うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。電車のなかで寝ているのは誰。

アメリカ観察記断章。アメリカの電車で眠るのはたぶんお勧めできない行為だ。これは安全の問題ではある。しかしさらに突っこんで考えてみよう。、アメリカの電車で寝ている人はいるか。いるとしたら誰か。それはほぼ例外なくホームレスの人々だ。例年になく雨模様だからなのか、このところずいぶん肌寒くなってきた。ホームレスには辛い時期なのだろう。暖を取るために駅構内に入ってきている人もいれば、改札をくぐるだけの手持ちもないのか、地下に通じる階段途中の踊り場や改札手前のフロアに毛布を広げて毛布を被って横たわっている人々がいる。おそらくこうした人々にとって電車は安らかに眠れる貴重なスペースなのだろう。だが裏を返せば電車で眠るというのはそこまで追い詰められた人間がやるギリギリの行為なのかもしれない。

LAのメトロ構内を見ていれば、ホームレス問題は経済問題というよりは人種問題である、いや、アメリカにおける経済問題とはつねにすでに人種問題である、と思わざるをえなくなるだろう。それほどにホームレス人口は人種的な偏りを見せているのだ。LAのホームレス問題は黒人やラティーノの多いスキッド・ロウに端を発している部分があるから、そのせいだと言ってしまえばそれまでではある。それにたとえばアーバインのような富裕層よりの郊外においてはすべてが経済的階級によって、人種や文化ではなく収入の多寡によって決定されているような印象もある。しかしそれは、人種問題は経済が好調なところでは閾値下の潜在的なパラメーターであることを許されているというだけなのかもしれない。資本主義による抽象的な還元(労働力、経済力)を剥いでいったとき/引き剥がされたときにむき出しなるのは人種という生々しい、可視的な現実であるらしい。