うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20191226 Day 4 移動日に綴る間奏曲的な雑感。

カイロからアレクサンドリアまで列車で移動する。距離にして200キロぐらいらしい。いちばん速い列車で2時間半、遅いものだと3時間半近くかかるようだが、チケットは71EGP(日本円にして500円くらい)と格安ではある。

とりあえずここまではアラビア語が分からなくてもなんとかなってきたが、まさか駅という交通の要所でそこに初めて引っかかる。地球の歩き方にはざっくりとしか書いてなかったので、まちがえて手荷物検査を通って駅構内に入ってしまうが、チケット売り場はその外だった。人が並んでる外のボックスがそうかと思ったが、3つか4つ窓口があるボックスのうえにはアラビア語表記しかない。とりあえず並んで窓口で「First class, Alexandria」と叫んでみるが、「一等車のチケットはここじゃなくて中の方」と言われる。たしかに外のボックスから右手にすこし行ったところに、日本のみどりの窓口のような感じのもっときちんとしたブースがあり、頭上にはモニター式の時刻表がある(しかしこれもアラビア語表記)。そしてなかなか列が進まない。こうして予定の列車を乗り逃がすことになった。

地下鉄のチケットを買ったときにも思ったが、こういう窓口の対応をしているのは女性だ。どうにか英語が通じるが、互いにカタコトになってしまう。途中でよくわからなくなってきて、何を言っているのかと途方に暮れてしまうが、周りで待っていた人たちが――そう、列になって待っているのではなく、窓口を取り囲むように人が待っているのだ、いちおう一列に待つことを期待するかのように柵があるのだけれど――「1パウンドコインを出してと言ってるんだ」と教えてくれる。

窓口の女性がおつりを取りに行ってるあいだ、助けてくれた男性から「Chinese?」と聞かれる。中国人に見えたのか、それとも最近カイロの駅で見かけるのは中国人が多いからなのかは、そこは不明。

エジプトの支払いはわりとアバウトで、90.86EGPに100紙幣で払うと10返ってきたりする一方で、71に100紙幣を出してそこに20紙幣+9コインのおつりという細かさはないらしい。というか、実を言うと、列車のチケットは70.25だったのだけれど。

列車は意外と混んでいて、暑い。一等車だとエアコン付きだというのに、暑いなと思っていたが、走り出して少しすると途端に寒くなってくる。ちょうどよいということがない。

隣りの席の男性がずっとなにかつぶやいているが、もしかしてコーランを暗唱しているのだろうか。スーツを着たビジネスマンが少しいるが、ほとんど乗客はカジュアルな格好。女性客はほんのひとにぎり。

カイロとアレクサンドリア間にはいくつかの種類があって、車両が違うらしいが、停車駅の数も違うらしい。今日乗ったのは一番速く、一番停車駅が少ないものだと思うけれど、どこで停まるかよくわかっておらず、間違えて最終停車駅の前で降りそうになる。東海道新幹線に例えるなら、東京で降りなければいけないのに品川で降りそうになった感じ。というか、実際に降りてしまって、乗ったときに荷物を運んでくれた若者に聞こうとしたのだが、英語は通じない。降りてきた中年女性が「I can speak English」と話しかけてくれて、状況を理解し、もういちど列車に戻る。

この若者だけれど、普通の服なので、車両の前で話しかけてきたときはなんなのかと思った。しかしずっと列車に乗っていたし、駅では荷物を下ろすのをやっていたから、駅員関連なのかもしれないが、どうなのだろう。そういえば、トイレの前にもひとり男性がいて、トイレに入ろうとするとなにやら消毒液のようなスプレーを何拭きかしてくれる。彼らにチップというか喜捨をすると微妙に怪訝な顔をされる。しなくていいのか、したほうがいいのか、しなければいけないのか、その判別が難しい。

アレクサンドリア駅は、大きいといえば大きいが、まだ建築中という感じで、ホームには砂利の小山があったり、ちょうど小雨が降ったあとだったので黄土色にぬかるんでいたり、レンガ敷きのホームがところどころ陥没していたりと、きわめてローカルな雰囲気。そしてここでも英語は通じなさそうな雰囲気。

