うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

ミイラの鉱物性と樹木性:「古代アンデス文明展」

20190710@静岡県立美術館

ミイラの鉱物性と樹木性

体育坐りをするかのように膝を両手で抱きかかえたままミイラ化した女性。のけぞった頭のせいでむき出しになった顎の下のくぼみは老木の節のようである。肉が乾き、骨を覆うだけになった皮膚は黄ばんだ和紙のような質感をしている。落ちくぼんだ眼窩から覗く頭蓋骨や、半開きの口から垣間見える歯は鉱物のようだ。だというのに、髪の毛だけは、生前そのままであるように見える。その一本一本がヴィヴィッドで、シルキーな滑らかさと光沢を保っている。

ミイラはわたしたち人間が鉱物や植物と生を共有していることを思い出させる。乾燥した地域において、死体は自然にミイラ化する。そこでの死は、湿潤な地域とはちがっているらしい。腐敗して土に還るのではない。肉体はべつの変容を遂げる。べつのモノとなり、べつのモノの性質を帯びる。鉱物に、樹木になる。

乾燥した高地の文明の自然観は、湿潤な低地のそれとは、まったく異なっている。

そんなことを、静岡県立美術館で開催中の「古代アンデス文明展」の提示の終わりのほうにあった女性のミイラを見ながら考えていた。

南北と東西

アンデス山脈南米大陸の西海岸沿いに屹立する6000メートル級の山脈らしい。東からの湿潤な風が高い山脈によってさえぎられる。こうして山脈東側には湿潤なジャングルが広がり、西側には乾燥した砂漠が伸びる。アンデスの文明は、山脈と西海岸にはさまれた比較的狭いところに栄えたのである。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5b/Nasa_anden.jpg

会場で上映されていた映像によれば、インカ帝国の時代に栄えた天空都市マチュピチュはアマゾンとの中継地点だったかもしれないという仮説があるらしいが、展示物を見るかぎり、紀元前に始まりピサロらスペインの侵略者たちによって息の根を止められたアンデス文明は、山脈西側の、南北に広がる帯状の高原地帯において栄えたものであるらしい。

海岸から高原まで、かなりの標高差を含みこむ文明だったのだろうけれど、そこで栄えては消えていった諸文明の共通の基調をなしているのは、乾燥と土色である。

 

アーシーな色

今回の展示品がとりわけそうだったというだけなのかもしれないが、土器は総じて茶色がかっている。赤土のような感じとでも言おうか。色が入っている場合でも、パステルカラーということはなく、すべてが、赤土が舞う風に長いあいだ晒されたかのような、くすんだ色合いである。

赤茶色、茶色がかった黄色、茶色がかった灰色、茶色がかかった赤色。

 

装飾品と容器

原始的な「芸術」はおそらく宗教的なものと技術的なものの交わるところに出現したた。いや、アンデス文明が本当にそうだったのか、それとも今回の展示品がたまたまそういう印象を与えただけなのかは、いまひとつよくわからないところではあるのだけれど、芸術的なものの始まりは、日常で使うものの昇華か、日常を生きるために使う自らの身体を装うことであったように思われる。

それは実用的なものーーアンデス文明のなかを生きた人々にしてみれば即物的な使用価値を持つものーーであると同時に、呪物的なものーーー現代からふりかえってみれば、非科学的と結論せざるをえない実践のための道具ーーである。

そう考えていくと、壺や織物にしばしば宗教的な絵柄が使われているのはよくわかる気がする。そして装身具が呪術的な力を秘めたマジックアイテムであることも。

原始芸術は言ってみれば自然に近い、素材に近いものではないか。西洋絵画のような絵画、というか、絵画というもの自体が、芸術の年譜のなかではかなり後のほうに来るのではないかという気もする。もちろんラスコーの壁画のように、図像表象には万年単位の歴史があるけれども、移動式のキャンバスに描かれた絵は、かなり後代の発明ではないのかということを考えずにはいられなかった。

 

死と動物

原始宗教は人間の生のそばにあるものから始まるのではないか。生命の死や誕生、それから自然や動物にたいする畏怖から、である。死すべき存在である人間が単体では決して克服することのできないものとどう向き合うのか、という問いが根底にあるように思われる。

 

文字のなさ

アンデス文明は文字を持たない文明だった。アンデスの人びとが言葉を持たなかったわけではないし、おそらく文字という記録言語を持たないからこそ、アンデスの人びとは驚くほど豊かな図像的記号を発展させたのかもしれない。視覚的なものにたいする細やかで、おそらくはきわめて理知的でもある感性をアンデスの人びとが持ち合わせていたらしいことは、幾何学模様的なものから、具体的形象を持つものまで、さまざまな複雑な文様を織り込んだ織物をアンデスの人びとが長きにわたって作り出していたことによく表れているように思う。

図像で情報をやり取りすること、それはかなり複雑なコミュニケーション・プロトコルを必要としたはずだ。文字の流れはほとんど必然的なまでに単線的で不可逆的だけれど――だからこそ、19世紀末にステファヌ・マラルメは文字の記述法の圧政に抗おうとして、『骰子一擲』では文字を自由に散らせようとしたのだったけれど――図像はそうではない。同一平面にいくつものモチーフが広がり、絡み合い、さまざまな方向につながっている。それを読み解くことは、複数の方向性を同時的に把握することであり、その意味では、文字情報よりもはるかに高度な情報処理能力や解釈技術を要求したはずである。

アンデスの人びとは文字を持てなかったというよりは、持たないことで独自の視覚的感性を保っていたのかもしれないし、それがアンデスの人びとの自然観や生命観の基底を規定していたのだろうかと思ってしまう。

 

または、なぜ文字がいるのか

というよりも、なぜ文字がいるのか、なんのために文字が必要なのかと問うべきだろうか。記録の正確な伝播のため、記録の空間的に広範な伝播のためだろうか。たしかジェイムズ・スコットは『ゾミア』の序文のなかで、文字を持たない中国と東南アジアのあいだに住まう山岳地帯の人びとは、文字を持たないがゆえに、自分たちの歴史をかなり可塑的なかたちで継承していく――つまり口承であるがゆえに、集合的な記憶の改変がシステマティックに行われれば、それが正史として後代に引き継がれていくことになる――と述べていたと思うが、文字を持たないことによる記憶/記録の流動性という利点はあるのかもしれない。

しかしながら、アンデスの人びとは、文字を持たない代わりに、縄目での記録方法を発明していた。キープと呼ばれるものである。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a7/Inca_Quipu.jpg

これによって記録の正確さは担保されるし、縄という物質に刻まれたものだからこそ、記録の記憶者の主観に左右されるものではないけれども、この解読はやはり、文字情報の単線性や不可逆性とは別の原理に基づくものになるのではあるまいか。

それはある意味、瞬間的でもあれば――図形はひとめのうちに全貌をとらえることができる――時間を要するものである――細部を解読していくには、縄の一本一本を、行きつ戻りつしながらたどっていく必要がある。速くて遅いものだ。

 

統治のための技術の必然性と人為性

キープが効率的なシステムなのかはさておき、ある一定の規模を越えたものをコントロールするには、速度と効率性が必要であることは、ほとんど普遍的な原理であるように思う。そしてそれは、自然に発生するのではなく、人為的に発明されるものではないか。

別の問い方をしてみてもいい。いかにして人間社会は文化的に進化し、他の動物とは異なった存在となっていったのか。

効率性を上げるための技術(文字であれ、分業であれ、交通網の整備――インカ道――であれ)は、いわば、人間の所与の能力をブーストするものだ。そしてこの人為的な加速によって、ローカルな社会は巨大な帝国へとのし上がっていくのだが、そこには最初からある種の無理があるのかもしれない。

 

インカ帝国はスペイン軍の侵略によって滅ぶが、インカ帝国自体が、アンデスの諸文明を征服することで成立した帝国ではなかったか。ローカルでありつづけようとするものに普遍性を無理強いる者は、普遍性を謳う別のさらに強大な者によって同じように蹂躙される危険性を自らのうちにはらんでいる。

もちろん、こう言うことで、ピサロによるインカ侵略を免罪されることはありえない。ただ、帝国を築こうとするその欲望自体はそもそもいったいどういうものなのかと、あらためて考えてみたかったのだ。

 

何のために帝国は築かれたのか。帝国は何のために存在してきたのか。これからも帝国は存在しつづけるのか。

虚構をまるで現実のように読ませる:カルラ・スアレス、久野量一『ハバナ零年』(共和国、2019)

探偵だと思っていたのにいつのまにか追われる方になっていた、操っている方だと思っていたらいつのまにか操られる方になっていた。いつのまにかエージェンシーが侵食され、他人の駒を演じさせられていることに気づいてしまう。自分が主役の現実世界の話なのに、いつのまにか、うっかり別世界に入り込み、傍観者になってしまう。

その後、庭園を散歩した。彼によればまるでおとぎ話の世界、誰かの頭の中にだけ存在するような場所なので、自分たちがその誰かの夢の一部、本のページの中で動く登場人物になった印象をおぼえるという。池沿いに続く小道を歩きながら植物を眺め、水の音を聞き、静けさに感じ入っていると、確かに別世界にいるような、まるで街もその危機も存在しない、あるいはそれらがどこか遠く、例えば外国にあるかのような気がした。(75頁)

カルラ・スアレスの小説『ハバナ零年』が描き出すのはそうしたポジションの転倒だ。この主体と客体の転倒の系譜の先駆者として、トマス・ピンチョンの『競売ナンバー49』やイタノ・カルヴィーノを数えていいかもしれないし、ポール・オースターの「ニューヨーク3部作」を上げていいかもしれない。それは迷路への偏愛とでも言うべきものだろう。カフカ的な出口なき不毛な迷宮性が、ここでは、快楽的な箱庭的迷宮に転化する。

