うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

偶数と奇数を重ね合わせる:ドホナーニのリズムの合い方

ハンガリーの音楽家たちには共通した特質があると言うのはあまりに大雑把な一般化すぎて、そんな粗雑な議論をする自分に我ながら呆れてしまうけれど、乾いた厳しさのようなものがあるような気がするという自分の感覚を偽ることはできない。

冷たさではないし、冷淡さでもない、ひんやりとした鋭さと凛としたたたずまいを感じる。ライナー、ドラティショルティフリッチャイ、ケルテスといった指揮者たちはそれぞれかなり異なった気質の持ち主であると思うし、彼らの作り出す音楽はほとんど似ていないけれども、それでも、決して混濁しない見透しのよい構築性、清潔な旋律の歌いまわし、停滞しない快活なテンポ、ブレることなく正確に刻まれるリズムといった共通項はあるような気がする。

それはもしかすると、音楽教育の賜物なのかもしれない(バルトークの盟友であるコダーイは優れた音楽教育家であった)。そのなかでもドホナーニのソルフェージュ能力は飛びぬけていると思う。ドイツ生まれで、ドイツ育ちらしいドホナーニを、祖父であるエルンストの絡みでハンガリー系と呼んでいいのかと思うところではあるけれど、やはり彼の作り出す音楽にはハンガリー出身の音楽家たちと似たものを感じる。

ドホナーニの特異性を意識しだしたのは、クリーブランド管弦楽団を振ったブルックナー交響曲5番の2楽章を聞いたときだったと思う。ドホナーニは奇数と偶数という出だし以外は決してピタリと合うことのない2つのテンポ(0/0.25/0.333.../0.5/0.666.../0.75/)を恐ろしく正確に振り分けていた。まるで右手と左手で別々のテンポを刻めるかのように。

そこまで正確でありながら、ドホナーニの音楽のテンポは有機的で、メトロノーム的に合っているというのではなく、生理的にハマっているという印象を与える。ベーシックなことのようではあるけれど、これをドホナーニほど完璧に自然に振れている演奏を聞いたことがない。