そして駅を出ると、タクシーの運転手の客引き英語が聞こえてくるし、何人ものドライバーが話しかけてくる。「Taxi? Good price!」

結論。英語は金を稼ぐことに真剣なところでしか使われない。金を稼ぐのに多少なりとも英語を話せたほうが有利なところでは英語でも最小限の用が足せる。英語の使用可能性は資本主義の論理(利潤拡大による資本の自己再生産と自己増殖)に忠実である。

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20911225 Day 3 イスラム地区の南。

歩く、歩く、歩く。ひたすら歩き、気がつけばハーフマラソンの距離ぐらい歩いてしまった。ロンリープラネットで下調べをしてあるとはいえ、グーグルマップを見ながら歩いていると、「本当にここは歩いても安全なんだろうか」というところに入りこんでしまうことがしばしばある。日もあるし、人もとおっているし、大丈夫だろうという根拠のない思い込みとともに、ひたすら歩いていく。

イスラム美術博物館は、エジプト考古学博物館に比べると、はるかに西欧的な基準で言うところの「ミュージアム」だ。厳選された品々が、きちんとカテゴリー分けされ、一方通行の順路にしたがって、理路整然と展示されている。

見ていていくつか思ったこと。

イスラム帝国の歴史は、中国の王朝以上に、地理的な中心も、中心となる民族や階級も、大きな異動がある。イスラムの教えという中心は揺るがないとはいえ、それ以外の要素はかなり変動しているように見える。それを果たして同じ「イスラム帝国」と呼んでいいのだろうか。

幾何学模様を基調とした精巧な造りの調度品は、イスラムの歴史を貫く共通要素のようだけれど、色使いということになると、これは意外と民族的な要素が強いのかもしれない。たとえばエジプトを中心に栄えたマムルーク朝期のものは、モノトーンのものが多く、ある意味、コプト教会で見たのと共通する渋めの色合い、アースカラー的な色調が支配的であるように思う。目が覚めるような青さがないわけではないけれど――同時期に作られた白地に藍色の模様のタイルがあった――そうした色合いはむしろイランやトルコのものであるような気もした。

入場料はちょっと安くて120だが、200紙幣を出すと50しか返ってこない。文句をいうと80返ってきた。

イスラム地区は下町エリアということになるのだろうか。道の両側にアパート(と呼んでいいものか)が立ち並び、その一階は店舗だったり作業場になっていたりする。首輪のない犬がそこらじゅうで日向ぼっこをして眠っている。三輪タクシーがけたたましく行き交い、車がやかましく通り抜けていく。ここで観光客はあきらかに異物であり、歩くだけで緊張する。声かけや客引きがあるわけではない。無関心が底流にあるし、不思議そうな目線は感じるけれど、悪感情のようなものはなさそうだ。しかし、それでもやはり、少し身構える気分になってしまう。

シタデルという城壁に行くが、入るためには壁をぐるりと回らなければならず、しかもすこし坂になっているので、なかなか骨が折れる。

モスクの様式がいまひとつわからないし、モスクがありすぎてどれに行くべきかわからない。これはもしかすると、京都にきた外国人が覚えるのと同じ途方にくれた感じかもしれない。シタデルのなかにあるふたつ、シタデルそばのものふたつに入ってみる。近代に作られたものと、中世ぐらいに作られたものは、たしかにいろいろと違う気はするが、どこがどう違うのか説明しろと言われると、言葉に詰まる。

しかしひとつ確実に言えるのは、モスクとは空間であるということだと思う。もちろんここに壮麗さや壮大さはあるし、柱や天井には細かな幾何学模様が入っているし、細部まで作り込まれているけれど、偶像崇拝を禁じるイスラムには、像のようなものはない。あるのは祈りのための空間であり、そのために天井の高い開けたスペースを確保しているのだろう。イスラムの祈りは音声的なものであると思うし、だからこそ音響効果はモスクにとって重要な要素のひとつなのだと思う。