レオナルドは、[六〇年代にレーモン・クノーとフランソワ・ル・リヨネによって創設され、文学を愛する数学者たちとイタノ・カルヴィーノのように数字に惹きつけられた作家たちを集めていた]ウリポ・グループの構成員は自分たちのことを、「自らが脱出する迷宮をつくらなければならないネズミ」と呼んでいたとわたしに語った。わたしは、あなたがやっていることは多かれ少なかれそれね、小説という迷宮を作り、その後一人で出口を見つけなければならないのだわ、と言うと、彼は微笑みながら、迷宮はもうできている、あとは迷わないように助けてくれるきみの手があればいいと言った。(176頁)

スアレスの小説の経糸を成すのは、アントニオ・メウッチというイタリア人発明家がアレクサンダー・グラハム・ベルよりさきに電話技術を発明したことを証明するための文書探しなのだが、この文書が虚構のものなのか真実のものなのか、メウッチなる人物が本当に歴史上の人物なのかは、よくわからないままだ。

 

スアレスの『ハバナ零年』はポストモダン小説のある種の流れに与していると言っても不当ではないだろうけれど、強調しておきたいのは、このテクストはパズルのためのパズルのような衒学趣味の作品とは一線を画するものである点だ。『ハバナ零年』のメインプロットはとてもわかりやすいし、プロットを追うことに何の困難もない。しかしそれを追っていくと、いつのまにか、思いもよらなかったところに自分がやってきていることに気づいて驚いてしまう。エッシャーのだまし絵を目で追ってみたときに感じる、あの不思議な気持ちだ。ありえないはずのものが眼前にあるという驚きと喜びでもあれば、自分が信じてきた確固たる世界が揺らぎ始め、自分の感覚が信頼できず、足元の地面が回転して垂直になってしまったのに、依然としてその地面とも壁ともしれないものの上に立ち続けていられるという、高揚感に充ちた不安でもある。

虚構と真実をミックスさせながら、虚構のなかに真実を埋もれさせるというよりも、真実で虚構の断片を包みこむという図式となれば、すぐさまウンベルト・エーコの『薔薇の名前』が思い出されるのだけれど、スアレスの小説には1993年という明確な歴史的参照点が存在するし、キューバハバナという明確な地理的地点が存在する。その意味では、スアレスの小説は、歴史小説的なメタフィクションであると同時に、メタフィクション的な歴史小説でもある。

括弧付きの歴史小説ウンベルト・エーコは『薔薇の名前』にラテン語を導入することに挑み、成功した。レオナルドは科学を導入しようとしていた、ただし別の方法で。彼のイメージでは、すべてが事実に基づいているだめに、読者が虚構だと理解する隙がほとんどない作品だった。もちろん、と、彼は言った。あらゆる本は歴史の本も含めてすべて虚構だ、書いている人間の解釈に基づいているからね。わかるか、ジュリア? わたしが頷くと、彼は続けた。例えば誰かが、おれときみが別々にこの日々の午後の広場のことを物語るように依頼したとしたら、おれときみは別々の存在で異なる視線を持っているから、おれたちは異なる物語を語るはずだ。おれたちは現実ではなくて、おれたちの精神が作り出すことができる虚構を語っているにすぎない。面白いわ、とわたしは言ったけれど、レオナルドはわたしのことを聞くというよりはすっかり陶酔していて、見ているのもわたしではなく、もっと遠くにあるものを見ていた。難しいのは、と彼は続けた、だからおれの構想は野心的なんだが、現実をまるで虚構のように読ませるところにある。読者はソファーに座り、虚構という文学的な仕掛けに向き合おうと思って読みはじめる。ところがあるところまで進むと、まぎれもない現実が降りかかってくる。その本はどんな細部も証明可能な歴史的事実に基づいて書かれていたからで、このとき読者が心地よく入り込んでいたその虚構の空間はぐらぐらと揺らぎはじめ、読者波及に大文字の歴史の中に入り込んでいたことを発見するというわけさ。素晴らしいと思わないか? (37頁)

数学者と文学者が主要な登場人物たちの二極を成しているというのは、その意味できわめて示唆的である。歴史(メウッチ)についての小説は、つまるところ、歴史の真実の証拠を探し求める小説家や数学者についての小説でもある。キャラクターたちがすでに主題化しているものを、小説テクストは二重に主題化するのである。

 

歴史は二重に主題化される。メウッチの発明をめぐるパブリックな部分と、キャラクターたちの私生活をめぐるプライヴェートな部分とに。そしてもしかすると、そのどちらでも、同じ倫理的なニュアンスがあるのかもしれない。

過去を忘れたいとか、結婚が失敗だった言うがためにその手順が重要というのではないとエンジェルは言った。そうではない。一時代を閉じる、美しいものをとっておく、学んだことを忘れない、マルガリータを思い出の中のしかるべき場所に置いておくのさ。わたしは、彼の言葉と、あの夢中になった視線も気に入った。エンジェルは体を起こしてわたしの隣に座り、ひと息でグラスを飲み干して、自分たちが何者だったのかを知るために歴史をとっておくことは重要なのだと言った。(51‐52頁)

だからテクストが最終的に試みるのは、謎の開示であるとか、謎の解消ではなく、解き明かされてなお謎を謎のままにそっと取っておくことなのかもしれない。

そこにこそ、スアレスの小説の娯楽性(探偵小説的な意味での「読ませる」力)と抒情性があるように思う。『ハバナ零年』が試みているのは、エッシャー的な錯覚の不安と快楽という情動を、文字テクストによって作り出すことなのだとまとめてみたい気にかられる。 

 

メウッチ文書をめぐるメタフィクション的歴史物語に、キューバのある家族の歴史という緯糸が織り合わされる。メウッチ文書をめぐる探索は、実際、さまざまなカップリングを作り出す。語り手にして物語主人公である女性数学者のジュリアは、メウッチ文書を手に入れたがっている男たちとのつきあいをつうじて、彼らのあいだの錯綜した人間関係を発見していくが、それは同時に、すべてをいちどには語ろうとせず情報を小出しにすることで彼女を利用し続けようとする男たちの顔や体を発見していくプロセスでもある。

 

読者に話しかけるような、口語調のテクストでありながら、内省的な部分に欠けているわけでもなく、滑らかな外に向かった言葉と内のほうに沈静していく言葉が同居している。そうかと思うと、引用符もなしにキャラクターたちのセリフが地の文に流れ出し、テクストの主導権がジュリアの手を離れ、そしてまた彼女のもとに戻っていく。話し言葉のリズムとフローのなかに、普通なら話し言葉とはうまくつながらなさそうな別の声や別の層が自然に織り込まれている。この小説の魅力の少なからぬ部分は、独特な語り口にある。

あなたに聞いておきたいの。「きみ」って呼んだら気分を害するかしら? というのは、とても個人的なことを話しているから、「あなた」って言うと距離が生まれてしまうの。だから「きみ」って呼びたいの。いい? 続けるわ。(31頁)

このテクストは「語られたもの」という手触りを強く感じさせるものである。だからこそ、スアレスの小説はカルヴィーノを彷彿とさせるのかもしれないし、もしかするとそのモダニズム的な源泉には、ヴァルター・ベンヤミンの「物語作者」が見出されるのかもしれない。

 

そして、ここには、ハバナという場所の熱気、湿度、ラム酒がある。熱帯地域独特の空気だ。それがほのかに哀しく、そして、ほのかに読者の心に触れてくる。

この国では誰でも酒を飲む。悲しいときは悲しいから飲むが、嬉しいときは嬉しいから飲む。嬉しくも悲しくもないときは、何が起きているかわからないから飲む。いいラム酒があればいいラム酒を飲むが、いいラム酒がなければ自家製の安酒を飲む。問題は飲むこと。ずっと。気づいていた? ずっとよ。(59頁)

いまここにあるのよりもっといいものがある:チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ、くぼたのぞみ訳『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(河出書房新社、2017)

フェミニストじゃなくていい人なんてひとりもいない

タイトルがすべてを語っている。「男も女もみんなフェミニストでなきゃWe Should All Be Feminists」。ナイジェリアの小説家アディーチェが2012年にTEDxEustonで行ったトークの加筆版である本書は、100頁弱の小著で、理論だとか思想だとかいう面で何かあたらしいわけではないけれど、彼女の語るフェミニズムは古くも温くもない。ウィットにとんだしなやかな語りは、依然として社会に蔓延する性的不平等や不正義にいきどおる熱い思いから放たれたものだ。

現在機能しているジェンダーは非常に不公平です。わたしは怒っています。私たちはみんな怒るべきです。怒りにはポジティヴな変化をもたらしてきた長い歴史があります。でもわたしには希望もあります。自分たちをより良いものに作りなおす人間の能力を信じているからです。(34頁)

Gender as it functions today is a grave injustice. I am angry. We should all be angry. Anger has a long history of bringing about positive change. In addition to anger, I am also hopeful, because I believe deeply in the ability of human beings to remake themselves for the better.

