うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。文法とレトリック。

アメリカ観察記断章。アメリカ留学生活の1/4くらいは教育に費やしてきたと思う。TAをやることを通して学んだことは多い。今日、学生レポートの採点をしていて気づいたのは、英語の文語には難易度の高い文法的表現があるということだ。仮定法、接続法、込み入った関係代名詞節など。英語文法のなかでも高位にあるものは、多くの人が正しく使えないものらしい。だから、英語の書き方を学ぶということは、単に表現の幅(語彙量だとか言い回しのバリエーション)を広げることにとどまらず、文法的に高度な概念を適切かつ効果的に使いこなすことを含んでいる。さて、ここで日本語の作文を考えてみると、それはどうも表現の幅というレベルにとどまっていて、言語の文法的理解を深めるという部分には及んでいないように思えてならない。敬語丁寧語表現の正誤はよく話題に上るが、条件節が正しく機能しているかとかはあまりクローズアップされない。日本語の文章の場合、文章の骨組みの確実さではなく、装飾部分の華やかさにどうしても目がいってしまうからかもしれない。日本語作文の授業が印象主義的ないしは主観主義的になってしまうのは、文章修業を文法習得と結び付けようという意識が薄いからではないだろうか。自分の見てきた感じだと、アメリカの英作文で重視されているのは、見せかけの表現の豊かさだとか気のきいた言い回しではなく、理性的かつ合理的に積み上げられた内容の堅実さだ。レトリックへの関心はもちろんあるが、それは美学的ではなく実用主義的なものではないか。暫定的な結論。日本(語)の作文授業は美学的な修練だが、アメリカのそれは効率主義的な(文章が人に与える効果の最大化を目指す)訓練である。