それにしても石組みの石ひとつひとつの大きさときたら。これほどの規模のものをここまで作り込んだということに、だただ驚嘆する。

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20191224 Day 2 ギリシャ・アルファベットで綴られるキリスト教。

オールド・カイロというカイロ右岸の南側の地区に行ってみる。ここはカイロのなかでもっとも古い地区らしく、イエスがエジプトから逃れて逃げ込んだ地下室というような伝説もある。たしかにモーセはエジプト生まれだし、ファラオの殺害を逃れて云々という話もあるのだから、エジプトとキリスト教の関係を聞いて驚くのは自らの無知を告白するに等しい行為ではあるけれど、やはり驚いたと言いたい。知ってはいたけれど、こうして直に目にすると、「ああ、そうか、そうだった」という深い驚きに打たれる。

教会の構造にしても色使いにしても、カトリックともプロテスタントとも全然違う。とくに聖ジョージ教会の天井は鮮やかな水色で、ビビッドというのではないけれど、目が覚めるような色ではある。

天井に描かれたイエスのイコン(と呼んでいいのか)を見ながら、キリスト教において「昇天」というのは、比喩的であると同時に字義的なのだろうかと、ふと思う。天井に描かれたキリストは、あえて見上げなければ見えない。しかし教会に入る者はつねに神に見られている。神は「上」にあり、つねに「見て/見られて」いる。ここにベンサム的なパノプティコンの眼差しを繋げるのは強引すぎるだろうし、カトリックプロテスタントの教会にそこまで真上からの視線があったどうかよくわからないけれど、仏像や曼荼羅のようなものの空間配置と異なることは間違いない。

石造りの建築は、スクラップアンドビルドするのではなく、積み重ねていくものなのか。ここでは古い柱のうえに新しい屋根が載せられたり、古い建物の上に新しい階が積み重ねられたりする。

コプト教はひじょうに繊細な幾何学的模様を好んだらしく、修道院の石柱に見事な紋様が刻まれている。

ここはコプト教の教会施設に加えて、シナゴーグもある。全体が暗い色調で、細やかな紋様がある。写真撮影は禁止。ここも厳重な警備に置かれている。

聖ジョージ教会とコプト教博物館を除くと、他の教会やシナゴーグは半地下にあり、地下に続く階段を降り、空がのぞく狭い通路を抜けていかなければならない。

 

それにしても何という厳重な警戒だろう。昨日カイロ街中のシナゴーグの前を通ったときにも思ったことではある。そこはコンクリートの移動式ブロックの塀で囲まれ、軍服を着た歩哨が1人いたけれど、コプト教博物館の前はさらに厳重。警察の車に加えて、軍隊(だろうか?)の人間が2人脇に座って談笑しており、さらにもう一人が博物館(これは7世紀ごろの修道院をリノベーションした建物らしい)の前に置かれた車止めの真ん中でずっと立っている。そしてやはりセキュリティチェックというにはあまりにゆるいセキュリティチェックがある。

 

社会見学の定番なのか、小学生低学年くらいの子どもたちがたくさんいた。そういえば今朝地下鉄に向かって歩いていると、小学生高学年くらいの7人んくらいの集団に絡まれた。英語と(たぶん)アラビア語で「どこから来た」「名前なに」とエンドレスに聞かれる。何度か答えて、さすがに辟易して逃げるように足を速めると、となりにいたスーツ姿の若いエジプト人が「悪いね」的な感じで子どもたちに変わって詫びてくれる。ちょっと不思議な体験だった。

 