「男らしさ」とか「女らしさ」という社会的な色眼鏡で世界を見ることをやめよう、こうある「べき」だという「期待の重圧」から解放され、個人が本当に自分でいられる、自由で幸福な世界をめざそう(56頁)。それがアディーチェがフェミニズムフェミニストという言葉で表現しようとしているものである。

 

フェミニストのイメージを変える

幼少期から成功した小説家にいたるまでの自伝的なエピソードを交えながらのトークのなかでアディーチェがやろうとしているのは、フェミニストを肩ひじの貼らないユーモラスなものにすること、フェミニズムを格好いいものにすることではないかという気がする。

フェミニストということばをリフレッシュさせなければいけない」(79頁)。というのも、フェミニズムに問題があるとしたら、それは、フェミニズムという考え方それ自体ではなく、フェミニズムフェミニストにたいするネガティヴな受け止められ方のほうにあるかもしれないからだ。

最初のほうで語られる名称遍歴は、もちろんジョークとして語られているけれど、彼女のトークの基調をピタリと定めている。フェミニストは夫を見つけられない不幸な女性のことだと忠告するジャーナリストに応えて「Happy Feminist」と自称し、フェミニズムは西欧由来のものだと批判するナイジェリア人女性に応えて「Happy African Feminist」と改称し、フェミニズムは男嫌いのことだと言う友人に応えて「Happy African Feminist Who Does Not Hate Men」とさらに改称する。そしてその後、「Happy African Feminist Who Does Not Hate Men and Who Likes to Wear Lip Gloss and High Heels for Herself and Not For Men」になったというくだり、果てしなく長くなっていく名称についてのエピソードは、現代において、フェミニズムが守勢を強いられ、謂れのない批判にさらされ、馬鹿馬鹿しいほどに言い訳を繰り広げなければならないはめに陥るさまを、端的に描き出している。

怒っていいどころか、怒るべきだけれど、それは、つねに怒りっぱなしでいなければいけないということを意味しない。

 

強靭な男がまだ必要?

アディーチェの姿勢は柔軟だ。数回にわたって、男と女が生物学的に異なることを認め、単純な身体能力にかんしていえば、一般には男のほうが秀でていることを認める。しかしそれに続けて彼女が問うのは、果たしてそうした生物学的な差異から、社会的な含意を引き出すべきなのか、という点である。男のほうが強靭な体をもっている「から」、女よりも高賃金である「べき」なのか。

アディーチェはこうも問う。なるほど、強い男が世界を支配する指導者となるのは、身体的強靭さが絶対に必要だった1000年前なら妥当だったかもしれないが、はたして現在でもそうなのか。むしろ、現代に求められているのは、身体的な強さではなく、知性や創造性に優れた、革新的な人物ではないのか。そして、知的、革新的、創造的であることに、ホルモンは無関係なのだから(29頁)、現代における指導者が男でなければならない理由はないではないか。

問題は、わたしたちの社会的な考えのほうにある。社会のほうは生物的なものに頼らなくてもいいように進化してきたのに、よりによって、社会を構成するわたしたちのほうは依然として生物的なものにとらわれたままになっている。

 

「らしさ」という期待の重圧がみんなにのしかかる

「らしさ」の弊害は、男にも女にもひとしくふりかかってくる。たしかに現代社会において、とくに彼女が生まれ育ったナイジェリア社会では、女性のほうが「女らしさ」という期待の重圧にさらされているようにも見える。高級ホテルのロビーに女性がひとりで入っていけば娼婦と間違われて警備員に引き止められる、クラブやバーに入れてもらえない。似たようなことは、西欧社会においても――そしてもちろん、日本社会においても――あてはまるだろう。男がやればほめたたえられることも、女がやれば非難の対象になるというダブルスタンダードだ。

しかし、こうした状況は、男のほうをも苦しめている。というのも、「らしさ」という歴史的に形成されてきた社会的通念は、男の人間性を抑圧してきてもいるからだ。男もまた、社会の考える「べき」の姿にしたがって、自らを矯正することを要求される。女を見くびる社会文化を――自ら望んだのであろうとなかろうと――内面化した男は、内面化の必然的な帰結として、女一般にたいする侮蔑を彼の周囲にいる実際の女たちにまき散らすことになる。

この負の連鎖を、どうにかこうにかしのぐどころか、それを逆手に取ってそこで繁栄できる男女が少なからずいることは事実だろう。マッチョな「男らしさ」を自然に身につけられる男、いまの社会が想定する「男らしさ」をほとんど生まれながらにして持ち合わせているような男、そうした男たちを手玉に取ることのできる特性を持ち合わせている女、そうしたものを学び取ることにさしたる抵抗を感じなかったり躊躇する気持ちを乗り越えられてしまう女。しかし、そうした男女がいるという事実から、そうした男女に「すべてのひと」がなるべきだという議論を引き出すべきなのか。それは結局のところ、あるべき姿をかなり狭いところに限定することになる。

とても狭い意味にしか理解されない「男らしさ」という「堅い小さな檻」のなかに男のを閉じ込めること(42頁)、本当は強くなりたいとは思っていない男の子にまで強くあれと強要することは、まわりまわって、世界全体を歪んだものに仕立て上げることになる。ハードにあることを強いれば強いるほど、ハードでなければならないという強迫観念の虜になればなるほど、彼のエゴは脆いものになってしまう。そして、そうした脆い男をケアしてやれる女がますます求められるようになり、女の人間性も否定されることになる。ここには負の連鎖しかない。恐怖や不安にとらわれた、何が何でも弱さや脆さを否定しようとする弱くて脆い世界が作り出されてしまう。

 

子どもたちの教育による未来への希望

しかし、「らしさ」による人間性の抑圧が社会的な教育の結果だとしたら、「社会のなかで生きることによって、その価値観を内面に取り込んでいく」(49‐50頁)のだとしたら、それは社会的な教育によって解除することができるのではないか、わたしたちはもっと自由で幸福なかたちでわたしたちのありかたを作り直していけるのではないか。そのような希望をアディーチェは雄弁に語る。

ジェンダーの問題は現在の社会のいたるところにあるし、それは、子どもの教育をとおして未来にも引き継がれてしまうものだ。しかし、もしわたしたちが未来を変えるためにいまここで考え方を変えられるとしたら?

子供たちを育てるときに、もしもジェンダーよりもその子の「能力や才能」に焦点を合わせたらどうでしょう? ジェンダーよりもその子の「興味や関心」に焦点を合わせたらどうでしょう?(59頁)

What if, in raising children, we focus on ability instead of gender? What if we focus on interest instead of gender?

要するに、「性」よりも「人間性」のほうを重視するような文化を、静かな精神的革命を 持続的に発生させていけるとしたら、どうだろうか。

マーティン・ルーサー・キングJr牧師は「白人の子と黒人の子が同じテーブルについて食事をする」というヴィジョンを未来において起こりうるかもしれない「夢」として語ったけれど、アディーチェはこのビジョンをもはやすでに到来している現実の可能性として語っている。そこにこそ、アディーチェのトークのパワーがある。

 

内面化したことを学び忘れる

しかし、この学び直しのプロセスは、なかなか難しいものであり、アディーチェすらそう感じるときがあるという。それほどまでに「成長する過程で内面化したジェンダーのレッスンを学び忘れる unlearn many lessons of gender I internalized while growing up」(61頁、訳文を一部改変)ことは難しいのだ。彼女ですら、大学院でライティングのクラスを教えるとなれば、女としての自分の価値を証明するために、彼女が着たい服――「シャイニーなリップグロスをつけて、女の子っぽいスカート」――ではなく、社会の考える彼女が着るべき服――「真面目な、とても男っぽい、とても不格好なスーツ」――を着ていってしまったのだから(63頁)。

どうしたらいいのか。

これはもう、ある種の開き直りが要るのかもしれない。内面化された社会の声の命じることではなく、本当に自分がやりたいことに素直に耳を傾ける正直さが、そしてそれを怖じることなく表明するリラックスした心構えが。

わたしはもう女であることに弁解じみた態度をとらないと決めました。女であることでそのまま敬意を受けたいのです。当然そうあるべきなのですから……わたしの生活上の選択を決めるとき、「男性の視線」はきわめて二次的なものです。(65‐66頁)

I have chosen to no longer be apologetic for my femininity. And I want to be
respected in all my femaleness. Because I deserve to be......The “male gaze,” as a shaper of my life’s choices, is largely incidental. 

そう言ってしまえるほどに自分を信じることが。

 

いまここにあるのよりもっといいものがある

ジェンダーの話が居心地が悪いのは、ジェンダーのせいでもフェミニズムのせいでもないだろう。今ある社会を前提から疑い、根底から変えていこうという革命性が、わたしたちを居心地悪くさせるのだ。

しかし、いまここにあるものが決して最善ではないとわかっていながら、そこに踏みとどまることは正しいのだろうか。

もちろん、正しくない。それに、かりにわたしたちが社会的存在であるとしても、社会や文化が決めてきたことを無批判に受け入れることは、わたしたち自身の人間としての自由を社会に差し出すことにほかならない。それは自らを自発的な隷属状態に置くことと同じだろう。

文化が 人びとや民族を作るわけではありません。人びとや民族が文化を作るのです。もしも、女性に十全な人間性を認めないのが私たちの文化だというのが本当なら、私たちは女性に十全な人間性を認めることを自文化としなければなりませんし、それは可能です。(76頁)

Culture does not make people. People make culture. If it is true that the full humanity of women is not our culture, then we can and must make it our culture.

