うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

多田淳之介演出、芥川龍之介『歯車』

20181215@静岡芸術劇場

「貧しい」演劇の豊かさ

多田淳之介演出の『歯車』は「貧しい」演劇だった。内容が貧しかったという批判ではない。チープな道具立てでどこまで豊かな演劇を作ることができるかという実験ではなかったか、という問いかけである。それはもしかすると、さまざまな限定(金銭的、人員的、スケジュール的)という縛りを逆手に取るようなものだったのかもしれない。

この意味で、芥川龍之介の晩年の小説『歯車』を演劇化するという離れ業をやってのけた多田の演出が、スーパーファミリーコンピューターの古典的名作『かまいたちの夜』というノベルゲームの舞台化のようだったのは示唆的である。ノベルゲームというジャンルは、低予算という制限から、その制限ならではの表現形態を発明したものである。ノベルゲームとは小説のマルチメディア化だと言っていいと思うが、そこでは、スクリーンに表示される文字に音楽や効果音が付与され、雑に加工された背景がバックグランドに挿入されたりする。多田の演出が試みたのは、芥川の文章の具現化であり、そのためにノベルゲー的なチープさが意図的に選び取られたのではないだろうか。

そう考えていくと、舞台全体に拡がる螺旋状の黒い斜面、舞台右手上方のスクリーン、完全な暗闇や目の奥が痛くなるほどの照明、回転する照明が表象する歯車、安っぽい下手なコスプレのような衣装はすべて、入念に仕組まれた「貧しさ」だったように思えてくる。

貧しいもので豊かな体験を演出できるのかという実験だったのではないか。限られた数のもので圧倒的な量の感覚刺激を作り出す、そしてその暴力的なまでの感覚刺激によって質的な崇高さを捻り出す、という二段構えの実験である。

 

「貧しさ」によって見えてきたもの

小説の舞台化、しかも神経症患者のモノローグ的なテクストを演劇化しようというのは、相当に難易度の高い仕事だろう。アフタートークのなかで、宮城聡は、日本近代文学には自己憐憫的な要素があり、そのせいで世界文学になれないのではないか?というきわめて興味深い意見を披露していたが、それに続けて、籠るものをうまく発散できるかどうかが戯曲を書けるかどうかの重要なポイントであるとも指摘した。宮城によれば、三島由紀夫はそれができたし、太宰治にしても、それほど上手くはいかなかったにせよ、戯曲を書くことはできた。しかし芥川は、戯曲ブームの大正時代に、ひとつも戯曲を書かなかった。しかしなぜ書か/けなかったのか。自己憐憫のせいではないだろう、というのも、芥川は充分なほどのアイロニーを持ち合わせていたし、自己を戯画化することもできたからだ。しかし、生身の肉体が発する言葉によって生み出される快楽や解放感にたいする受容体のようなものは持ち合わせていなかったのではないか、つまり、芥川の言葉は、ダイアローグ的な回路によって外に開かれるのではなく、モノローグ的なループによって内に閉じこもって自己参照を繰り返す。では、いかにして芥川を外に開けるのか? それが、宮城が多田に託した問いである。

芥川のテクストにおける自閉的なモノローグ性を、役者の身体ではなく、テクストそのものの受肉化によって外に開く、それが多田の回答だったのだと思う。だからこそのノベルゲー的仕立てだったのだろう。劇場はゲームプレイヤーの見るスクリーンと化していたようでもあれば、芥川の脳内劇場の表象化でもあった。そのような仕掛けのなかで読み上げられる肥大した自己意識の語りは、驚くべきことに、ライトノベルのヤレヤレ系主人公のボヤキのように聞こえてくる。多田は90年代的なサブカルチャーボキャブラリーを流用することによって、芥川の21世紀的現代性を蘇生することに成功していた。