話を戻そう。昨日カイロ・タワーでも思ったけれど、アラブ女性の自撮り好きにまたもやびっくりさせられる。10代半ばくらいの黒いスカーフをかぶった少女たちの集団がいたのだけれど(これも修学旅行的なものだと思う、引率らしき大人の女性がいて、みんなで記念撮影をしていたので)、教会のステンドグラスの光が黒い衣に注がれてすごくインスタ映えしそうなポイントを見事に見つけ出し、そこで何枚もシャッターを切っている。ちょっとなるほどと思ったのは、一緒にいる女性たちのグループにしても、スカーフをかぶっている人といない人のペアがいたり、ブルカとヒジャブだったり、意外とまちまちなのだ。何となく勝手に同じようにスカーフをかぶる人たちでまとまるのかと思っていたのだけれど、そんなことはないようだ。

 

初めて地下鉄に乗った。やや緊張する。列車内は暗い。女性専用車両が真ん中にある。チケットを窓口で買わないといけないのがやや面倒だけれど、安いのは安い。片道3エジプトポンド(20円ぐらい)。

勝手がわからずドアのそばに立ちつくしていると、まわりからアラビア語で(たぶん)「どこに行くのか」と聞かれたので、ドアのうえの路線図で行き先の駅を指さすと、「こっちのほうに来な」と車内のほうに招き寄せられる。どうやらドアの前は次の駅で降りる人の待機場所になっているらしい。

ある駅が近づいてきて、やや離れたところに座っていたご老人が降りようとすると、近くにいた今風の若者(アメリカでも見かけそうなスキニーな服を着こなしたクールな感じの若者)が体を支えてやり、手を握ってドアまで付き添い、ホームに降りるところまで手を貸してあげる。それがとても自然に行われていて、アラブ世界における年上にたいする社会的敬意というものを考えてしまう。

帰りの列車のなかでは、物売りがやってくる。レザーの小さなバッグを手一杯に抱え、売り口上を述べる。アラビア語がわからないので、何を言っていたのかわからないけれど、途中で聞こえてきた「メトロカード」という言葉から察するに、「カードがぴったり入る使い勝手のいい鞄だよ」的なことを言っていたのだろう。驚いたことに2人も買っていた。

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20191224 Day 2 エジプトの街歩き(続き)。

また歩きに歩く。べつに街中がすべてマーケット状態になっているわけではないけれど、そうなっているところはそうなっている。大きな道路の下のスペース、つまり基本的に車通りがないところというのが、ひとつのポイントなのだろう。

並んでいるものは基本的に洋服類が多い。とはいえ、大量生産品の中古品が大半で、こういうものが売れるのかとも思うのだけれど、意外と手に取って見ている人が多い。その場で肉をさばいている肉屋がいてちょっと怯んでしまう。

道端でパン(というか、アメリカだとフラットブレッドというような名前だったような、ナンを薄くしたような感じというか、クレープをちょっと厚くした感じというか)を売っていたりもする。あとは、ナッツを焼いているスタンド。

それから、焼きトウモロコシ(これのせいなのか、トウモロコシの芯が道端に捨ててあるのを何度も見かけた)。鳥の羽で作ったようなウチワであおぎながら、炭火で焼いている。まったく同じ感じの焼きトウモロコシ売りを街の数か所で見かけたので、元締めのようなものがありそうな気がする。何かソースのようなものを塗ってあるようにも見えて、なんとなく「醤油かな」と思い、「いや、なんで醤油だよ、エジプトで醤油はありえないだろう」とひとりノリツッコミをしてしまう。

本当に面白いのはこうした道端の露店的なところの奥にある小道なのだろう。写真に撮ることしかできなかったけれど、それは、この奥は観光客が行くにはあきらかに危ない感じがするからだ。

このあたりのところを歩いているアジア人はいない。観光地だと「日本人?」のように絡まれるけれど、ここだとそれはない。奇異の視線のようなものが飛んでこないわけではないが、基本的に無関心だ。

そういえば昨日街を歩いていたら、ある若いエジプト人から「日本人?」と英語で聞かれたから、「そうだよ!」と答えて速足で歩き去ると、「You walk like an Egyptian!」と言われたのだけれど、あれはなぜだったのだろう。