 

翻訳について

くぼたのぞみの訳はウィットがあるし、読んでいてとくに気になる部分もないけれど、原文と並べてみると、意外と「あれっ」と思うことがあった。誤訳しているというのではなくて、あえて意訳しているのだという箇所がずいぶんあるような気がしたからだ。もちろんこれはこれで翻訳者の腕であるし、そうとう優れた手腕であるのだから、そこにぐじぐじと目くじらを立てるのは度量の狭い行為だし、それこそまさにソルニットのいうmansplainingな態度である気がするから自重すべきところではあるけれどーーという言い訳がすでにアリバイ作り以外の何物でもない以上、すでに二重に罪深い行為であると言うことでさらに罪を重ねるばかりではあるのだけれどーーそう思ってしまったことは事実なので、ここに記しておく。

「閉じた本まで開いた本として読んでいる」:市田良彦『ルイ・アルチュセール――行方不明者の哲学」』(岩波新書、2018)

閉じた本まで開いた本として読んでいる。本の不在も開いた本として読んでいる。(アルチュセール、フランカへの手紙、1964年2月2日、77頁)

 

アルチュセールマルクス本人が自ら語ろうとはしなかった「マルクスの哲学」を分節しようとしたが、市田良彦もまた、アルチュセール本人がついに語りつくすことのできなかった「アルチュセールの哲学」を分節しようと試みているようだ。

市田アルチュセールの伝記的な部分から語り起こし、アルチュセールが生き抜いた具体的なエピソードやスキャンダラスな出来事――妻の絞殺と自殺――に彼の思想を還元するのではなく、彼の生に一貫して見い出される二股的な傾向――収容所においても、恋愛についても、神経状態においても、共産党学生運動との関係においても、哲学的思索においても――を際立たせていく。たとえば次のように。

アルチュセールの双極性は文字通りの病であった。鬱による最初の入院はおそらく捕虜時代に遡る。数カ月後、収容所内の診療施設にいたようだ。復員後まもないころにも、さらにエレーヌと肉体関係を結び童貞を喪失した直後にも、深刻な鬱におちいり入院している。精神分析家のもとに通うことは、やがて彼の日常生活の一部となった。躁状態のときには信じがたい密度で読書と執筆に没頭する。何度も原稿を書き直しては捨てているうちに、突然なにもできなくなって入院し、睡眠療法を受ける。この繰り返しが彼の生きるリズムであった。入院の事実は学校にも学生たちにも、六〇年代半ばに隠し通せなくなるまで慎重に秘匿された。童貞喪失直後はパニック発作をともなっていたせいもあってか、早発性痴呆(いまで言う統合失調症)と診断されている。医者を変え、病名は躁鬱病に変わった。(33頁)

しかしそれは、そうしたアルチュセールの二股人生の思想的に一貫した意義を深く掘り下げていくためなのだ。市田が対抗するのは、アルチュセールマルクスにしたような切断である。構造主義的なアルチュセールと偶然性の唯物主義的なアルチュセール、妻を殺した前と後のアルチュセールというふうに、どちらかの時期をもってアルチュセールの思想を代弁させるような態度にたいする異議申し立てである。

そこで立ち上がってくるのは、「ある」か「ない」かという二元論や二分法ではなく、「ある」と「ない」の時間的同時性と空間的共存性であり、だからこそ無を埋める有を主題化したスピノザの思想や、理論と実践の関係を問い直したマキャヴェッリの思想――市田によれば、「アルチュセールマキャヴェッリは最初からスピノザとともにあり、彼のスピノザは最初からマキャヴェッリとともにあったのだ」(63頁)という――が、市田アルチュセール論において特権的な扱いを受けることになる。それは主体も目的もなきプロセスの/についての哲学であり、だからこそ、市田のテクストは「行方不明者の哲学」という副題を持っている。

過程に主体はいないし目的もない、とアルチュセールは語った……彼の生涯を一つの過程とみなして振り返ってみれば、そこに主体がいないことはなるほどとうなずける。彼は「行方不明者」として生まれ育ち、それを受け入れ、そうなろうとした。自由であるとは、どこにいってもそこにおらず、捕捉されないこと。哲学者はそう考えるようになった。彼の哲学は主体の不在を肯定することに費やされている。(39頁)

しかし、疑問なのは、なぜ市田の試みが「必要」なのかという問いだ。アルチュセールマルクスの哲学を欲した理由は、もちろん、簡単に説明できることではないけれども、そこに共産党の正統派やスターリニズムとの壮絶な格闘があったことは容易に想像できる。アルチュセールは自らの考えを偽装するための言葉や言語を求めていたのだろう。そこにアルチュセール個人の思い入れがあったことは否定できないだろうけれど、それ以上に、時代の要求であったはずだ。

では、市田の試みにはそうした切実なものがあるのか。なければいけないというわけではないけれど、それがなければ、市田のような試みは単にアクロバティックな思想的遊戯に着地してしまいかねない。このコメントが、アルチュセールを表からも裏からも、心理的方向からも精神的方向からも、多面的かつ多角的に読み抜こうという市田の真摯な試みにたいしてかなり不当に響くことはわかっているが、市田の論考がますますスピノザのほうへ引き寄せられ、そのなかへ深く入り込んでいくほどに、当初の目的にはらまれていた大きな思想的問題が、特定の哲学者のテクストをめぐるミクロな解釈の問題にすりかわっていくような印象を受けたことは否定しがたい。実際、本書はアルチュセールの元生徒でもあったミッシェル・フーコーの監獄論や狂人論と思想的対話を展開したアルチュセールについての論考とともに閉じられるわけだが、その幕切れがあまりに突然なので、落丁かと思ったほどである。

 

濃密な文体で丁寧に書き綴られた市田のテクストが、単なるアルチュセール論にも、アルチュセールスピノザ論にも還元されない、それ独自の魅力を放っており、読むことの快楽を感じさせてくる稀有なものであることはまったく疑いないけれども、同時に、新書というには不適切な仕上がりになっていることも否定しがたい。この書はアルチュセールについてすでに少なからぬことを知っている、少なくとも構造主義ポスト構造主義マルクス主義の接点においてスピノザが大いに論じられてきていることを一応は知っている読者向きであり、そうした興味を持ち合わせていない初見の読者はおそらく3章あたりで本書の通読を諦めてしまおうという気持ちにさせられるかもしれない。しかし、たとえそうだとしても、それで本書の価値が減じることはないだろう。最初の2章だけでも本書は充分すぎるほどにおもしろいのだから。

狂気に隣接する愛の憧れのもどかしさ:スコット・フィッツジェラルド、上岡信雄訳『美しく呪われた人たち』(作品社、2019)

青年期の男の物語、または狂気に隣接する愛の憧れのもどかしさ

スコット・フィッツジェラルドの長編第2作『美しく呪われた人たち』(1922)は、フィッツジェラルドがつくづく青年期の白人男の決して充たされえない愛の物語を書いたのだということを思わせずにはおかない。

なるほど、次の大出世作『グレイト・ギャツビー』(1925)とはちがい、ここでは主人公は首尾よく結婚する。しかし、彼の結婚生活は幸福なものにはならない。表面的な原因は金銭的な不如意のため、一時の乱痴気騒ぎのために取り逃がしてしまった莫大な遺産のせいであり、物語背景にある現実の歴史に理由を求めれば、第一次大戦と従軍のためであり、フィッツジェラルド本人の自伝的なところを重ね合わせれば、金のために書き飛ばすほかなかった小説のせいだろうけれど、それらの根底に、フィッツジェラルドの描く愛のかたちがそもそも不可能なものではなかったのかという疑いを抱いてしまう。近代資本主義の消費社会が加速させる世俗的欲望は、まちがいなくそれをさらに困難なものにしたことは間違いないけれど、はたしてフィッツジェラルドの愛は現世的に可能なものだったのか。

結局のところ、フィッツジェラルドの小説は偽装した私小説だろうか。すべてはフィッツジェラルド本人の生のべつの可能性の物語であり、ゼルダについての変奏曲であるように感じられる。

 

その大元にある、どこかいびつな対象愛。手に入れたいと狂おしいほどに願う。しかし、その狂おしさが狂気に近いことが明らかになるほどに、本当に彼はそれを手に入れたいと望んでいるのだろうかという疑いがわいてくる。

手に入れることを、自分の手で実際に触れることを恐れている様子がうかがえる。それほどまでに対象を崇めて、理想化しているのだ! 望む人は隣にいながら、はるか遠くにいる、または、はるか彼方の上空に仰ぎ見られている。だから、水平的な関係は決して成立しない。

にもかかわらず、主人公の男はそれを女に要求する。自分の理想を押しつけながら、理想のまま、自分の隣りに座っていてくれることを希望する。それは土台無茶な願いであり、失敗しないはずがない。

“Can’t repeat the past?” he cried incredulously. “Why of course you can!”

He looked around him wildly, as if the past were lurking here in the shadow of his house, just out of reach of his hand.

“I’m going to fix everything just the way it was before,” he said, nodding determinedly. “She’ll see.”

He talked a lot about the past, and I gathered that he wanted to recover something, some idea of himself perhaps, that had gone into loving Daisy. His life had been confused and disordered since then, but if he could once return to a certain starting place and go over it all slowly, he could find out what that thing was. . . . (The Great Gatbsy. Chapter 6)

 

「過去を再現できないって!」、いったい何を言うんだという風に彼は叫んだ。「できないわけがないじゃないか!」

彼は周囲をさっと見回した。まるで彼の屋敷の影の中に、もう少し手を伸ばせば届きそうなところに、過去がこっそり潜んでいるのではないかというように。

「すべてを昔のままに戻してみせるさ」と彼は言い、決意を込めて頷いた。「彼女もわかってくれるはずだ」

ギャッツビーは過去について能弁に語った。この男は何かを回復したがっているのだと、僕にもだんだんわかってきた。おそらくそれは彼という人間の理念[イデア]のようなものだ。デイジーと恋に落ちることで、その理念は失われてしまった。彼の人生はその後混乱をきたし、秩序をなくしてしまった。しかしもう一度しかるべき出発点に戻って、すべてを注意深くやり直せば、きっと見いだせるはずだ。それがいかなるものであったかを……(村上春樹グレート・ギャツビー』202‐3頁)

過去をやり直す、しかも、ひとりではなく、ふたりで。やり直そうとしてみたところで、やり直せるはずがないというのに。しかし、彼に認めることができないのは、まさにその不可能性なのだ。

フィッツジェラルドの物語が失敗と敗北の物語であるのは、主人公がそもそも考え違いをしているからである。道徳的に間違っているというのは当然あるし、行動の仕方が間違っているというのもあるけれど、真の問題は、人間関係の空間的位置づけがありえないかたちでしか思い描かれていないせいではないかという気がする。

 

『美しく呪われた人たち』は『グレイト・ギャツビー』ほどの狂おしい妄執の物語ではない。しかし、通底する音調は同じではないか。

自分のみつからなさ、自分自身の存在にたいする不安、さまよいただよう生。

それはもしかすると、生活には困らない有閑階級の白人男の贅沢なのかもしれない。第一次大戦前から始まるこの小説世界は、現実なら、さまざまな問題の噴出していた時代である。労働争議社会主義、女性参政権運動、都市改革、反戦運動。しかし、そうした深刻なものの影はあまり感じられず、むしろ1920年代に花開くことになる虚しくも華やかな消費社会の落ち着きのなさが先取りされているような雰囲気さえある。

