うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

不必要性の必要性に対する存在論的な優位(串田純一『ハイデガーと生き物の問題』)

「為さない必要がなく為す必要もないことを為さないこと。それは「客観的」には「何も起こっていない」状態以外の何ものでもなく、他のあらゆる事象の記述が可能になるのも、これをいわば下地としてのことである。しかし人間的現存在の領域においては、この下地そのものがまた一種の「出来事」あるいは「行為」となることがありうる……「為さない必要も為す必要もない」という規定は、まさに現存在が「非性の存在論的根源」に浸されていることを良く示してくれる。すなわち、「為さない必要も為す必要もないこと」は現存在が創り出したのではなく、それはあらゆる出来事や行為の背景あるいは地平として無限定な連続体を成しており、その全てが言語や意識に現れることは原理上ありえないにもかかわらず、その数えることすらできない無数の事柄のいずれかが突如、まさに自分が「為さなかったこと」として開示されその責めを負わざるをえなくなることがありうる……不必要性は必要性に対して存在論的な優位を持っているのである。」(串田純一『ハイデガーと生き物の問題』37‐38)