そんなことを思いながら、カイロの街を歩く、歩く、歩く。

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20191223 カイロの街歩き、カイロタワー。

20191223 カイロの街歩き、カイロタワー。今回のガイドブックはロンリープラネット英語版エジプトで、基本的にガイドブックに沿って動いている。というか定番を見ようと思っているので、無理に外そうとしているわけではないけれど、適当に歩き回っているので、結果的に、ツーリストっぽいこととツーリストっぽくないことの両方をやってしまっている気もする。

昼ごはんにはガイドブック一押しになっていたコシャリ(なのかクシャリなのかよくわからないが)の店Abou Tarekに行ってみる。アラビア語はわからないからどうなるかとびくびくしたが、看板には店の名前が英語でも書いてあるから大丈夫だと思って踏みこんでみると、果たして英語がわかる店員がいた。メニューはひとつ、サイズが選べるのみというので、ミディアムサイズを選ぶ。待っていると相席になり、向かいに20代半ば(くらいだろうか)のカップルが座る。女性のほうから「日本人?」と聞かれて、そうだと答えて、なぜわかったと聞くと、「いま京都に留学中」とのこと。こんな偶然があるとは驚きだ。

コシャリは、マカロニの輪切り、パスタのぶつ切り、ライスに、肉のないトマトソースをかけ、そこにフライドオニオンと豆をトッピングし、辛い付け足しのソースとヴィネガーが加わる。炭水化物ばかりだが、食感がかなり違うので、予想以上にサラサラとした口触りだ。フライドオニオンのカリッとした香ばしさが決め手になるのは当然として、豆のコリっとした感じが想像以上に後口を左右している気がする。ミディアムでも結構多め。これで17エジプトポンド(120円くらい?)は安い。

この店はちょっと大きめの通りから一本脇にそれたところで、どうもその通りが自動車修理的なことをやっている店がたくさんあるらしく、そういう感じの通り。つまりちょっと歩きにくいというか、観光客があえて通る場所という感じではない。

ひたすら街を歩いていると、いくつか気がつくことがある。とにかく人が街にいるということだ。何をあたりまえのことをと言われてしまうかもしれないが、歩いている人というよりも、立っている人や座っている人があちこちにいるのだ。店先にはだいたい店員が入口ドアのそばに立っているし、道端に椅子を置いて座っているご老人がいるし、大通りの脇にある小道(大きな通りと大きな通りのあいだにある抜け道のようなところ)には商品が所狭しと並べられている。街の生命が人にあること、しかも単なる数の多さではなく、交流している人の多さにあることを、カイロの街は理解しているように見える。

たしかにマーケットのようなものが立ち並んでいる道は通りづらい。人がいすぎてスピーディーな移動には向かない。しかし都市空間というのは、効率的に通り抜けるためではなく、滞留したり停止したりするところにこそ、その生命力の精髄があるように思う。

歩きすぎて疲れたのでーー普段はそんなに歩かないくせに、旅行に出ると10キロは平気で歩いてしまう――、前から来る人の何人かが食べていたアイスクリームを買ってみる。通りの角にあるパティスリー屋で、かなり流行っている。買い方がわからなくて観察していると、どうやら店内でお金を払って、レシートを持って店先のケースのところに行けばいいらしい。英語でカウンターのひとりの若者に話しかけると、「そっちのやつに言ってくれ」という感じで別の店員のほうを身振りで示される。そちらの店員には英語が通じた。このアイスが12エジプトポンド。

カフェ・リッシュというかつては文人たちが足しげく通ったというカフェに入ってみるが、ここはハズレ。レンズマメスープも、アーティチョークも味がない。ライムやレモンを絞って塩で味をつけるが、やはりいまいち。ステラというエジプト・ラガー・ビールは朝飲んだばかりだけれどやはりおいしい。これで110エジプトポンド。先ほどの食べ物に比べると、そして腹の膨れ具合からすると、いきなり高くなった気もするが、日本円にすれば800円程度だから、まだずいぶん安い。