しかしどちらにせよ、ここにあるのは幻滅だろう。本当はかなわないはずのものが、この世においてかなえられるとすれば、それは不完全なかたちでしかありえない。そこで見い出されるのは、理想とのズレでしかない。

 

結婚プロット

19世紀の英米小説における特権的な物語素は結婚である。もちろん、その意味合いは19世紀半ばから後半、そして20世紀初頭にかけてずいぶん変わっていく。確固たる地位を保っていた上流階級が、経済的なものによって少しずつ揺るがされていく。血筋よりも金銭が幅を利かせるようになる。そして、高等教育の誕生と拡張が、階級の流動性に拍車をかけるだろう。

パラメーター・バランスが変わっていく。血筋的なもの、金銭的なもの、そして知性的なもの、前近代的な社会にあっては特権階級に独占されていた3つのものが民主化され、社会に拡散していく。そうして誕生するのは、3つを合わせもたない「いびつな」上流階級だ。成金の場合、経済的なものが突出している反面、血筋的なものや知性的なものは欠落している。没落するかつての上流階級は、経済的に困窮しつつも、血筋的なものや知性的なものを維持しようとする。新しい知識階級は、血筋的なものや経済的なものを背景とすることなく、知性的なものを獲得する。

しかし、もし経済的なものや知性的なものが後天的に獲得可能であるとしても、血筋や家柄はそうではない。そしてその稀少性と所与性ゆえに、血統は特殊なパラメーターである。たしかにそれは後天的な獲得は不可能でも、後天的な創出は可能ではある。「成金」も何世代か続けば、たいした家柄になりうる。しかし、1世代でどうにかしようとすれば、婚姻に頼るしかない。

誰が誰と結婚するかは、当事者同士の自由恋愛の問題ではない。誰と誰の結婚は承認されてよいのかという、当事者の気持ちを置き去りにした周囲の問題である。結婚は社会的な問題であり、ひいては家族や社会や国家のかたちをめぐる戦場となる。だからこそ、国民国家の黎明期である19世紀後半にとって、結婚プロットは特権的に重要なのだ。

 

リアリズムと自然主義のあとに

ヘンリー・ジェイムズの小説では、血筋と知性が経済的なものを包摂していく流れが存在していたように思う。しかしそれはおそらく、ウィリアム・ディーン・ハウエルズにおいてより顕著に見られたものだろう。というのも、ジェイムズの後期小説群においては、前期中期の作品にもまして、結婚による家庭の形成の失敗のほうが主題化され、集合的なものから離脱してく個人の遠心的方向性のほうが前景化されていたはずからである。しかしながら、どれほど否定的に裏返されたかたちであれ、ジェイムズたちの小説では、結婚プロットが依然として機能していた。

ところが、フランク・ノリスやセオドア・ドライサーの自然主義的な小説では、結婚が何らかの意味で解決策であるという考え自体が根底から否定され、旧来的な支配階級のの屋台骨が土台から揺らいでいる世界が描き出されているように感じられる。それらはもしかすると、19世紀のアーキタイプとでも言うべき裸一貫からの叩き上げの経済的成功者=男たちの物語の移調的変奏とでも言うべきものかもしれない。結婚はもはや血筋の問題ではないし、個人のアイデンティティをめぐる問題でもない。結婚は社会的なものの繋留ではない。消費社会的なものやショービジネス的なもの、資本主義的な欲望こそが、個人をも社会をも包含する。

自然主義のあとにくるフィッツジェラルドの小説は、興味深いことに、先祖返り的な傾向を見せているように思う。すくなくとも主題的なレベルにおいては。フィッツジェラルドの描き出す20世紀初頭アメリカ社会はもはや、階級的に安定した定常社会ではなく、資本主義的欲望主体による消費文化に従属している。しかし、かつての階級が完全に滅んだわけでもない。経済的なものによって現在や未来を変えられるとしても、過去だけは変えることができない。そして、ロマン主義的なギャツビーの偉大さと愚かさは、血筋と家柄の欠如による不安を、金銭と教育によって補填しようと試みて、実際成功するにもかかわらず、過去の改変という根源の欲望のかなえられなさにつまづき、結局は破滅してしまうところにある。しかも、自分のためにではなく、自分が愛した女のために、自分が内面に作り上げられた愛する女のために。

イディス・ウォートンの小説でも結婚は問題であるが、そこでは階級的な定常性がまだ前提とされていたように思う。没落する階級の終わり方である。それに比べれば、フィッツジェラルドは新しい階級の始まり方についての物語ではあるのだけれど、にもかかわらず、彼の物語は、新しい階級の終わり方についての物語にもなっている。というよりも、新しい階級は、最初から、頽廃や崩壊を運命づけられているかのようだ。

問題は、フィッツジェラルドの物語世界において、もしかすると安定化につながりえたのかもしれない流れが、つねに、近代資本主義の消費文化という不安定なまでに活発な流動性によって揺るがされ続けるところにあるのだろう。もはや血統的な確かさにも、知性的な確かさにも戻ることができず、たとえ金銭的に安泰であろうとも、たえず刺激されては創造されつづける欲望の運動はとどまることをしらず、最終的には不確かな奔流に巻き込まれていく。

 

 成功作とは言いがたい何か

『美しく呪われた人たち』は、意欲作ではあるが、成功作とは言いがたい。ひとつの長編というよりも、たくさんの断片の集積であり、主題やキャラクターが拡散してしまっている。凝縮力のなさはフィッツジェラルドがつねに抱えていた欠点だと思うのだけれど、それに対処するすべを小説家はまだほとんど見つけられていない。

ひどく不器用な構成をしている。カップルの両方に内面が与えられ、それが語られるスペースを作っているところは、『ギャツビー』より秀でている面かもしれない。『ギャツビー』は、たとえニックという相対化する焦点を入れ込んだところで、男たちの語りでしかなかったけれども、ここでは女の声を描き出そうという努力がうかがえる。しかし、まさにそれが、テクストとしてのとりとめのなさにつながってしまっているきらいがある。

この小説はどこかメタ的であるが、それは、書くことについて、短編を売ることについて、売れることについての物語でもあるからだ。それから、映画の話。当時の消費文化を考えると興味深いレファレンスではあるけれど、それらが小説の深いところと結びついているかというと、やや疑問が残る。クレバーな小道具に終わってしまっているような気もする。

霊感の閃きはあるし、閃光のような輝きはあるが、どうも散発的なのだ。メチエ的な手腕を欠いているので、うまくいっていないところはあきらかに手薄になっている。ほとんどセリフだけ続く戯曲のようなパートがあるかと思えば、プルーストばりの深い心理描写がある。あからさまに人種差別的な戯画があるかと思えば、売文業についての鋭い省察がある。このデコボコとした手触りの良し悪しはともかく、テクストにある不思議なだらしなさをどう捉えたものか。

フィッツジェラルドは広く書けない作家なのかもしれない。青年期の作家なのだ。若いカップルの話であり、それ以上に広がっていかないようなところがある。このあたりは、サリンジャーと比較してみると面白いかもしれない。サリンジャーが少年の物語であるとすると、フィッツジェラルドは青年の物語である。少なくとも『ライ麦畑でつかまえて』が思春期の少年の物語だとすれば、フィッツジェラルドの物語は結婚適齢期の若者たちの物語であると、冗談交じりにまとめてみていいかもしれない。

 

翻訳の首尾 

翻訳の出来はどうなのだろうか。悪い訳ではないし、良心的な翻訳であることは疑いをいれないけれど、小説的におもしろい訳になっているかというと、どうだろう。

語学的な正確さと文体的な流暢さが、どうもうまく結びついていないように感じられる。これはフィッツジェラルドのような作家の場合、致命的なことかもしれない。村上春樹の翻訳は、語学的に正しいかはさておき、文体の相関物を作り上げようという意志があったし、その試みはおおむね成功していたように思う。あれがフィッツジェラルドの文体かどうかは議論の余地があるものの、訳文に文体があることはまちがいなかった。そしてそれこそまさに、上岡の翻訳に欠けているものであるような気がする。

「世界の本質的な不可知性を抱きしめる」:レベッカ・ソルニット、井上利男訳『暗闇のなかの希望――非暴力からはじまる新しい時代』(七つ森書館、2005)

希望のクロニクル

希望のクロニクルを書くこと。ソルニットがポスト911時代のなか自らに課した仕事を、そのように性格づけてみてもいいかもしれない。ソルニットはテロから戦争へという暗く暴力的な時代に突入するなかにあって、非暴力的な希望の可能性を、過去の歴史のなかから救い出そうとする。正史においては語られることの少ない、まるで語られることのない断片的な希望のエピソード――なぜならそれれは完全な勝利の物語というよりは、途上で潰えてしまった物語であったり、潰されてしまった物語であったりする場合のほうがはるかに多いものだから――を、希望の物語へと編み上げていく。それは世界中から集められた希望の過去なのだ。

「暗闇のなかの希望」というフレーズは、ヴァージニア・ウルフの日記からの一節である。それは第一次大戦がはじまって半年が過ぎた1915年1月18日のことだった。しかし、暗い時代に書きつけられたこの一節を、ソルニットは、悲観的な嘆きではなく、未来の未見性や不可知性と読み替えていく。ソルニットが取り組むのは、「希望とは何か」「何が希望か」というような希望の内容についての議論というよりも、「希望を抱くとはどういうことか」「どのようにして希望を抱くのか」という問いだ。希望の方法をめぐる思索である。

 

