うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

ビニ・アダムザック、橋本紘樹・斎藤幸平 訳『みんなのコミュニズム』(堀之内出版、2020):「わたしたち全員の物語」

未来のコミュニズムの妨げになるのは、過去のコミュニズムなのです。(130頁) 

「Xはすべてだめ、Yならすべてうまくいく」という物言いは、詐欺師の口上だ。レトリックとして注意深く使うならわかる。意図的に使うならわかる。しかし、これを本当の言葉として真摯に使うのは、あまりに問題がある。『みんなのコミュニズム』はそのような問題を抱えているように見える。

最初からしてそうなのだ。「コミュニズムっていうのは、現在の社会――資本主義社会――でみんなを悩ませている苦しみを全部なくしてしまう社会のこと」(6頁)。的確な分業制と過剰生産と恐慌の説明のあと、同じ主張が言葉を変えて繰り返される。「さあ、わかったことは二つ。一つめは、資本主義では幸せになれないってこと。二つめは、コミュニズムなら幸せになれるってこと」(46頁)。

6つのトライをとおして、コミュニズムを深化=進化させていくプロセスが描き出される。この部分は読み物として面白いし、問題は「誰か」ではなく「物の形態」であるという観点から、さまざまな構造やシステムを実験していく。

つまり、本当は、「コミュニズムならすべてうまくいく」というのは、確定した事実というよりも、かなえるべき希望として提示されているのだ。いまだかなえられていないし、どのようにかなえればいいのかまだわからないけれど、絶対にかなえなければならない希望。

エピローグを読むと、アダムザックのビジョンはずっと思慮深いものであることがわかる。それはポスト冷戦以後の世界体制(「歴史の終わり」)を冷静に見つめる視点だ。歴史をスクラップにしてしまうのではなく、過去を乗り越えた未来を想像するために、歴史を理解しつつも、そこから逸れていこうとする。

原著初版は2004年だというが、それを考えると、本書がある意味で生産中心主義的な世界観も立脚しているのも、理解できるような気がするのだけれど、それはつまり、2020年の世界がいかにデジタルでオンラインなエンターテイメント空間と化してしまったのかということでもある。アダムザックにはほかにもさまざまな著作があるというが、それらを読まないと、ここ10年の変化を著者がどう捉えているのか、いまいちわからない。

アドルノなどを縦横無尽に引用するエピローグはひじょうに読みごたえがあるし、認識論的=倫理的な立場としてはかなり賛同する。けれども、はたしてこれがいまの欲望的消費者、モノではなくコトを消費するわたしたちにうまくフィットするかというと、すこし疑問がある。

6つのトライの最後が、みんなの声に耳を傾けつづけよう、トライをつづけよう、この本の読者であるみんなと築き上げていこう、だってこれは「わたしたち全員の物語」(80頁)なんだから、と締めくくられると、あまりに肩透かしを食らった感じになる。

ちょっと毒のあるポップな絵はよい。議論を象徴的に要約するイラストもとてもよい。しかし、中途半端に本にするよりは、もっと絵本によせたほうがよかったのではないかという気もする。翻訳は、ポップにするなら、もっとはっきりとポップにするべきだったと思う。読みやすいし、不満はないが、もっとよいものになったはずだという印象がぬぐえない。

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