カイロタワー自体は特筆すべきこともない。エレベーターが小さくて10人程度しか上に上げられないのは何とも効率悪いと待ちながら思ったがーーここはかなり待たされた、建物に入るまでに10分くらい、入ってからも15分くらいは待った――上まで行ってみてわかった。展望になっている屋上部分が小さいのだ。これではたしかに降りてきた人の分だけ上に上げることしかできないし、普通のビルにあるような普通のエレベーターで充分なのだ。

ものすごい熱心に自撮りをしているアラブの女性たちに驚く。そんなに撮ってどうするんだろうと思うくらいに撮りまくっている。まあ、イスラムの女性がスカーフをかぶるのは、宗教上の要請というか強制であって、それはそれ、これはこれということなのだろうか。つまり、髪の毛を隠さざるをえないことと、(そのうえで)写真に露出されることは、とくに矛盾しないのだろう。何にそんなに驚いたのか、いまひとつ説明しがたいけれど、自分の思い込みがひとつ取りさらわれた気分。

夕飯はホテルそばのモダンなエジプトファーストフード店で。ターメイヤーという豆コロッケのサンドイッチにハイビスカス・ライムネード(レモネードのライム版)。とてもおいしかったので追加でミント・ライムネードと牛レバーのサンドイッチも食べてみるが、こちらも当たり。これで90エジプトポンド。本当に食べ物の値段がよくわからない。

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20191223 Day 1 エジプト考古学博物館の混沌。

20191223 Day 1 エジプト考古学博物館

朝一で行くと、かなりの行列が出来ている。団体客が来ているのと、かなりザルなのに2度もあるセキュリティチェックのせいだろうと思う。

入場料は200エジプトポンド(だいたい7倍すると日本円に換算できる)で、意外と高い。そして王家のミイラをみるには、これにさらに180ポンド上乗せ。エジプト人と非エジプト人で価格体系が違うのも面白いし、かなりの格差がある。それだけ観光客から取っているとも言えるし、エジプト人には安く公開しているとも言える。

博物館のなかは驚くほど雑然としている。いまあらたな博物館を建造中らしく、閲覧物を運び出したりしている最中だからというのもあるのだろうけれど、あちこちで壁の工事をしていたり、ブツを運び出す作業をしていたりと、かなり落ち着かない様子があるけれど、ここの展示の仕方がそもそもそういう感じだったのかもしれないという気はした。

ざっくりと印象をまとめると、小中学校の理科室準備室の雰囲気。ガラスケースに入ったおどろおどろしい物体に、黄ばんだ紙に色合わせたインクの説明カードがついている感じ。詳しい説明パネルがあるところもあれば、ほとんど何もないところもある。予備知識なり、ガイドブックなりがなければ、展示されている物が何なのかを理解することすら難しい部分がある。

 

チケットを買うのを待っているあいだに、ガイドはいらないかという客引きにあったのをすげなく断ったけれど、中に入ってみると、そのガイド業がアングラ的な一大産業をなしていたことに気づく。とにかく多言語で、内容もかなり濃い。英語とアラビア語は当然として、こちらが気づいただけでも、フランス、ドイツ、スペインはあったし、たぶんヒンドゥーあたりもあったと思う。驚くべきは中国語だ。もちろんすべてここの現地の人がやっているから、彼ら(気づいたかぎりではガイドはほぼ男性の職だ、ひとり女性がのガイドらしい人を見かけた気もするが)は、これらの言葉を習い覚えたに違いないのだけれど、それがびっくりするほど流暢である。もちろん商売道具だからというのは当然だけれど、それをここまで鍛え上げた修練のことを思うと、ただただ驚くばかりだ。

展示方法は独特。順路がよくわからないし、年代順にざっくりと置いてあるだけなので、エジプトの歴史に精通していないとわかりにくい。というか、表示がすべて「X Dynasty」 としかなっていないのだ。「誰々王」ですらなく、ローマ数字で「X(何代目)」と書いてあるだけなのだ。これは、エジプト史を大学受験のときにやったきりの身には、かなりつらい。日本で例えれば、奈良平安といったざっくりした区分で部屋が区切られていて、それぞれの展示物については「X代天皇」と書いてあるだけ、と言えばいいだろうか。