希望の方法、または直接行動のための未来意識

2つの筋道が交錯する。希望の過去や現在の希望を救い出し、希望について深く思考するのは、ひとえに、未来のためである。そのためには、希望と行動をつなげる必要がある。

興味深いことに、ソルニットは希望hopeと信仰faithを区別しようとする。それは友人のジェイミー・コルテスに促されてのことのようだ。しかし、裏付けを必要とする――可能かもしれないことの実績を求める――希望よりも、勝利の可能性をまったく予見することができないなかでも持ちこたえる信仰をこそ拠り所とすべきだと主張するコルテスにたいして、ソルニットはべつの方向性を探ろうとする。いや、ソルニットは、現代における直接行動direct actionの系譜は、ローカルな伝統的コミュニティの知識人からカトリックの平和主義者までを含みこむ雑多なものであり、そうであるがゆえに、そこにはすでに信仰の要素が入りこんできている、と考えているようだ。ここで重要なのは、証拠がなければ自意識的に動けない希望と、証拠なしに盲目的に動いてしまう信仰とを、架橋不可能なかたちで対極に配置することではなく、希望と信仰を、ゆるやかにしなやかにつなぎあわせることである。

ただ願うだけでは不充分であるし、ただ行動するのでも足りない。どうせ未来は変わらないというニヒリズムに陥るのでもなく、何もしなくても未来はよくなるという楽観主義に身をゆだねるのでもなく、かといって、行動すれば絶対に未来は良い方向に変わるというドグマティックな思い上がりに陶酔するのでもなく、未来の不確さを受け入れてなお、未来のために行動するための希望の方法をソルニットはスケッチしていこうとする。

Hope locates itself in the premises that we don't know what will happen and that in the spaciousness of uncertainty is room to act. When you recognize uncertainty, you recognize that you may be able to influence the outcomes--you alone or you in concert with a few dozen or several million others. Hope is an embrace of the unknown and the unknowable, an alternative to the certainty of both optimists and pessimists. Optimists think it will all be fine without our involvement; pessimists take the opposite position; both excuse themselves from acting. It's the belief that what we do matters even though how and when it may matter, who and what it may impact, are not things we can know beforehand. We may not, in fact, know them afterward either, but they matter all the same, and history is full of people whose influence was most powerful after they were gone. (Solnit. "Foreword to the Third Edition (2015): Grounds for Hope" in Hope in the Dark: Untold Histories, Wild Possibilities. xiv)

 

希望のすみかは、何が起こるかわたしたちにはわからないところにある。不確かさの広大さのなかにある行動の余地に、希望のすみかはある。不確かさに気づくとき、あなたは、あなた自身が結果に影響を与えられるかもしれないことに気がつく。あなたひとりで出来るかもしれない、数十の人々と一緒になってのことかもしれないし、数百万の人々と一緒になってのことかもしれない。希望とは、わからないもの、わかりえないものを抱きしめることだ。それは、楽観主義者と悲観主義者の両方が抱いている確信にたいするオルタナティヴだ。楽観主義者は、自分たちが関わらなくても全てうまくいくと考える。悲観主義者はその逆を行く。どちらも、行動しない言い訳をしている。希望とは、わたしたちのすることは重要であるという信念だ。いつ、どんなふうに重要になるか、誰が何にインパクトを与えるかは、わたしたちが前もって知ることのできないものであるとしても、わたしたちのすることは重要であると信じることだ。実際のところ、後になればわかるというものではないかもしれないのだけれど、それでも、わたしたちのすることが重要であることに変わりはないし、歴史は、亡くなって後に影響力が大きく高まる人々で犇めき合っている。(拙訳)

希望について考えることは、行動するわたし(たち)と未来の現実の関係について考えることであり、そのためにこそ、過去の(完全には)実現しなかった希望について考えることが必要なのだ。もし過去の未決性が現在において引き継がれるとしたら、そしてもしその引き継ぎが、時間も場所もまったくちがう人々のあいだで起こりうるし、実際に起こってきたとしたら、わたしたちのちっぽけな行動は決してちっぽけどころではないことがみえてくるはずなのだ。行動するわたしたちは、過去の同志たちと遡及的につながることができるし、わたしたちもまた、同じように、わたしたちはもういない未来において、わたしたちが予想も想像もしなかっただれかとつながるかもしれないのだ。

 

希望することの積極性

希望すること、それは待つという消極的な状態ではなく、未知の抱擁という積極的な態度である。驚きにたいして開かれていることである。期待していなかったものを歓び、わからないものを受け入れ、訪れた出来事によって自らが変わっていくことを恐れないことである。

けれど、希望とはただ待ち望むことではない。希望は、世界の本質的な不可知性、そして現在との決別を抱きしめることであり、驚きなのだ。あるいは、もっと注意深く記録を調べれば、たぶん奇蹟は期待できても、それはわたしたちの期待どおりの時と場所で起こるわけではない。期待していいのはビックリさせられることであり、わたしたちは知らないということである。そして、このことが行動の足がかりになる。(209頁)

しかし、それは、何でもかんでも受け入れることではない。希望は未知の歓待であると同時に、既知の不正義にたいする抵抗であり、不服従であるからだ。ソルニットは続ける。

服従としての希望、あるいはむしろ果てしなくつづく不服従の基礎としての希望をわたしは信じている。つまり、わたしたちが望むものの幾つかをなしとげ、その間も原則に則って生きるために必要な、そういう行為の希望である。ほかに道はなく、あるとすれば屈服だけだ。そして屈服は未来を放棄するだけではなく、魂を捨て去る。(209頁) 

希望すること、それは、気の持ちようというような単に個人的なものではないのだ。それは世界認識のしかたであり、未来意識のかたちであり、そして、自らが希望のプロジェクトの一部という生成変化なのだ。

 

物語を聞くこと、話すこと

過去の希望は生きられた体験である。そしてそれは、語り直され、記憶される必要があるが、同時に、語り継がれ、語り続けられる必要もある。そして、わたしたちのひとりひとりが、聞き手であると同時に、話し手となる契機をそのうちに秘めている。

わたしたちは語り部です。ところが、ともすれば、既知の物語が、岩のように不動で、日の出のように必然であると信じてしまいます。どのようにして古い物語を解体するのか? 解体するだけでは終わらず、どのような新しい物語を語れるのだろうか?――このようにわたしは自問するようにしています。物語はわたしたちを陥れもするし、解き放ちもします。物語によって生かされもし、死にもするわたしたちですが、聞き手で終わる必要はなく、みずから話し手にもなれます。ここに記すわたしの物語の目的は、あなたがご自身の物語を語るように励ますことなのです。(「日本のみなさんへ」4頁) 

というよりも、わたしたちはすでに、そうしたプロジェクトに参加しているはずなのだ。共同的な物語の共作と共有、シェアと拡散、という世界に。しかしだからこそ、言葉をたしかに使うことがますます重要になってくるのだ。

未来に引き継がれていくはずの言葉をいまここで語るということ、それは、想像力の言葉である。ソルニットは『説教したがる男たち』のなかで、ふたたびヴァージニア・ウルフを引きながら、次のように述べている。

 計量可能性の暴力は、ひとつには言葉や言説が、より複雑で微妙で流動的な現象を描写しようとして失敗することにあり、また意見形成や意思決定を行う人々が、定義しがたいものを理解し価値を見定めることができないことにもある。名づけたり描写したりできないものの価値を見定めるのは難しく、ときには不可能ですらある。だからこそ名づけること、描写することは、資本主義と消費主義の現状に対する反乱における本質的な営みなのだ。究極的には、地球環境の破壊の原因の一端は、いやもしかするとその多くは、想像力の欠如や、本当に大切なものを数えることはできない会計システムによって、想像力の重要性が見えなくなっていることにあるのかもしれない。この破壊に対する反乱は、想像力による反乱だ。それが称えるのは白黒のつかない微妙さであり、金では買えず、大企業が意のままに操ることのできない歓びだ。意味の消費者より生産者であること、ゆっくりとさまよい歩き、まわり道を選ぶことだ。探究心と、超自然的な力と、不確かさだ。(ソルニット「ウルフの闇」『説教したがる男たち』122-23頁)

想像力の叛乱! それこそ、希望のための必要条件なのである。

 

翻訳について

井上利男による翻訳は決して悪くないどころか、かなり良い。日本語として過不足なく読める秀逸な文章になっている。ひじょうに達者なものであることは疑いないが、正確かというと、かなり怪しい部分はある。

しかしこれは、ソルニットを訳す者だれもが直面せざるをえない問題ではある。ソルニットはたいした文章家であり、英語の特性を最大限に生かした美しい文章を書く人だ。裏を返せば、彼女の文体は英語という言語に内在する論理性や意味の連環、イマージュやフローに依拠する部分が大きいということでもある。要するに、他言語に移し替えにくい。

そうなってくると、訳者は二者択一を迫られてしまう。オリジナルの文体の相関物のようなものを移し替える方の言語で創造するか、または、オリジナルの文体がぎこちなくなるのを承知したうえで忠実にやるか、である。意訳するのか、直訳するのか。

井上は意訳戦略を選んだようであり、『説教したがる男たち』の訳者のハーン小路恭子は直訳よりになっている。どちらもかなり巧みな訳文で、翻訳のみを読む限りでは特段の不満は感じないのだが、ソルニットの原文とつき比べてみると、オリジナルにある流麗さと豊饒さが取り逃がされているような気もする。井上の翻訳は流麗ではあるが、豊饒さでやや劣る。ハーン小路はその逆だ。

ソルニットは翻訳者泣かせの作家だろう。もちろん、ソルニットのテクストは、文体には依存しない内容があるのだけれど、彼女のテクストの訴求力は内容以外の要素に負うところが大きいように思う。それはもしかすると、アクティヴィストの力が、その人の語る言葉の内容だけではなく、その語り口や立ち居振る舞い、存在感や雰囲気のようなものと、切っても切り離せない関係にあることとパラレルかもしれない。カリスマというのはたやすいし、そうしたオカルト的なところ、神秘的なところを、ソルニットはきっと否定しないとは思うのだけれど、希望をいかにして世俗的=非宗教的なままなお信じつつ行動するのかと倦むことなく問い続ける書き手にたいして、そう言ってしまうのはどうも不充分な気がする。

