うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。Gift Receipt。

アメリカ観察記断章。ホリデーシーズンはバーゲンシーズンであり、ギフトシーズンでもあるのだと思う。とはいえ自分には送る相手もいなければ送ってくれる相手もいないので自己の生活を美しく楽しいものにするためだけに割引商品を少しずつ慎ましく買い漁っている。

先日Crate & Barrelという家具や日用品を扱う総合雑貨屋とでもいうべき店――ダイニングテーブルに椅子、ソファーやベッド、食器や調理器具、リネン類や季節ごとの室内装飾品(しかし食品は扱わない)という品揃えは日本にありそうでない気がする――でメキシコ製のガラスでできたソープディッシュ(5ドル弱)を買ったのだが、通常のレシートとともに、Gift Receiptなるものを受け取った。レジではとくに何も考えずにそれをもらって財布にしまったけれど、帰りの運転中「あれは何だったのだろう」という疑問がわいてきて、家についたあたりで「そうか、これは贈り手がプレゼントと一緒に渡すもので、貰い手のほうはプレゼントが気に入らなければこのレシートと商品を持っていけば店舗で返品返金してもらえるのか」ということに気づいた。

いや、気に入る気に入らないではなく、サイズ交換や不良品交換のためというのが真相だろうか。しかし、ここまで気づくのに意外と時間がかかったのは、理由はどうあれ、プレゼントを返品したり交換したりするというのが自分にとってまったく異質な考え方だったからだろう。しかしアメリカでは、未使用の品は、開封済みでもかなりのところまで返品可能なのだから、この法則がギフトに当てはまらないわけはないし、そのために店舗側が策を講じるのはむしろ必然なのだ。それにしてもなぜアメリカではこんなにも返品が容易なのだろう。

Gift Receiptなどというものがあるという事実は、そういう行為がむしろ普通であることを示しているだろう。アメリカではプレゼントのための買い物というのが広告戦略として板についている。日本なら「とりあえず」「お世話になっている人(個人的にはそこまで親しくないが社会的に無視できない人)」にだが、アメリカではそういう気遣いはこうしたプライベートな方面にはしゃしゃり出てこない。だからプレゼントは個人的かつ親密な行為であるように思う。ギフトのために購買欲を煽りつつ、プレゼントの返品交換までケアしようというのは、資本主義的に真っ当なやり方かもしれない。

ところでGift Receiptにはバーコードと返金について注意書きなどが印刷されているだけで、商品の値段までは記されていない。ギフトを値段に換算しないだけの慎み深さはあるようだ。