリスによって占領され、そこから完全な独立を成し遂げるのは1950年代のことである。

古代のアレクサンドリア図書館は焼失しており、いまの図書館は、古代の跡地に建てられたという。半円形の本体に斜めの屋根という印象的なデザインはノルウェー設計事務所によるもので、1990年代から着手され、2000年代初めに完成した。オープンスペースとなっているリーディングルームは世界一の広さらしい。古代図書館で巻物をしまっていた穴をモチーフにしたという片側の壁が防音壁になっていて、図書館内は意外なほど静かだ。開架図書は意外と少ない。近くにアレクサンドリア大学があるからなのか、勉強している若者グループが多い。

入場はかなり面倒。手荷物検査はすでに慣れているが、手持ちの本まで調べられ、スタンプを押された。本の持ち出しを防ぐための措置なのだろう。たしかにエジプトの物価水準を考えると、本はかなり高価だから、その配慮もわからないではないけれど、そのわりには出るときのチェックが雑。

無料英語ガイドツアーに参加すると、かなりの数の参加者がいた。30人以上はいただろうか。ガイドの発音だと「アレグザァンドリィア」という感じで、「グザ」と濁音。ガイドブックだと「アレキサンドリア」だし、ダレルの有名な連作小説だと『アレクサンドリア四重奏』だし、アラビア語だと「イスカンダル」という感じらしい。

リーディングルームには著名な文学者や文筆家の彫像が飾られている。アラブ世界で有名な人たちが多いが、イプセンガンジーなどもいた。

地下のほうにいろいろな常設展がある。図書館にあちこちに飾られている彫刻の作者である作品があり、エジプト各地の工芸的なものの展示があり、エジプトの画家の作品展がある。サダト博物館などというものまである。ある意味とてもエジプト色が強い。

入場料とは別にさらに上乗せで入館料を取られるアンティーク博物館は、内容的には、国立博物館と重複する部分もあるが、古代に的を絞っているだけ、こちらのほうが内容は濃い。とくにネルソン島というアレクサンドリアから張り出したところにある小島から発掘された陶器の展示が個人的にちょっと興味深かった。マニュスクリプト博物館は正直余分に払ってまで見るほどのものではなかったけれど、イスラム世界においてコメンタリーが余白にどう書きこまれるのかを直に見れたのはよかった。

このふたつの博物館はきっちりと入館券をチェックしないので、買わなくても入れてしまった気がする。付言しておくと、エジプトでチケットを買うのは意外と面倒。なぜなら、おつりがないと言われることが結構あるから。朝行った国立博物館は入館料が100EGPで、200紙幣で払うと、「いま100紙幣のおつりがないから後でとりに来て、入場券の裏のここに100って書いていたから、これと引き換え」と言われる。おつりを計算するのが面倒なのか何なのか、80のところで200出すと100はないかと言われることがある。

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20191227 Day 5 アレクサンドリアの市場。

通りを占拠するように売り物を所狭しと並べられている。店のラインナップも、商品のラインナップもあまり変わらない。野菜、果物、魚、肉。それに、たまにパン屋があるくらい。野菜はキャベツ、カリフラワーのような大物から、ビーツやジャガイモのような根菜類、ホウレンソウ(だろうか?)のような葉物、玉ねぎやニンジン、インゲン、それにナス。果物は柑橘類にいちご、桃や林檎、葡萄、バナナ。イカが黒ずんでいるように見えたが、イカ墨で汚れているだけのようだ。ニワトリ、ターキー(だろううか?)、ウズラ、ウサギなどが生きたまま売られているかと思うと、肉塊が吊るしてあったり、すでに切り分けられた肉になっていたりと、形態はさまざま。魚は丸のまま売られている。

キャベツとカリフラワーがとんでもなく大きい。ドッチボールぐらいの大きさというフレーズを、比喩ではなく、字義的に使えることがあるとは思わなかった。

写真を撮っていると、「俺を写してくれ」と、微動だにせず30秒くらいポーズをとってくれる八百屋の若者がいた。

多くの人が行き交うこの狭い通りに入ってくる車がいる。サイドミラーを折りたたんだり、店員が軒先のものをすこし中に入れたりして、どうにか通り抜けていく。

 

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20191227 Day 5 アレクサンドリアの街歩きと雑感少々。