 

版の問題について

原著は現在第3版(2016)が出ており、この増補版では、2016年に書かれた第3版のための緒言(「希望のための拠り所 Grounds for Hope」)に加えて、「かえりみれば――普通の人々が成し遂げた並外れたこと Looking Backward: The Extraordinary Achievements of Ordinary People」(2009)と「すべてはばらばらになりながら、すべてがまとまってきている Everything's Coming Together While Everything's Falls Apart」(2014)が収録されているのだけれど、2005年の邦訳では当然ながらこれら3つの文章が抜け落ちている。これらは本書の簡潔なまとめ――とりわけ、希望の方法/方法としての希望という側面の――であり、もし邦訳が再版されるようなことがあれば、ぜひ入れて欲しい文章である。

初版と2版を見ていないので、詳細はわからないが、章立てが邦訳とは少し違っていることも記しておきたい。章の数は3版も邦訳も21章だが、章の割り方で異なる部分がある。

邦訳の冒頭におかれた「日本のみなさんへ」は日本語版だけの文章だ。ほんの2頁だけの文章だが、ひじょうに美しいテクストである。ソルニットという人の深いところにある純な倫理性のようなものがたしかに感じられる文章で、これを読むだめだけに邦訳を手元に置いておきたい気分にさせられる。

科学の友フェミニズム:アンジェラ・サイニー『科学の女性差別とたたかう――脳科学から人類の進化史まで』(作品社、2019)

ヒトの可塑性

サラ・ブラファー・ハーディーは霊長類学者としてインド北西部でサルの一種であるハヌマンラングールの調査を行ない、雄ザルによる子殺しが、繁殖集団の外からやってくる雄ザルによる仕業であること(子ザルを殺すことで雌ザルを繁殖可能な状態にし、自らの子孫の繁殖可能性を向上させる)、そうした雄ザルにたいして雌ザルが群れをなして抵抗すること、乱交が繁殖戦略の一部であること(雄は交尾したことのある雌の子には手を出さない)をつきとめ、The Langurs of Abu: Female and Male Strategies of Reproduction(1977)を執筆した。

類人猿は群れを離れてひとりで産むが、ヒトの社会では、誰かと一緒に産むという形態がほとんどである。カレン・ローゼンバーグ Karen Rosenbergとウェンダ・トレヴァサン Wenda Trevathan("Birth, Obstetrics, and Human Evolution")によれば、「人間の分娩のぎこちない方法と、出産のさなかに母親が手助けを求める感情的な欲求は、私たちの祖先が子を産んだ際にも介助してくれる人びとがいた事実への適応なのかもしれないという」(163頁)。

ハーディーはMothers and Others(2009)のなかで、霊長類研究や文化人類学の知見をふまえながら、母子関係について広く論じている。霊長類のあいだでは、血縁的な母子のあいだに緊密な一体関係がある(「霊長類の赤ん坊は母親の体の延長のようなもので……切り離せない存在」(161頁))一方で、人類の狩猟採集民の社会においては、アロペアレンティング alloparenting、またはハーディーが「協力的養育 cooperative breeding」と呼ぶ、非血縁的な拡大的母子関係が見られる。

ここから引き出されるのは、ヒトにおいて、母性本能は自動的‐先天的ではなく、後天的なものである、という仮説だ(165頁)。別の言い方をすれば、人間は、「子供を女手一つで育てるようには進化しなかった」のであり、助っ人の協力を当てにするように進化してきたのではないか、ということである(167頁)。

人間は進化の途上で、様々な養育関係や養育形態を試してきたと言っていいのかもしれない。リチャード・ブリビエスカス Richard Bribiescasは、ひとつの戦略に固定されている類人猿や霊長類の雄とは違い、人間社会では育児への「男性の関与の仕方に大幅な可塑性が見られる」という(170頁)。ロバート・ウォーカー Robert Walkerとマーク・フリン Mark Flinnによれば、南米アマゾン川流域には、婚外関係を受け入れ、複数の男性と関係を持った女性が妊娠すれば、そのすべての男性の精子が胎児の形成にかかわると信じる社会があり、そうした社会では、「分担可能な父性 partible paternity」(または「父性のシェア shared paternity」)が実践されているのだという(170頁)。

 

既存の科学を批判しつつ、ポテンシャルを際立たせる

アンジェラ・サイニーの『科学の女性差別とたたかう――脳科学から人類の進化史まで』は、科学のなかですでに進行中の平等主義的な方向性についての素晴らしく興味深いエピソードであふれている。

科学には、より公平な世界での暮らしを望む男女どちらにも提供できるあらゆるものが備わっていることだけは[本書は]再確認した。フェミニズムは科学の友になりうるものだ。フェミニズムは研究者に女性の視点を含むよう急き立てることで、科学を改善するだけではない。科学のほうも、私たち人間が互いに見かけほど異なってはいないことを示せるのだ。今日までの研究は、人類がすべての人の努力によって、同じ仕事と責任を平等に分かち合うことで生き延び、繁栄し、地球全体に広がったことを示す。人類の歴史の大半では、男と女は手を取って生きてきた。そして、人類の生態がそれを反映しているのだ。(284‐85頁)

しかし、原著タイトルのInferiror: How Science Got Women Wrong - and the New Research That's Rewriting the Story――『劣等――科学がいかに女を間違って捉えてきたか、そしてその物語を書き直している新たな研究』――が明確に示しているように、本書の意図は二重である。

一方において、彼女は科学のなかのポジティヴな方向性を描き出すが、他方においては、幾重にも絡み合っている科学の誤った女性観を糾弾する。進化論のなかで女に割り振られた生物的な劣等性(1章)、女と男の器質的・認知的な差異(2‐4章)、霊長類研究や人類史研究や人類学研究のなかで女に割り振られた特定の社会的役割や子の養育をめぐる問題(5章)、性的パートナー選択戦略と性道徳における男女間の差異(6章)、家父長制の問題(7章)、女性の加齢の問題(8章)。

科学の性差別の問題はどこに端を発するものなのか?

 

科学界の構造的な性差別

「科学の女性差別」には少なくともふたつの問題が絡み合っている。ひとつは、科学の領域における圧倒的な男女の量的不均衡だ。女性科学者が少ないというような、単なる全体数の問題ではない。教授職や研究機関の幹部レベルにおける歪んだ男女比、昇進やキャリア形成において女性だけが直面する数々の困難、種々のハラスメントを含む、総合的な問題である。極論すれば、科学者の生息する環境自体が構造的に性差別的なのだとすら言える(とはいえ、それは科学界に限ったことではなく、社会全体に当てはまる批判であることは言うまでもない)。

だが、もしかりに科学界において完全な男女平等が成し遂げられ、人員の面でもキャリアの面でも男女が完全に対等な存在として扱われる環境が整ったとしても、それだけでは、科学における性差別は残り続けるだろう。というのも、差別の根源は、科学界全体でも科学者個人でもなく、科学そのもの、科学が作り出す知そのものにあるからだ。

 

性差別的な科学的知

「女は男よりも劣った存在である」という「知」を、科学は延々と生産してきた。進化論の提唱者のひとりであるチャールズ・ダーウィンもまた、男性優位の知の生産の共犯者である。進化論仮説を提出するさい、それが当時の社会通念を揺るがすことになるだろうことをあまりによく理解していたがゆえの過度の慎重さゆえに、過度の臆病さゆえに、あわやアルフレッド・ラッセル・ウォレスに先を越されそうになって慌てて『種の起源』(1859)を書き上げたダーウィンでさえ、『人間の由来』(1871)のなかでは、ヴィクトリア朝時代特有の構築された現実にすぎない女性の社会的な従属性を、生物学的な真実であると拙速に結論してしまった。それは、いまあるものが、長きにわたる偶発的な進化の必然的な帰結であることを唱える進化論の提唱にはあるまじき錯誤であった。

メソポタミアの人びとから古代ギリシャ人まで、そして現代にいたるまで、社会は女性に制限を加え、道徳基準に敢えて違反した人を罰してきた。チャールズ・ダーウィンの時代には、この体制に入ってから何千年もの歳月が流れており、そのような抑圧は通常のものと見なされるようになっていた。人類は女性を、みずからがつくりだしたレンズを通して見ていたのだ。任務は遂行された。ダーウィンを含むヴィクトリア朝時代の人びとは、女性は生まれながらにしておとなしく、慎み深く受け身なのだと信じていた。女性のセクシュアリティはあまりにも長きにわたって抑制されていたため、科学者たちはこの慎み深く従順な性質が生物学的なものかどうか、疑問すらもたなかったのだ。(235頁)

科学を実践する環境を男女平等にするだけではまったく不十分である。科学の根本に置かれている差別的な措定を根底から問い直さないかぎり、制度的な改革は不十分なものにとどまらざるをえない。

しかし、そうした改革をラディカルに押し進めようとすれば、科学は、必然的に、政治的な領域に足を踏み入れることになる。それは、科学を政治に従属させるという方向とは真逆である。むしろ、科学に暗黙の裡に持ち込まれていた政治的な措定――女は知的に男より劣っている、女の価値は子作りや子育てだけだ、女は生物学的に家事労働に向いている、などなど――を科学的に問い直すことである。科学の始まりに置かれていた非科学的な思い込みを、真に科学的なものに置き換えることである。

 

科学的知の政治的起源

科学を政治的に――フェミニズム的に、と言ってもいい――やり直すこと、それは、科学的知をフェミニズム化することではないはずだ。「女は男よりも優れている」と言うのでは、男性優位構造の単なる反転にすぎない。それは男性優位主義と同じくらいイデオロギー的なものであり、男性優位主義と同じくらい非科学的なものである。科学をフェミニズム化すること、それは、科学的知を脱‐政治化することである。