生のガイドが成り立つのは、音声ガイドのようなものがあまり充実していなかったり、各国語のパンフレットがないという事情によるのだろうとは思う。

 

エジプトの工芸品は、きわめて細かいのに、洗練されてはいない。線が歪んでいたり、形がそろっていなかったり、これはイスラム芸術の数学的な正確さとはまったく別物の世界だ。もしかすると日本のわびさび的なもの、織部焼の歪みに近いのだろうかという気もした。よく見ると、とぼけた表情のものがいろいろある。

エジプトは、パピルスに描かれているような平面的な画で知られていると思っていたけれど、立体に秀でている。彫刻はおどろくほど写実的であるし、顔がひとつひとつ違う。王族のものは当然としても、そうではない人びとのものについても、明らかに顔が違っている。

ここまで3次元的な写実的正確さを達成できる人びとが、平面になると立体性をあえて踏みにじり、工芸品になると微妙ないびつさを残すものを作り続けていたというのは、なにか深い矛盾を感じるのだが、これについてはもうすこし考えてみたいと思う。

見どころは2階にあるツタンカーメンのマスクや副葬品なのだろうが、すでにここらへんにくるまでで疲れ切っていた。

2-3時間くらいはいたと思うし、じっくり見ればそれでもまだ足りない感じはした。ツアー客か家族客が大半で、ソロ旅行者は少ない気がした。ここは各国旅行者に人気であるばかりか、修学旅行的なところの順路であるのかもしれない。白い長衣を着て白い帽子をかぶった10代の男子たちが団体客でいた。本当に国際色豊かな場所ではあった。

 

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20191223 Day 1 カイロの朝を歩く。

20191223 Day 1 カイロの朝を歩く。

車が猛スピードで駆け抜けていく大きな道路でも、街中の大きな通りでも、建物のあいだの小道でも、歩行者は車の前や後ろをすり抜けるようにやすやすと道路を横断していく。

信号などあってないようなものだ。信号がないわけではないし、歩行者用信号がないわけではない。しかし青だからといって安全なわけではないし、赤だから渡れないわけではない。交通法規的には無秩序だが、実践者のあいだには不思議なコンセンサスが存在している。

車間距離という概念が存在しないかのようだ。車はほとんと衝突寸前まで詰めてくるし、それは道端の路駐の車にも言える。そのあいだをすり抜けるのは、なかなかにアクロバティックな行為だが、数回繰り返せば慣れてくる。現地人の後をつけるようにして何回か横断していると、傍若無人に思われた運転手も、決してそうではなく、エジプトドライバーなりの共同ルールにのっとっているのだろうということが見えてくる。だから横断のときは下手にひるまないほうがいい。

ちょうど通勤時間のようで、大きなビルに向かって人々が吸い込まれるように列をなして歩いているなかを、逆方向に進んでいく。道端では野菜や洋服を売っている人がいる。すなぼこりが舞っている。

道は汚いには汚いが、汚いというより乱雑というべきだろうか。舗装が中途半端であったり、瓦礫がそこらじゅうに転がっていたり。きれいに片付けるという考えがあまりないのかもしれないし、すべてが依然として建築中であるようなところでは、長いあいだをかけて建築し続けるという考えにのっとって社会が営まれているところでは、途中経過を整えるということに、あまり重きを置いてないのかもしれない。

ビルのかたちはかなり多様で、びっくりするような立ち並び方をしているところがよくある。だいたい土気色というか砂地色な感じ。黄土色が基調にある。

人々の装いもそれに合わせてのことなのか、とくに男性は、黒や灰色っぽい色合いのものを着ている。

カイロ・マリオット・ホテルからエジプト考古学博物館まで歩くのは、距離的にはたいしたことはないけれど、ナイル川を越えないといけないし、河畔にある大きな道路を横切らないといけない。そこはなかなかハードルが高い。

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