地中海の逆側(という言い方がすでにヨーロッパ側からになるが)にたどり着いたという気持ちがする。カリフォルニアは地中海性気候だと言うし、何となくカリフォルニアのことが浮かんだけれど、海沿いの道とそこに並び立つ建物という空間造形は、実際、ロサンゼルスそばのサンタ・モニカやロング・ビーチや、第二次大戦中に亡命ドイツ人ユダヤ人たちがサンタ・モニカに安住の地を見いだしたことを思い出させた。

不思議な天気だ。天気雨のようなものが多い。朝、空は晴れているのになかなか激しく雨が降る。しかしそれも10分15分もすると上がってしまう。そしてまた忘れたころにポツポツと降り出し、またすぐに止む。傘を差すほどでもないが、傘を差さないと結構濡れてしまう。まさに「雨宿り」にちょうどいい雨。

カイロは埃っぽいところだった。街中を駆け抜けていくクルマやバイクの排気ガスのせいで、空気が淀んでいた。空気までくすんでいた。しかしアレクサンドリアは、雨のせいもあり、ずいぶん空気が澄んでいるし、そのせいなのか、カイロよりずっと肌寒い。気温が低いというよりも、海からの風が強く、日影に入ると途端に体が冷えるという感じだろうか。とはいえ、あまり潮の臭いを強く感じることはない。シーフードが有名で、漁港でもあるはずだが、海に軽く突き出た小さなふたつの岬で抱すくめられている半円の湾内沿いの道路を歩いてみても、風にべとついた感じがないし、漁港特有のあのにおいがしない。

緑が濃い。道端の草にしても、葉が大きく、茎が太い。カイロと比べて街路樹がことさら大きいということはないと思うけれど、植生が違うような感じはするし、草は、日本で見られるものと系統は同じなのかもしれないが、やはりずいぶん違う感じがする。

建物の色が明るい。カイロはすべてが砂色で、よくもわるくも地味な印象だったが、こちらはスペインやイタリアの港町でもありそうな、やや明るめの黄色が建物の基調をなしているように感じられる。しかも、扉を緑で塗ってあったり、階ごとにちょっと色を変えていたりと、あきらかに華やかなところがある。それが、空の澄んだ青さと、冬の冷たい空気と、よくあっている。もちろん夏の暑さとあわないということもないだろう。

とはいえ建物の造作は意外と雑なところがあるような気もする。これは地震大国である日本の建物がきっちりしすぎているということなのかもしれないけれど、傾いた(!)ビルが平然と立っているばかりか、そこで日常生活が営まれているのを目の当たりにすると、やはり驚く。

カイロでもあちこちで見かけたが、こちらの解体現場/放置された解体後の土地は、無残な感じがする。レンガ的なものが剥き出しになり、石が砕けており、まるで家が粉々になってしまったかのような印象を受ける。そしてそこには、微妙にゴミが集まってくるかのようだ。

エジプトのゴミ意識はよくわからない。すべてが路上に投げ捨てられているわけではないし、商店の前はきれいに掃き上げられているし、ショーウィンドーは日常的に拭き上げられている。しかしちょっと裏通りに入ると、路肩にゴミがごちゃっとなっていたりする。カイロの場合、乾いているからまだいいが、冬の雨のアレクサンドリアの場合、土のぬかるみや道路のでこぼこに出来る水たまりと相まって、ちょっと美しくない状況を作り出してはいる。とはいえ、悪臭がするわけではないし、水たまりの水を掃き出す人がいたりと、コンディションを保とうという努力は日々繰り広げられているのだとは思うけれど、いかんせん、デフォルトの状態というか、現行のインフラがまだ現在進行形で構築中にあるせいで、どうしても限界があるのだろう。

猫や犬が多い。栄養状態のせいなのか、ノラネコの顔つきが日本の猫よりずっと鋭角的な感じがする。しかしいちばん違うのは毛の模様かもしれない。これははっきりと種類が違うのだろうという感じがする。猫はかなりノラネコだろうが、犬はどこまでノライヌなのかよくわからない。

今日がとくに雨上がりのあとだったからというのもあるのだろうけれど、波が高く、海がすこし濁っている。外海のほうを見るとたしかに海面はエメラルドグリーンだが、防波堤にぶつかってはくだける波のあたりは、緑がかった灰色という感じだ。

アレクサンドリアは横に長く縦に短い。縦はせいぜい3キロほどで、横の広がりは15キロぐらいらしい。この横長の土地を貫いて路面電車が走っている。車両は新しいのからそうでないのまで、いくつか種類があるらしく、それによって運賃が異なるということ。乗る車両によっても異なり、3両目は1EGP、2両目は2EGP(だからこちらのほうが空いているらしい)、そして1両目は女性専用車で1EGP (カイロの地下鉄もそうだったが、真ん中2両ほどが女性専用車になっており、ホームにも「Ladies」と英語とアラビア語で表記されていた。