これはもしかすると、啓蒙主義時代において科学が宗教の拘束から自由になろうとしたことと似ているかもしれない。啓蒙とは、誰かの指図なしに自らの理性を自由に行使することである、とカントは「啓蒙とは何か? Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung?」のなかで述べたが、いま科学に必要なのは、「男は女よりも優れている」という直接的に性差別的な主張や、「男と女は違うーーそれゆえ、女に男とは別の生を強制するのは理にかなっている」という婉曲的な性差別的主張から、自らを解放することである。それは、自らの根拠なき措定を批判し、科学を始め直すことである。

それは、女だけのために、女だけが取り組むべき、女の女による女のためのプロジェクトなのか。そんなはずはない。「女は男より劣っている」という措定が科学的根拠に基づく本当の科学的仮説なのか、それとも、単なる偏見にすぎないのか。これを真摯に考え直すことこそ、真に科学的な啓蒙的立場であるはずだ。

それは、社会的な歴史的偏見であるとか伝統的な保守的価値観を盲目的に受け入れることを拒否し、それらを科学的に精査することである。古いものや受け継がれてきたものを無条件に全否定するのではなく、そのなかから真と偽を選り分け、真実に迫ろうとすることである。

事実こそ、私たちの本来の能力を開花させ、社会をよりよい、人を平等に扱う場所へと変えさせるものなのだ。単にそれが私たちを文明化させるからではない。むしろ、すでに証拠が示すように、それが私たちを人間にするものだからだ。(285頁)

それこそ、健全な懐疑の精神であり、真実を愛する科学的な姿勢である。科学における女性差別と闘うことは、すべての科学者の責務なのだ。

 

科学的偽知の社会的悪影響

もし科学界における構造的な性差別が科学者にのみ関係する特殊問題であるとしたら、科学の生産する知における構造的な性差別は、科学者だけにとどまらない一般問題である。というのも、科学は、とりわけ近代以降の時代において、わたしたちの社会を根底から支えるもののひとつであり、そうであるがゆえに、土台にはらまれている歪みは、そのうえに築かれた社会という構築物の全体に作用するからだ。

「女は劣っている」という科学的偽知が、社会的存在であるわたしたち全員に悪影響を及ぼす。女を従属的な存在として扱ったり、科学における性差別に闘うことは、わたしたちすべての責務である。

 

本書の構成は、二重の意図を考えると、少しわかりにくいところがあるかもしれない。ふたつの方向性が時折いっしょに提示されていくからだ。もちろん、それらは孤立したものではなく、互いに連動しているというのが真実なのだから、これをもって作者を責めるのは不当な気もするのだけれど、読者のわがままを言えば、やや不親切な書き方だと思う。トピックや登場人物のうえで微妙な重複があり、通時的に話が進んでいくわけでもない。

しかし、裏を返せば、どの章からも読むことができる本である。というのも、章同士に連関はあるとはいえ、それぞれが独立したテクストだからだ。読者は各自の興味の赴くままに、好きな章から読み始め、好きなところで読み終えていい。

個人的には、1章の20世紀前半のホルモンをめぐる研究合戦、5章と8章の文化人類学における「ウーマン・ザ・ギャザラー」や「おばあさん仮説 grandmother hypothesis」をめぐる論争がとくに面白かった。日本語副題にあるように、サイニーが、ハードサイエンスだけではなく、ソーシャルサイエンスまでカバーしているところに、彼女の科学観の柔軟さや、科学の社会性や政治性についての見識の確かさがあるように思う。

 

 

以下では、科学内部にある男女平等化の方向性を体現してきた/しているものを、恣意的にいくつか箇条書き風にリストアップしてみる。

 

26‐30 キャロライン・ケナード夫人 Caroline Kennard、ボストンはマサチューセッツのブルックライン在住。ダーウィンへの手紙(1881年12月)のなかで、『人間の由来』は女性の知的劣等性にたいして科学的なお墨付きを与えているのかと問いただした。ダーウィンは、女性は道徳的資質では男性より優っているが、知的には劣っている、と返答した。

34‐40 イライザ・バート・ギャンブル Eliza Burt Gambleミシガン州在住の女性参政権アクティヴィスと。『The Evolution of Woman: An Inquiry into the Dogma of Her Inferiority to Man』(1894)のなかで、ギャンブルは、ダーウィンの男女差別的な措定にたいする猛烈な反論を展開した。

46‐47 マーガレット・ミード  Margaret Meadは、サモア人社会について触れながら、男性的パーソナリティと女性的パーソナリティの決定は、生物学的な条件よりも、文化的な影響にあると論じた。彼女の3人目の夫であるグレゴリー・ベイトソンも、科学と自然/社会の関係を考えるうえで外すことのできない人物だ。

119 ヘレン・ハミルトン・ガーデナー Helen Hamilton Gardenerというペンネームで知られているアリス・チェノウェス・デイは女性権利アクティヴィストにして著述家で、女性参政権や自由思想についての著作で知られている。ロバート・グリーン・インガーソル Robert Green Ingersollの熱心な勧めにより、講演活動を始める。元アメリカ陸軍の軍医総監にしてアメリカ神経学会の創設者のひとりであるウィリアム・アレクサンダー・ハモンドの「女性の脳は男性の脳より軽いため、知的に劣っている」という議論に反対し、ニューヨークの神経学者エドワード・スピッカのもとで働き始める。それは「脳における性差 Sex in Brain」(1888)に結実した。

  

171‐190 人類学における女性の社会的役割についての研究:1966年にシカゴ大学で開かれた、世界の狩猟採集民についてのシンポジウム「マン・ザ・ハンター Man the Hunter」と、それへの返答として、アメリカ人類学会の1970年の年次総会でのサリー・リントン Sally (Linton) Slocumの発表「ウーマン・ザ・ギャザラー――人類学における男性偏向 Woman the Gatherer: Male Bias in Anthropology」。女性が狩猟採集社会において果たす決定的な役割、つまり、男たちが遠くから持ち帰る大型の獲物の不確かさと、女たちが近場で捕まえる小型の獲物や植物の安定供給っぷり。狩猟採集民に見出される原始的・原初的な平等社会。女の狩人という存在。

 

229‐32 メアリー・ジェーン・シャーフィは著名な性科学者アルフレッド・キンゼイのもとで学んだ。女性の性衝動がひどく過小評価されているという議論を展開し、近代文明の誕生と期を同じくして、女性の性的欲求の強引な抑制が行われたと述べた。そして、歴史をとおして、男性は女性の性衝動を抑制するために「信じがたいほどの圧力を行使してきた」と論じた(230頁)。

 

 

1792 メアリ・ウルストンクラフト Mary Wollstonecraft『女性の権利の擁護』:「it cannot be demonstrated that woman is essentially inferior to man, because she has always been subjugated.」(2章末尾)

1888 ヘレン・ハミルトン・ガーデナー「脳における性差」

1894 イライザ・バート・ギャンブル『女性の進化』

1898 シャーロット・パーキンス・ギルマン Charlotte Perkins Gilman『婦人と経済』

1953 アシュレー・モンタギュー Ashley Montagu『女性の生来の優位性 The Natural Superiority of Women』(『女性:この優れたるもの』(法政大学出版局);『女はすぐれている』(平凡社))

1973 メアリー・ジェーン・シャーフィMary Jane Sherfey『女性のセクシュアリティの本質と進化 The Nature and Evolution of Female Sexuality

1986 ゲルダ・ラーナー Gerda Lerner『男性支配の起源と歴史 The Creation of Patriarchy』(三一書房

1992 アン・ファウストスターリンAnne Fausto-Sterlingジェンダーの神話:「性差の科学」の偏見とトリック Myths of Gender: Biological Theories about Men and Women』(工作舎

1999 サラ・ブラファー・ハーディー Sarah Blaffer Hrdy『マザーネイチャー:母性本能と彼女たちがヒトを形作った方法』(早川書房)、ほかに、Women That Never Evolved(1981、『女性は進化しなかったか』『女性の進化論』(思索社))、Mother and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding(2009)がある。

2013 サラ・リチャードソン Sarah Richardson『性そのもの――ヒトゲノムの中の男性と女性の探求 Sex Itself: The Search for Male and Female in the Human Genome』(法政大学出版局

2013  マーリーン・ズック Marlene Zuk『私たちは今でも進化しているのか? Paleofantasy: What Evolution Really Tells Us About Sex, Diet, and How We Live』(文藝春秋

 

 

男女間には決定的な生物学的差異があると論じる文献/人々

1948 Bateman, Angus. "Intra-Sexual Selection in Drosophila" Heredity. 2. 349-68.

1966 ロバート・ウィルソン Robert Wilson『永遠の女性 Feminine Forever』(主婦と生活社

1972 ロバート・トリヴァース Trivers, Robert. "Parental Investment and Sexual Selection" in Sexual Selection and the Descent of Man. 136-79.

1979 Symons, Donald. The Evolution of Human Sexuality.

1989  Clark, Russell and Elaine Hatfield. "Gender Differences in Receptivity to Sexual Offers" Journal of Psychology and Human Sexuality. 2(1). 39-55.

1994 Buss, David. The Evolution of Desire: Strategies of Human Mating. (デヴィッド・バス『女と男のだましあい――ヒトの性行動の進化』(草思社))

2000  "Sex Differences in Human Neonatal Social Perception" Infant Behavior and Development. 23(1). 113-18. 

2003 サイモン・バロン=コーエン『共感する女脳、システム化する男脳』

2014  "Sex Differences in the Structural Connectome of the Human Brain" Proceedings of the National Academy of Sciences USA. 111(2). 823-8.

 

Larry Cahill

Simon Baron-Cohen 

Ruben Gur