だが、このラノベ的冗長さ(聴覚)、ゲームスクリーン的リアリズム(視覚)、過剰なまでの明暗や爆音の効果音――それは本来なら聴覚的なものである音を触覚的なものへと変容させていた――という戦略は、最初から最後まで一貫して機能していたわけではなかった。多田の『歯車』が見る/見られることの二重性の緊張関係のなかで展開されていたことは確かであるし、とりわけ前半は、主人公の「見る」ことを観客が見せられるていう構造が効果的に稼働していた。しかしこのテンションは劇が進むにつれて次第に緩んでいき、最後には、主人公は観客によって「見られる」だけの存在になってしまっていた。つまり、劇の前半では、劇場空間が芥川の神経そのものであり、ナレーションはまさに舞台と観客の「あいだ」に位置するメタ的なコメンタリー(舞台というボケにたいするツッコミ)のようなものであった。しかし劇が進むごとに、観客は芥川の脳内から追い出され、メタ的な審級が弱まっていったように思う。たしかに舞台の芥川とナレーションの芥川という二重性は最後まで保持されていたが、前半部分のポップで騒々しい不思議な包摂感に比べると、後半のB級ホラー調はどこかよそよそしいものだった。次のように言ってみてもいい。前半部分では、観客はノベルゲーのプレイヤーだったが、後半部分では、ノベルゲーのプレイ動画を眺めるだけの傍観者になってしまっていた、と。

 

ゲームプレイヤーからプレイ動画閲覧者へ

たしかに幕切れの狂気の表象は美しいものであった。黒い斜面にまき散らされた白い原稿。透明なレインコートがうずくまる芥川のうえに、一枚、また一枚と重ねられていく。まるで繭のようだった(村上春樹の『1Q84』が急に思い出された)。そしてレインコートは再び一枚ずつ引き上げられる。統合されることなく分裂した多重の自己の象徴のであったらしい不気味なレインコートが、いまや、赤子のように愛おし気に抱きかかえられる。俳優たちがそれを広げて戯れる。操り人形のように扱い、舞台をさまよわせる。

もし芥川の『歯車』が、自由連想から生じてしまう強迫観念の恐ろしさについてのテクストであるとしたら、多田の『歯車』はそれとは別の結末を提示しようとしていたのだと言っていいかもしれない。芥川の多産性の称揚である。映画で最後に流れるクレジットのようなものを、多田はスクリーンに映し出す。編年体に並び替えられた芥川の作品リストだ。そして生涯最後の数年の圧倒的な数の作品群のタイトルをほんの数瞬のうちに見せつけられるとき、わたしたちは、芥川の爆発的な創造力に圧倒される。そこに崇高さの体験が生まれる。

しかしながら、これは、芥川/観客が見る/見られるの四重性を、観客が芥川を見るというひとつのフェーズに集約することで可能になったものだ。この視点の移動をどう評かするのかは難しい問題ではある。脳内劇場で押し切れたら、ポストモダン的ともメタフィクション的とも言ってもいい芥川の皮相に悲壮な諧謔性が明るみに出たはずだが、それは観客を宙づり状態に押しとどめることであり、ある種のフラストレーションを強いる結果になっていただろう。観客を楽しませることを完全に放棄するのでなければ、そこまで振り切ることはできない。そして多田は、そこまで極端に行くよりは、芥川の近代的な自我の分裂を、ポストモダン的ではあるが、優しさと慈しみをこめて表象するほうを選んだように思う。 

それは妥協だろうか。そうとは言い切れない。しかし、ここで何かが取り逃がされてしまった感じがすることも確かだろう。ではその何かとは何か。自己言及性のようなメタ意識ではないだろうか。内に留まりつづけながら、外を内側に巻き込み続けるというような運動性である。回転をほどくのでも、早回しするのでもなく、エッシャーのだまし絵のように内側に折りたたみながら外側に引き延ばしていくことだ。多田の演出には間違いなくそうしたユートピア的な地点に至るための可能性が潜んでいたのだが、多田はそれとは別の可能性を選んだのである。また別の可能性もあっただろう。たとえば『歯車』を無意味な反復についての不条理劇とする可能性である。もし彼がもういちど『歯車』を演出するとしたら、彼はどの可能性を選ぶだろうか。