切符は乗車してから買う。紙幣を半分に折って重ね、コインを手のひらに、そのうえにチケットの束を重ね持つ若者に運賃を渡すと、薄っぺらなわら半紙に印刷されたチケットを束からちぎって手渡してくれる。彼は忙しそうに車内を行ったり来たりして、新しい駅に停まるたびに新たな乗車客にチケットを売っていく。

トラムと呼ばれる路面電車はかなり遅い。速度がというのもあるけれど、道路を横切るさいかなり停まるからだ。トラム優先ではないらしい。体感的には動いている時間よりも停まっている時間のほうが長いような気がする。

車内は薄汚れた感じ。掃除が行き届いていないような印象だが、これはカイロの地下鉄やアレクサンドリアまでの列車でも感じたことではある。

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20191227 Day 5 アレクサンドリアの重層的な過去。

エジプトは多層的な歴史を持っている。ざっくり言っても3つの異なる流れがある。ファラオの時代、ギリシャ・ローマの時代、そしてイスラムの時代。それがすべて習合しているわけではないし、混ざり合うというよりは、異質なものが林立しているというようなニュアンスのほうを感じる気がするけれど、融合している部分も当然ある。

カタコンベはそうした例だ。前2世紀ごろに作られたという墓の全体的な造作はあきらかにギリシャ風だが、そこに刻まれているレリーフはファラオ時代の神々である。しかしその神々にしても、顔はファラオ的エジプト、装いはギリシャ風となっている。アレクサンダー大王の遠征によって始まったヨーロッパによるエジプトの征服が、融和政策として、意図的に土着信仰を取り込もうとした痕跡であると言うべきか。

ポンペイの柱と呼ばれる、現在は一本だけ残っている柱についても、似たようなことが言えるかもしれない。紀元前3世紀初めに立てられた長さ20メートルほど、直径3メートル近い柱の石はナイル川上流の花崗岩を切り出してきたものらしいし、その前にはスフィンクスがある。

それにしてもこのような巨大な石をどうやって立てたのかと不思議に思う。アレクサンドリは古代からかなり海に沈んできており、6-8メートルは下がってきているという。つまり歴史の遺構はいまや湾の底というわけで、毎年色々と海中から発掘されているとロンリープラネットに書いてあったから、いまよりさらに高い場所にあったということになるのだろうけれど、だとすればますます謎だ。運んでくるだけなら川を利用できるから何とかなるはずだけれど、それを立てる、しかも建物の柱として何本も立てるというのは、とんでもない労力だったはずだ。

ローマ劇場と呼ばれるところは、劇場ではなく、研究施設圏宿泊施設だったという。消失してしまったアレクサンドリア図書館は、古代世界において、知の一大拠点であったし、そこに招聘された学者たちのための滞在場所があったというのは、むしろ当然だろう。講義室は当然として、風呂まであったとのこと。ヴィラと呼ばれる一画には鳥のモザイクががあった。それを見ていて、カリフォルニアはマリブにあるゲッティー・ヴィラのことが思い出された。あそこはまさに、ギリシャ・ローマ時代を再現しようと、わざわざイタリアから大理石を取り寄せて作ったところだったはずだが、モザイク画もいろいろあったと思う。期せずして、長く留学してたカリフォルニアにおいて仮想的に作り上げられていたヨーロッパ文化の残響の先駆けを目にした気分がする。

カイトベイ要塞は15世紀のもので、海上防衛のために築かれたという。軍事施設だからなのだろう、装飾はなく、頑丈さを念頭に置いた造作になっているように見える。武器弾薬庫だったらしい小部屋がたくさんある一方、中庭を見下ろす司令官用の部屋がある。カイロでも思ったが、イスラムの作る石造りの建物はなぜこうもひとつひとつの石が大きいのだろう。

ちょうど大きな観光バスがついたところで、中国人の団体がいた。そういえば今日はいろいろな国からの観光客と遭遇した気がする。インド、中国、韓国。ヨーロッパからの観光客は言うまでもない。日本にとってエジプトはやはり明治近代以降のヨーロッパ経由のものではなかったかという気がするのだけれど、インドや中国にとってのエジプトは、どういう位置づけなのだろうかとふと思う。

 

 

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